マルメロとカリン(改訂版)

  いずれの名前もエキゾティックな響きを持つのだが、二つを識別できるかと問われると、困ってしまう。そこで、模範解答を探すと、多分次のようになるのだろう。

 マルメロの花は、やや紅を差すが、ほとんど白色。カリンの花は濃紅色。マルメロの果実は洋梨形、カリンの実はずん胴で、枕形。マルメロには、白毛がびっしりついているが、カリンの果実は無毛。カリンの葉には明瞭な鋸歯があるが、マルメロの葉にはない。カリンの原産地は中国北部だが、マルメロはペルシャトルキスタンが原産。これでマルメロとカリンが違うことは明々白々。

 このような区別の模範解答は成程と思うのだが、素人の私には個々のマルメロとカリンの識別はそれでも厄介で、一人ではほぼ無理というもの。果実は黄色でよく似ていて、芳香があり、砂糖漬けや焼酎漬けにすると言われると、瞬時に見分けることなどとてもできそうにない。それぞれの画像を見るだけで、いずれがカリンかマルメロか、あなたは識別できるだろうか。私など二つを並べて見比べても自信がない。

 ところで、二つの生物個体の区別がいつでも可能かと言うと、これが意外に厄介。死んでしまったら、識別はほとんど無理だし、生まれる前は尚更わからない。私たちが生物個体の区別、識別と言っているのは、かつては生きている間の生物個体の区別、識別に過ぎなかった。というのも、生まれる前も、死んだ後も、私たちが識別する必要などなく、そもそも個体ではないと決めつけていたからである。だが、今は違って、胎児や死体の鑑定技術が進み、個体概念が生きている間だけではなくなり、僅かだが拡張されたのは確かである。

 さらに、マルメロとカリンの生物学的な区別とその具体的な識別は違っている。二つの区別が何かは図書館に行って調べればわかることだが、マルメロとカリンを識別するには眼で見て手で触って、見分けなければならない。私が自信をもてないのはこの見分けなのである。それは私だけではないようである。

 信州ではマルメロもカリンと呼ばれ、カリンそのものは本カリンと呼んで一応区別する。現在信州では二つの呼び名が一つになっている。つまり、信州ではマルメロもカリンもカリンなのだが、既述の如くマルメロとカリンは別の果物。これは生物学的な区別と生活世界での識別の違いの具体例であり、二つが異なる理屈を知ることと、二つを実際に識別し、見分けることが違っていることを見事に示している。

 「マルメロ」と「カリン」は花も果実も似ているため、見分けようとすると混同が起きる。どちらの果実も生では食べられず、大変香りが良く、「香りを楽しむ果物」として活用されている。識別は厄介でも、二つが植物として異なる理由ははっきりしていて、人との関わりでも異なる歴史を持っている。マルメロは日本植物学年表によれば寛永11年(1634年)に長崎に渡来している。一方のカリンは、バラ科カリン属(またはボケ属)で、原産地は中国。日本への渡来時期は不明だが、マルメロより古い時代に伝わったと言われている。

マルメロとカリン

 いずれの名前もエキゾティックな響きを持つが、二つを識別できるかと問われると、困ってしまう。そこで、模範解答を探すと次のようになるのだろう。
 マルメロの花は、やや紅を差すが、ほとんど白色。カリンの花は濃紅色。マルメロの果実は洋梨形、カリンの実はずん胴で、枕形。マルメロには、白毛がびっしりついているが、カリンの果実は無毛。カリンの葉には明瞭な鋸歯があるが、マルメロの葉にはない。カリンの原産地は中国北部だが、マルメロはペルシャトルキスタンが原産。
 このような二つの植物の区別の模範解答は成程と思うのだが、素人の私には個々のマルメロとカリンの識別は厄介で、一人ではほぼ無理というもの。果実は黄色で似ていて、芳香があり、砂糖漬けや焼酎漬けにすると言われると、瞬時に見分けることなどとてもできそうにない。画像を見比べて、いずれがカリンかマルメロか、あなたは識別できるだろうか。

