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煙突群の煙

   

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   27日は午後3時頃に青空が見え出した。この二日ほど青い空が見えず、青が恋しくなっていた。それで、外を眺めると、気温が低く、そのためか対岸の煙突群の煙がやけに目立つ。
 煙は電気や製油のためで、共に生活には不可欠なのはよくわかるのだが、これほどはっきりと地球温暖化を寒い中で見てしまうと、鈍感な私でも穏やかでなくなってくる。白い綺麗な煙で、空気は汚していないと言われても、二酸化炭素を排出しているのは疑うべくもなく、青い空が妙に眩しく、申し訳ない気持ちになる。
 そんな風に感じる人は私だけではないだろう。

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ダーウィンの不安と病気

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ダーウィンの不安>
 このタイトルから多くの人は「ダーウィンが何に不安をもったのか、ダーウィンの不安の対象は何だったのか」と想像するのではないか。だから、「ダーウィンが自分でもよくわからない不安にいつも苛まれていた」という意味のタイトルだと読む人は極めて僅かだろう。ここではその僅かな方について考えてみたい。
 『種の起源』を著して従来の世界観を根底から覆したのがダーウィン。不幸なことに、彼には若い頃からの持病があった。その症状を今の医学的知見から見ると、ダーウィンの病気は「パニック障害」ではなかったのかと推察できる。
 チャールズ・ダーウィンは、父ロバート・ダーウィン、母スザンナ・ウエッジウッドのもとに、1809年イギリス中部のシュルーズベリーで生まれた。祖父も父も医師、母の実家はあのウエッジウッドの製造元。彼はケンブリッジ大学を卒業後、22歳でビーグル号に乗り世界一周の旅に出かけ、植物学、動物学、地質学の観察と標本採集をした(『ビーグル号航海記』はその学術探検の記録)。
 ダーウィンの病気はパニック障害の症状に一致する。その初めの症状が出航時に出ている。ビーグル号は出発を前に2ヶ月間もプリマス港に足どめされた。二度も出帆したが激しい強風と高波で引き戻し、12月に三度目でやっと外洋に出ることができた。ダーウィンの自伝によれば、この間もう二度と生きて帰れないのではないかと不安におそわれ、心臓のあたりに針で刺すような痛みを感じたと述べている。ダーウィンの胸痛はその後ひどくならず、航海中も再発することはなかったが、港を出ると船酔いに苦しみ、船酔いは5年に延びた旅行中ずっと続いた。
 帰国後2年経ち、学者として仕事を始めた頃から、ダーウィンは病気がちとなり、都会の雑踏、うすぎたなさ、閉じこめられた気分に耐えられなくなる。ダーウィンは疲れやすく、めまいや吐き気に悩まされた。同年、長男ウィリアム・エラズマスが生まれる少し前より健康状態は一段と悪化し、とくに、パーティなどに出席したあとの疲労が激しく、動悸、めまい、吐き気、嘔吐、からだのふるえが起こっていた。
 33歳になり、ダーウィンはロンドンを離れ、イギリス南東部のダウン村に引っ越す。引っ越した当初は身体の具合がよくなるが、彼の健康状態はまた下り坂となっていく。ダーウィンは自伝の中で自分の健康状態を次のように語る。

 「私が若くて丈夫だった間は、人と非常に親しくつきあうことができた。しかし、後年には、たくさんの人たちになお非常に親愛なる感情をもっていたにもかかわらずだれとも深くつきあう力を失ってしまった。私のよき親友であるフーカーやハクスリーにたいしてさえも、以前ほど深くつきあえなくなった。思うに、私がかかる悲しむべき感情の喪失にしだいにおかされていったのは、妻や子どもたち以外の人間と一時間も会っているときまって消耗し、後でひどい苦しみが起こることが予期されたからであろう。」 