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 ところで、二つの生物個体の区別がいつでも可能かと言うと、これが意外に厄介。死んでしまったら、識別はとても厄介になるし、生まれる前は尚更わからない。私たちが生物個体の区別、識別と言っているのは、かつては実は生きている間の生物個体の区別、識別に過ぎなかった。というのも、生まれる前も、死んだ後も、私たちが識別する必要はなく、そもそも個体ではないと決めつけていたからである。だが、今は違って、胎児や死体の鑑定技術が進み、個体概念が生きている間だけではなくなり、僅かだが拡張されたと言えるのではないか。
 さらに、マルメロとカリンの生物学的な区別とその具体的な識別は生活世界では随分と違っている。二つの区別が何かは図書館に行って調べればわかることだが、マルメロとカリンを識別するには眼で見て手で触って、見分けなければならない。私が自信をもてないのはこの見分けなのである。

 

新鷹丸

 有明西埠頭の傍に水上バス乗場がある。見れば、小学生の一団が乗り込もうとしている。子供たちの騒めきが海に響いている。水上バスが出て行き、その先を見れば埠頭に小振りの白い船が停泊している。
 警視庁の警備艇が走り去っていく先に見える船は新鷹丸(しんようまる)。東京海洋大学海洋調査船練習船である。986トン、64.55mのこの船は4代目で、2015年に進水した。
 今の海洋大は品川と越中島にキャンパスがあるが、私には昔の水産大、商船大の方が親しみがある。海洋大の前身の一つが東京高等商船学校で、明治、大正、昭和を通して超難関校として名を馳せ、俗に「陸士、海兵、高等商船」と呼ばれ、全国から秀才が集まった。だが、今の若者はどうだろうか。彼らが海洋日本に関心をもたないのは彼らのせいではなく、日本を含む世界の情勢のためなのだろう。

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二人のルイセンコ

 ロシアには二人のルイセンコが同時代を破天荒に生きた。スターリンの時代、そのスターリンとの関係で二人は全く好対照な人生を送ることになった。「破天荒」とは「今まで人がなし得なかったことを初めて行うこと」、「前人未到の境地を切り開くこと」。二人は全く異なる領域で文字通り破天荒なことを行った。
 まずは進化論で擬似科学的な理論によってソビエト科学界と農業政策を独り占めしたのがウクライナ出身のトロフィム・ルイセンコ(1898-1976)。彼は生物学者かつ農学者で、ミチューリンの交配理論を支持し、メンデル遺伝学を否定し、排斥した。自らの説をルイセンコ理論と呼び、疑似科学運動に適用した。そして、彼の遺伝学説を支持したのがスターリン。1939年にはソ連科学アカデミー会員となり、翌年からソ連科学アカデミー遺伝学研究所所長を1965年まで勤め、正統派遺伝学者を逮捕、追放した。彼が提唱した農法は、ソ連農業を荒廃させたが、その実情は隠蔽された。ルイセンコによる反遺伝学キャンペーンは、スターリンの死後下火となったものの、ルイセンコは巻き返しを図り、フルシチョフを取り込むことに成功し、ソ連の集団農場で彼の人気は不動のものだった。
 今では進化論が思想、イデオロギーとして巧みに利用された科学史上の例として使われるが、欧米とは異なる独自の遺伝理論を提唱し、ソビエト連邦の農業政策として具体化した点で、ルイセンコの評判は芳しくないのだが、正に破天荒なことをした点では群を抜いている。