  ダーウィンの病気は興奮、めまい、吐き気、心悸亢進、ふるえの発作がしばしば起こり、持続症状として全身倦怠感が認められ、抑うつ気分があったように推定できる。このダーウィンの病気は、半生を通じ悪化と軽快を繰り返す慢性病。他人の眼からみると、たいした病気ではないようにしか見えない。父に似て長身、すこし猫背であったががっちりした体格、血色がよく、快活な態度、こういった彼の外見は病身のそれとはほど遠く、彼の病苦を察した人は少なかった。
 このように見てくると、ダーウィンパニック障害にかかっていた疑いが強くなる。病気の症状、発症年齢、慢性の経過、はっきりした病気の症状を説明する身体的な異常のないこと、これらの事実は、ダーウィンパニック障害にかかっていた可能性を強く示唆している。
ダーウィンの病気>
 このタイトルからは「ダーウィンの病気が何だったのか」と誰もが同じように思うだろう。既述のように、ダーウィンは何度も激しい腹痛に襲われ、ひどいときは食事のたびに嘔吐を繰り返していた。当時、イギリスの名だたる医師たちがダーウィンを診断した。乳糖不耐症、鉛中毒、心気症、統合失調症などの病名が挙げられたが、病気を治すことはできなかった。
 このダーウィンの病気について、現代医学の見地から再検証を行ったトーマス・ジェファーソン大学医学部の胃腸専門医コーエンは「(ダーウィンの)生活の歴史を見ると、(彼の症状を)単一の病気に還元することはできない。彼が複数の病気にかかっていたと考えている」と述べ、ダーウィンがピロリ菌などの病原体に感染していた可能性を指摘している。ダーウィンの病気についての再検証は、メリーランド大学で開催される歴史上の人物の未解決の病気に関するカンファレンスで行われた。このカンファレンスでは過去に、アメンホテプ4世が遺伝性女性化乳房症(アロマターゼ過剰症)であったと考えられることや、コロンブスが晩年に苦しんだ関節炎は、彼が新世界から持ち帰ったオウムからの感染によるものだとする指摘を行っている。歴史上の人物の病気に関する記述は、医学的な知識を持たない人の手で記録される場合が多いもので、紀元前の人物などに比べるとダーウィンの病気に関する記録はかなり近代的なものになっているが、それでも当時はまだ高度の医療装置がない時代だったため、コーエンはその病気を見極めるために、ダーウィンの様々な写真や彼の著作、またその家族についても調査する必要があった。その結果、コーエンは「まず、周期性嘔吐症候群(CVS)については確実だろうと見られる。これは長年に渡って彼が苦しんだ症状の多くを占めている」と語り、CVSダーウィンの病気の一つだと指摘する。CVSはアセトン血性嘔吐症とも言われ、多く幼児期に発症する病気で、原因不明の嘔吐を引き起こし、数十年にわたって症状が続くこともある。だが、CVSだけでは直接の死因となった心臓疾患を説明することができない。これについてコーエンは、1835年にダーウィン南アメリカアンデスで現地の虫からシャーガス病に感染したのではないかと指摘している。シャーガス病はサシガメを媒介としてヒトに感染し、心筋炎、心肥大などの心臓障害を引き起こすもので、何年もの潜伏期間を持つことからもダーウィンの症状に合致する。また、シャーガス病の感染は、ピロリ菌の感染も誘発していることが多く、ピロリ菌は胃や十二指腸に潰瘍を起こすことが知られていて、これも嘔吐や腹痛の原因となっていたのではないかと考えられる。

<不安>
 「意識は志向的である」というのが近代認識論の基本だということになっているが、それが意識の基本的な特徴とは思われない。と言うのも、そのように主張したからと言って意識が何かなど皆目見当もつかないからである。「感情は志向的である」とは誰も感情の基本性質だとは言わない。なぜなら、感情の中には志向的対象をもたない感情があるからである。特に、激しくない感情、穏やかな感情になると、その感情の対象はぼんやりしてくる。そして、対象がなくても感情だけが生じる場合が出てくる。その際たるものが「不安」であった。不安はそもそも曖昧でぼんやりしていて、特定の対象や事態を指してはいない。はっきりした志向的対象をもたない不安はそれが嵩じて病気となっても、どのように治療したらよいかわからないことになる。そして、その症例の一つがダーウィンではないかと言うのが前半の話だった。医学的な病名を今の知見から追求するとダーウィンの病気はどうなるか、それが後半の話だった。

歩道の植え込みのツクシ

 植え込みや街路樹は時代と共に変化する。ケヤキイチョウツツジは少なくなり、様々な新品種が街に増えてきた。
 植え込みの植物も春を感じているのだろうが、そこにも春の雑草が元気に顔をのぞかせている。スギナは浅い地下に地下茎を伸ばしてよく繁茂する。栄養茎がスギナ、胞子茎はツクシで、ツクシの方は食べられる。そんなツクシが植え込みの中で育っている。