 もう一人のルイセンコは画家のウラジーミル・ルイセンコ(1903-1950s)。彼の絵が収蔵されているのがイゴール・サヴィツキー記念カラカルパクスタン共和国国立美術館。そう書いても、よくわからない。カラカルパクスタン共和国は、中央アジアウズベキスタン共和国内にある自治共和国。その首都ヌクスにあるのがイゴール・サヴィツキー記念カラカルパクスタン共和国国立美術館である。この美術館にはイゴール・サヴィツキーが生涯を賭けて集めた広範な美術品や民芸品が収蔵されているが、中でもソ連時代をくぐりぬけた950名にも及ぶロシア・アヴァンギャルドの遺産が集められている。この美術館そのものが1966年にサヴィツキーの並々ならぬ尽力により創設された。
 サヴィツキーの膨大なコレクションの中には画家の情報がほとんど残っていないものも数多く存在する。ルイセンコもその一人だが、彼の描いた「雄牛」は高い評価を受けている。この作品がスターリン弾圧を生き延びたのもサヴィツキーの功績である。
 美術館がもっている情報によれば、ルイセンコは1918年からタシケントに住んでいた。1930年代に彼はウズベキスタンの美術労働者の第1回共和国美術展覧会に関わり、多くの作品を出品した。1935年彼は捕らえられ、投獄される。1940年代後半には他の展覧会に出品し、1951年に再びタシケントに戻る。1953年には権利を回復するが、その生涯は他の多くのアヴァンギャルドの画家と同じで悲惨なものだった。

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(ルイセンコ「雄牛(Bull)」)

 余談だが、二人のルイセンコの先輩であり、やはり破天荒だったのがマルク・シャガール(1887-1985)。シャガールは既に日本でも何度も展覧会が開かれ、熱狂的なファンをもつ画家である。彼は1910年パリに赴き、5年間の滞在の後、故郷へ戻る。この頃の作品にはキュビスムの影響が強い。10月革命(1917年)後のロシアでしばらく生活するが、1922年故郷に見切りをつけ、再度パリに戻る。ロシア時代のシャガールロシア・アヴァンギャルドに参加して構成主義の影響の濃い作品、デザイン的作品を制作したが、出国後はいわゆる「愛」の作品を発表するようになる。

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シャガール「パラソルをもった牝牛」1946)

Xとは何か:最短の解答

 「Xとは何か」という問いは哲学的なWhat型の問いで、科学的なHow型の問いとは違うと言われてきました。でも、Xが曖昧で、それが何かに答えることができなければ、What型もHow型もあったものではなく、どちらにも答えることはできません。「学問とは何か」など酒を飲んで呟く程度がよく、素面で声高に説くのは野暮というものです。「私とは何か」は私自身がわかればよいことで、人に喧伝する必要などないものです。
 「哲学とは何か」の答えを知っても、それで自ら哲学することができる訳ではありません。自分で哲学することができないのであれば、「哲学とは何か」の答えを知るとは一体何なのかと逆に問われてしまうことになります。
 つまり、「哲学とは何か」の答えと哲学の問題を実際に考え、解くこととは別のことなのです。ですから、現場の哲学者は「哲学とは何か」に答えることなどに頓着せず、哲学の実際の問題を解こうと悪戦苦闘しているのです。これは科学者も全く同じで、余程暇な科学者でない限りは「科学とは何か」という問いに興味を示すことなどないのです。
 こんな訳で、「Xとは何か」はXに関心をもち、その本性を少しでも知りたい時の目標であって、実際に解くべき事柄ではないのです。ですから、例えば「人間とは何か」は人間を知りたい場合の最終目標に過ぎないのです。それでも、Xや人間を追求していて五里霧中になった場合、「X(人間)とは何か」は立ち止まって気持ちを落ち着かせるという役割はもっているようです。

知ること(5):ヒュームの懐疑と帰納法

帰納的推論の特徴]

 私たちは帰納的な推論をよく行なう。その推論の一般的なパターンは次のようになっている。

1今まで見たAはみなBである。
2だから、次のAもBである。
3だから、すべてのAはBである。

このようなパターンをもつ帰納的推論の一例には次のようなものがある。

1私が今までに植えた朝顔の80%は花をつけた。
2だから、私がこれから植える朝顔の80%は花をつける。
3だから、私が植えるすべての朝顔の80%は花をつける。

帰納的推論の原理]
 帰納的推論は観察されたものから観察されていないものへの推論である。ここには過去の観察から未来へ、部分的な観察から全体へという二つの場合が含まれている。過去から未来への帰納的推論には次の原理が使われている。

PF:未来は過去に似ている。

この原理が正しければ、過去の観察結果から安全に未来にも観察結果を一般化できる。では、この原理自体は正しいのだろうか。この原理自体に対して帰納的に考えれば次のような推論が考えられる。

1現在までのところ、PFは真であるとわかっている。
2だから、将来においても、PFが真であることがわかる。

 上の推論は帰納的な推論である。今問題にしている帰納的推論の妥当性について帰納的推論を使って議論することは明らかに論点先取である。これがヒュームの懐疑論の出発点である。この経緯をより詳しく見てみよう。ヒュームはデカルトが疑い得ない明晰にして判明な観念を基礎に知識を考えたように、訂正不可能な感覚経験を基礎に知識を捉え、それを知識の正当化に使おうとした。ヒュームは信念についてどのように考えていたのか。因果連関についての信念は何に基礎を置いているのか。普通は理性と経験の二つが考えられる。ヒュームはまず理性を否定する。信念は二つの間の恒常的連接にだけ基づいているのではなく、以前のパターンが繰り返され、その繰り返しが一様であることにも基づいている。自然の一様性の目的を私たちはわかるのだから、理性は何の助けにもならない。経験に訴えるだけでも、自然が一様であることがわかる。だが、なぜ一様なのかについてはわからない。
[ヒュームの考え]
 既にゲチアの反例で見たように、正当化された信念と知識は同じではない。Sがpを知るなら、pは真でなければならない。しかし、Sがpの正当化された信念をもっても、pが真である必要はない。知識は誤りが不可能であることを要求するが、正当化された信念にはその必要はない。正当化された信念は誤っても構わない。したがって、知識についての懐疑論と正当化された信念についての懐疑論は異なり、知識についての懐疑論は合理的信念についての懐疑論を含意しないことになる。 知識を疑うことは私たちが世界について部分的にしか知識をもてないということであって、世界についての私たちの信念が合理的で、十分正当化できるものであることを否定するものではない。では、私たちは合理的信念をもつことができるのだろうか。ヒュームは未来の事柄や一般的な事柄について私たちがもつ信念は合理的に正当化できないと考えた。というのも、そのような事柄についての信念は帰納的に得られたものであり、そこで使われる帰納法が正当化できないからである。私たちは単に明日また太陽が昇ることを知らないだけではなく、未来についてもつどのような期待に関しても合理的な正当化の仕方をもてない。では、帰納法はどのようなもので、帰納的に信念を得るとはどのようにしてなのか。
 予測や一般化について合理的に信じるには、それら信念についての多くの証拠があればよいと考えられている。次の論証は演繹的ではないが、完全に信頼できるものと考えられている。

(一般化)
私は多くのエメラルドを見てきたが、それらはことごとく緑色だった。
よって、すべてのエメラルドは緑色である。

(予測)
私は多くのエメラルドを見てきたが、それらはことごとく緑色だった。
よって、次に私が見るエメラルドも緑色である。

 しかし、ヒュームによれば、このような確信は合理的に正当化できない。予測や一般化によって得られる信念は合理的に正当化することができない。常識的な確信に思えるのは私たちの習慣に過ぎない。それは人間の本性であり、私たちが実際に振る舞う仕方に過ぎない。そして、私たちはこの心の習慣を合理的に正当化する論証を知らない。これがヒュームの結論である。では、ヒュームはどのようにこの結論を論証したのか。

帰納法は合理的に正当化できないことのヒュームの論証]
 ヒュームは、上の一般化や予測の論証例では前提から結論が得られないので、結論を得るためには新たな前提が必要であると考える。彼が考えた原理は自然の一様性原理(Principle of the Uniformity of Nature (PUN))である。それは、未来は過去に似ている(PF)、という主張と同じである。彼によれば、帰納法を使った論証はみなこの原理を仮定しなければならない。では、この原理は正しいだろうか?