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時制の存在についてのとても短い証明(a very brief proof of the existence of tenses)

(1)私たちは自由意志、不安、希望、夢をもつことを経験している。
(2)それら心的な働きは無時制主義のもとではその存在を証明できない。
(3)よって、時制主義が真である。

 私たちのもつ常識には、心が自由意志、不安、希望、夢をもつという常識がある。物理学での時間は無時制主義(時間は時制をもたない)であるが、私たちの常識的な時間像は時制をもつ。それゆえ、物理学の時間は私たちの常識に挑戦し、それを変えようとする。私たちが現在認める心の機能をそのまま享受したいなら、時間の時制主義を採用しなければならない。常識の世界の時制主義と物理学の世界の無時制主義の両立という我が儘を許すことを可能にする工夫の一つが心身二元論。物理的な時間と心理的な時間の両立は心身が別物であるという二元論によって保証できる。
 私たちの心が関わる事柄、特に心の機能についての科学研究は格段の進歩をしている。時間に関しても然りである。そのような状況では心身二元論は否定されている。
 さて、ここに至って真の問題が見えてくる。時制の有無は何を意味しているのか。過去や未来を考えた上での時間は時制を本質とするが、そうでない物理的時間は時制を無視できる。時制の有無が二つの大国(上記の常識の世界と物理学の世界)の違いということなら、心身二元論の言い出しっぺのデカルトなら何と言うだろうか。

「不安」についての不安:融通無碍な不安の振舞い

 既に確定していて、新たに何かを望むことができなくなっている未来は、新たな望みの絶たれた文字通りの「絶望の未来」である。だが、一方でそれは極めて安定した、迷う必要のない「安全な未来」である。悪意に満ちた望みを絶つこと、それは確かに安全に繋がっている。
 それに対して、確定しておらず、まだ誰にもわからない未知の未来は、何が起こるかわからない、不安な未来である。だが、一方でそれは何かを望み。欲するならば、思い通りに実行できる「希望の未来」である。どんな天変地異でも起こりかねない未来、それは確かに危険に満ちている。
 努力が報われ、成果が期待できる未来は希望の未来である。だが、確定した未来のもとでの努力は無意味であり、自由意志による行為の実現は不可能である。確定した未来は過去や現在と何ら変わらない存在論的特徴をもっている。つまり、過去の出来事、現在の出来事、未来の出来事はどれも同じ出来事であり、過去が過ぎ去り、現在が正に起こっていて、未来が到来することはなく、いずれの出来事も単に「ある」のである(このような世界が物理学でモデルとして使われてきた世界で、Block Universe Model、あるいは4次元主義的世界と呼ばれてきた)。このような世界では夢や希望は現実と同じものであるから、夢でも希望でもないことになる。一方、夢や希望、そして絶望はダイナミックに変化する世界の中で意味をもつのであり、静的な世界では死物でしかないのである(私たちの常識の世界では、過去、現在、未来という時制が本質的に異なることが時間の本性である)。
 私たちが不安なのは現在であり、その不安は心の中の意識状態である。その不安の内容、つまり何に不安なのかと問われれば、それは未来の出来事や状態についてである。不安の志向的対象は意識の志向的対象と何ら変わるところがなく、明日の試合を意識する場合も、不安に思う場合も、共に志向的対象は「明日の試合」である。それゆえ、不安について考察しようとすれば、私たちが不安をもつときの心理状態の方が主役になるべきなのである。単に意識する状態を考察するのではなく、不安な状態で意識する時の状態を考察すべきなのである。
 ぼんやりした不安やけだるさ、アンニュイは志向性が薄れ、ほぼ100%心理状態だけを指すようになる。こうなると不安は感情の一種と呼んでも構わないようになり、退屈、倦怠、さらには悲しみや寂しさと同列の意味を帯びてくる。さらに、自分自身への不安、自己意識への不安となると、不安の病的な側面が強く現れるようになり、それが嵩じると神経症の症状が現れることになる。不安のもつ否定的な側面が強く出るなら、その不安を意識から取り除くことがもっぱら求められることになる。
 科学研究と日常生活での不安は同じではない。科学研究での研究者の不安は、「知っていれば、不安でなくなる。知らないなら、不安になる」と要約できるのではないか。実に単純な不安であり、「未知=不安、既知=安心」と図式化できるほどにわかりやすい。そこには謎など何もない。だが、日常生活はもっと複雑だと思われている。だから、上述のように不安には色々な側面があり、それらをすべてうまくコントロールするのは厄介だと信じられてきた。だから、科学研究での不安は特殊で、それゆえ参考にはならないと考えたくなる。だが、知っていることと不安でないことが同じと断じることは科学研究だけのことなのかと言えば、そんなことはなく、社会生活の多くの場面で科学研究の場合と同じように不安と付き合っているのである。社会生活の実践の場面ではむしろ科学研究での不安と同じ仕方で不安に対処する方が多いのである。夜一人になって沈思黙考する時以外は科学研究時と同じ仕方で不安と付き合っているのである。
 不安が私たちを襲う仕方、時、場面等々は様々で、不安の強さも千差万別。今のところ不安は解決されて四散するより、それに打ち勝つ私たちを試すが如くに顕在している。だから、不安とうまく付き合う術をさらに工夫しなければならない。だが、忘れてはならないことがある。それは、不安が私たちに夢や希望を与えるということである。

お台場から

 久し振りに台場を散歩。街ができて既に20年を越え、落ち着いた印象が出てきた。港区、江東区、品川区が境を接し、この街並みができるまでに紆余曲折があった歴史が想い出される。ユリカモメを見ながら、火薬庫跡の他はほぼ何もない台場公園を歩き、レインボーブリッジから晴海方面を一望すると、いつの間にか増えた高層ビルが林立する中に船が見え隠れしている。既に出来上がった豊洲の新市場の白い姿が眩しい。ここもまた紆余曲折の歴史のただ中にある。

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不安、絶望:人を利するのか、害するのか

 豊洲移転の安心、安全の話をきっかけに、芥川やキルケゴールまで持ち出して、不安や絶望について大騒ぎをしてきた。大山鳴動したように見えて、実は何もなしというのでは恥ずかしい限りで、法螺吹き哲学の謗りを免れない。そこで、これまでの議論をまとめながら、結局人は不安を恐れると同時に、それを求めるものであり、この不安のもつ両義的な役割にこそ人の本性があるのだということを述べてみたい。
 この世界における個人の地位、権利、義務が注目され、引き立てられるようになると、自らの欲求をもとに自ら行為する機会が格段に増え、それに応じて実証的な知識や情報、観察、予測といった事柄が重要視され、盛んに使われるようになる。未来を予測することが十分できない場合、私たちは不安になる。その不安が極度に増大すれば、人は苦しくなり、絶望し、そこから逃げ出したくなる。そのような世界で、キルケゴールも芥川も、不安を感じ、絶望し、苦しむことになったのだった。これまでの議論では、次のような言明が登場した。