(ヒュームの懐疑的論証)
(1)すべての帰納的な論証はその前提としてPUN を必要とする。
(2)帰納的論証の結論が前提によって合理的に正当化されるならば、それら前提も合理的に正当化されていなければならない。
(3)したがって、帰納的論証の結論が正当化されるなら、PUNに対する合理的な正当化がなければならない。
(4)PUNが合理的に正当化されるなら、そのための論証は正しい帰納的論証か正しい演繹的論証でなければならない。
(5)PUNに対する正しい帰納的論証はない。というのも、そのような論証はみな循環するからである。
(6)PUNに対する正しい演繹的な論証もない。というのも、PUNはアプリオリに真ではなく、私たちの観察から演繹的に得られるのでもないからである。
したがって、PUNは合理的に正当化されない。
(7)それゆえ、予測や一般化の形をした信念は合理的に正当化されない

この見事な論証は正しいだろうか。(4)–(6)を詳しく見てみよう。自然の一様性とは未来は過去に似ているという主張である。これは帰納法に基づいて真であると知ることができるものであろうか。もしそうなら、帰納的な論証は次のようになるだろう。

自然は私の過去の観察において一様だった。
だから、自然は一般に一様である。

この論証は帰納的であり、ヒュームによればすべての帰納的な論証はPUNを前提としてもつから、この論証は循環することになる。結論として証明したい当の命題を前提として仮定してしまっているからである。では、PUNの演繹的な正当化はできるだろうか。ヒュームの答えはノーである。上の論証は演繹的に妥当ではない。

[ヒュームの懐疑論は論駁できるか]
 帰納的な論証にはPUNが用いられなければならない。では、PUNは正確に何を意味しているのか。PFの形で考えると、次の二つに解釈できる。

未来はあらゆる点で過去に似ている。
未来はある点で過去に似ている。

上のいずれがPUNの意味なのか。PUNの正確な特徴づけは困難である。これはヒュームの論証の再定式化を示唆している。エメラルドの場合について、次の二つの言明を比較して、どちらの信頼度が高いか見てみよう。

(1)すべてのエメラルドは緑色である。
(2)2050年まではすべてのエメラルドは緑色であり、それ以後は青色である。

いずれの言明がより信頼度が高いかを言うためには、エメラルドについての私たちの知識だけでなく、2050年の地球の状態についての知識や「エメラルド」の意味が必要になってくる。どのような知識が(1)と(2)のいずれかを真とするかは哲学者が安楽椅子で考えても結論が出てこないだろう。哲学にとっての問題はいずれかを真と決定するような知識とそれを使っての決定の手続きをどのように正当化するかである。ほとんどの人は(2)より(1)の方が正しいと思うだろう。すると、哲学の役割は(1)の妥当性が(2)のそれより高いことの正当化ということになる。
 ヒュームの論証を再構成してみよう。

・合理的に帰納法を正当化するには帰納法が信頼できることを示さなければならない。
帰納法が信頼できることを示すには、それを帰納的にか、あるいは演繹的に論証しなければならない。.
帰納的な論証によって帰納法が信頼できることを示すことはできない。それは論点先取である。.
帰納法が過去に信頼できたという前提から帰納法が信頼できることを演繹することはできない。
よって、帰納法は合理的に正当化できない。

 帰納法は過去において信頼性が高かった。それゆえ、帰納法は現在も未来も信頼性が高いだろう。この言明をどのように正当化できるだろうか。すぐに考えられるのは、100%の正当化でない仕方での正当化、つまり、確率的な経験知識の正当化である。

壁面緑化(2)

 昨日トリトンスクエアの中庭の緑化された壁面を紹介した。緑のカーテン、いやそんな生易しいものではなく、「壁面緑化」に衝撃に近いものを感じたからである。これほどの壁面を緑で覆い尽くす大胆なものは見たことがなかった。
 ハーバード大学の赤煉瓦とアイビーも立派だが、壁面全体を緑で覆うことは窓があるとなかなかできない。窓がなく、しかも壁面が高く、広いなら、一面の緑となり、そしてそれが紅葉する。トリトンスクエアの中庭の壁面が紅葉し始めていて、緑から黄や赤に変わろうとしている。

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