安心なら、安全である
危険なら、不安である

不安から、絶望に至る
絶望から、死に至る

 未来が確実に予測できるような世界、それは古典力学的な決定論が成り立つ世界である。(ニュートン革命によって、そのような世界像が理想とされた時代を経て、20世紀以降量子力学的な非決定論的世界像が今では受け入れられている。)古典力学が描く世界では人がいない物理世界が想定されているが、もしそこに他の物体と同じように人がいたとするなら、その人体に自由意志はない。すべての現象は力学的に決定されているから、人体の行動は物体の運動と同じように運動方程式によって記述されており、正確に予測できることになっている。こんな仮定を信じる人は今では皆無なのだが、仮にそうだとしてみよう。すると、人に不安はないことにある。ぼんやりと曖昧な未来、不安を引き起こす原因となる不明の未来はなく、すべてが正確に予測できる未来であるなら、不安に苛まれる必要はなくなる。私たちの不安は、未来についてよくわからない、不明であることから生まれてくる。
 私たちは自らが人体だけではないと信じているから、これまでの話は誤りだということになるのだが、もう少しその誤り話を続けてみよう。未来がすべて既知であるなら、未来に新しいものは何も見つからないことになるから、私たちの未来に対する心理状態はどのようになるのだろうか。その前に述べておきたいことがある。多くの人が信じ込む宗教はこの点について実に巧みである。宗教は未来を一括して予測するのではなく、神の気紛れで予見するだけ。神は時々予見してみせ、奇跡を起こして見せることによって私たちを惹きつける。それは不完全な予測に過ぎないのだが、予測することによってではなく、「心配しなくてよい、私を信頼し、信仰をもてばそれでよい、私の力を信じよ」という仕方で私たちの不安を解消する。
 さて、話を戻し、未来が科学的に既知なら、この世界は実に退屈な世界に変わってしまう。退屈であるだけでなく、希望の喪失でもある。人の心は不確定で、わからない世界に惹かれる。確定していて、既知のものだけの世界には誰も関心を持たなくなる。つまり、科学的な知識は世界を退屈なものに変えるのである。それだけなら大した問題ではないと片付けることができるのだが、私たちは世界に対する関心を失い、夢や希望を持って生きることができなくなるだろう。これこそ深刻な心理的問題を引き起こす。
 確実な知識は夢や希望の喪失をもたらし、「未知の世界を知る」という人の本性が抹殺される世界が創出されることになる。退屈だけならよいのだが、希望の喪失は生きる屍の温床となるだろう。だから、人は古典力学的な世界観の例外として扱われ、人がもつ問題は科学の領域からまずは除外されたのだった。(これは正に人の知恵だった。)だが、科学的な活動は限界知らずで、いつの間にか人の領域に侵入し、今や人も科学の当たり前の対象として研究されている。そうなればなるほど、人がもつ自由意志と確定的な知識の間の関係が目につくようになってきている。
 19世紀中葉以来、偶然的な生物の歴史が進化論として研究され、その知見が蓄積され続けてきた。今では相当な領域について生物の進化史が明らかになりつつある。進化をつぶさに調べ、その経路を推測するなら、力学的な決定論的過程とは似ても似つかないことがわかるだろう。突然変異と試行錯誤、その蓄積と選択の結果が今の生き物であり、文字通り(原因が特定できない)突然の変化と試行錯誤の結果を古典力学的に予め予測することなど不可能である。(そのため、集団の進化を扱う集団遺伝学は確率・統計の手法と知識から成り立っている。)
 偶然的な進化の結果を根本的に含む私たちの生活は、したがって、予測できないものを肝心な点で含む進化の賜物である。つまり、私たちとその生活は予測できないものを不可避的に含み、その事実が私たちの不安や絶望を生み出す主要な要因になっているのである。進化は不安を含意するのである。こうして、「古典力学的な世界観=決定論的世界観」と「突然変異と試行錯誤からなる進化論的な世界観=蓋然論的世界観」は決定的に異なり、いずれを信じるかによって、不安の存在の有無は変わってくることになる。
 古典力学的な世界ではすべてが確定していて、過去、現在、未来の区別は基本的にないことになる。過去を悔やみ、未来を夢見ることはなく、私たちはいつも(神や仏のような)悟りの境地から世界を眺め、対処できることになる。それに対して、進化論的世界では不安が常に存在する。私たちも進化論的世界に生きているから、不安や絶望は私たちの運命なのである。未来が不定で未知であることが自由意志を有意義な存在にし、自由意志は不満や怒りの母となっている。適度な不安が安心を育て、夢をもたせることは、駆動力としての不安の意義を見事に示している。
 このように見てくると、不安や絶望についての新たな見方が見えてくるのではないか。それが「不安と絶望の心理学の新たな展望」とも呼べるような見方である。それは、不安が人の心を活性化し、不安の克服への活動が人の心、社会の健全化に寄与するという観点からの臨床心理学である。不安がどのように人に生きる力を与えるかを実証的に解明することが求められている。
 これまでの心理学での不安、絶望は心の健全な活動に対する悪、否定的にだけ働くものとして捉えられ、精神的な疾患の原因であると捉えられてきた。だが、不安や絶望こそ私たちに希望を与え、新しいものを追求する原動力となるものである。つまり、不安や絶望は二面性をもち、時には私たちに微笑み、時には私たちを苦しめるのである。
 不安は発明の母なのである。不安や絶望は忌むべきもの、乗り越えねばならぬものといった画一的な理解が近代の証であるかのように受け取られてきた。このような間違いは速やかに正し、不安こそ人が人たることを証明する、人がもたねばならない必須のものなのである。
 不安や絶望のの科学、心理学を持続的に推し進め、不安や絶望についての哲学や宗教には冷静に見つめ直すことが必要で、哲学や宗教の不安対策はまずは忘れることが必要なのではないだろうか。