生死の教育

  「葉っぱのフレディ」について書いたところ、多くの方々から意見が寄せられた。翻訳の話はさておき、生と死を大人だけでなく、子供にもわかってもらうための本であることをもう一度確認しておきたい。著者は教育学が専門のLeo Buscalgia(レオ・ブスカーリア)で、そのタイトルはThe Fall of Freddie the Leaf: A Story of Life for All Ages。南カリフォルニア大で教育学を教えながら、彼は多くの本を書いた。彼の本は1998年までに世界の17ヵ国の言語で1,800万部もの売り上げを記録した。

 生や死となると、元来宗教や思想の独壇場ということになっていたのだが、この本は実に慎重で、生や死が謎をもつものだとしながらも、それらについての知識をしっかり背景に置いて説明しようとする。特定の宗教教義にコミットしないで死をわかる、知るという自然主義的姿勢が背後にある。彼は思想や宗教によって死を解釈したり、論じたり、了解したりしてきた伝統を踏襲しない。

 神や仏を持ち出し、思惟や意識の問題として生命や死と対処することでは埒が明かない問題の典型が子供に生命や死を教えることである。その教え方は、生命とは、死とはこのような現象だと平明に示すことである。事実としての死を知らせる、わからせることがブスカーリアの方法である。魂の救済でも、死生観の理解でもなく、生と死の事実を子供にわかってもらうことが彼の目的なのである。だから、彼は子供が生と死をどう学ぶのがよいかの例としてフレディを考え出した。ミネルヴァの梟が飛ぶ前の、まだ哲学に汚染されない事実を教えたかったのだろう。

 ところで、児童文学と文学が異なるのは子供服と普通の大人服が異なるようなものなのか。子供は大人とは違う人格を持ち、それは大人と同等の人格であると考え出すようになったのは20世紀に入ってからのこと。それまでは、子供服は大人服の縮小版であったように、子供は小さな大人だった。では、死を説明する際に大人と子供で違う教え方をすべきなのか。ブスカーリアのサブタイトルによれば、大人も子供も基本は同じで、正しい知識に基づく生と死の理解である。子供服と大人服に違いはあっても、服として共通のものがあり、その共通部分を学んでもらうということである。だが、子供と大人は違っていて、子供には子供独自の世界があることを認めるなら、子供独自の生や死の理解があってもよいのかも知れない。生や死を超えた、サンタクロースと母親と鬼が一緒に住む世界が子供の世界としてあってもおかしくはないだろう。すると、次の興味はその子供の世界から大人の世界への移行がどのように行われるのか、ということになる。

  こんな刺激を惹起してくれるブスカーリアの『葉っぱのフレディ』は子供だけでなく、それを読み聞かせる大人にも生命と死を考えさせる、優しく心をつつく小品なのである。

クリスマス・パーティ

 昨日は昼は子供、夜は大人の二本立てのクリスマス・パーティがあり、少々疲れた。寄る年波には勝てなく、一日動き回ると身体が悲鳴をあげる。隣の小学校の子供たちの金管バンドからスタート、なかなかの盛況で、夜の部では100名ほどの人々が集まり、音楽とビンゴを楽しんだ。
 私が住んでいる辺りは一軒家がなく、マンションだけというとても不思議な地域。確か隣の港区台場も一軒家はなかったと思う。集合住宅に住みながらも共同体であることを感じる機会は少ない。だが、年に何回かはそんな機会があってもよく、マンション間の付き合いも生まれ出している。

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変化の歴史(8)

アリストテレスガリレオ、そしてニュートン
 アリストテレスは天体の運動を支配する法則と地上の運動を支配する法則は異なると考えたが、ガリレオはそのような区別をしなかった。彼の慣性概念はアリストテレスの運動の考えと全く正反対だった。慣性の法則によって、飛ぶ矢は空中を飛び続けることができる。しかし、摩擦力のためにテーブルの本は手で押し続けなければ止まってしまう。さらに、慣性概念は質量と速度の積として数学的に表現される。そして、加速度を単位時間当たりの速度変化とし、ニュートンによって速度、加速度が一階、二階の微分として定式化される。このような大きな転換がどのように起こり、何を意味していたかを探ってみよう。
[中世の世界像]
 ヨーロッパではその後プラトン説の採用で、アリストテレスの考えは消える。1000年ほどの間新プラトン主義が横行し、科学的探求は見かけの現象世界の探求であるゆえに一段低く考えられた。この時代の文化的、学問的な中心はイスラム世界にあり、そこでは哲学、数学がさらに発展した。ギリシャの主要な哲学は12世紀以後アラビア語からの翻訳でようやくヨーロッパでも利用できるようになった。アヴェロエス(Averroes)はアリストテレスの自然学をヨーロッパに導入しようとしたが、キリスト教世界はそれを好まなかった。例えば、1210年パリ大学は学生にアリストテレスを教えることを禁止している。13世紀のトマス・アキナス(Thomas Aquinas)によるアリストテレス説の採用は容易ではなかった。新プラトン主義では科学的探求は単なる現象世界に関連するだけのもので高い価値は認められなかった。
 トマス・アキナスは13世紀に教会によるアリストテレス主義の採用に直接関わったが、その目的はキリスト教の教義とアリストテレスの哲学、そして科学を統一することによって、単一で、すべてを包容する世界像を打ち立てることであった。つまり、神学、哲学、倫理、物理学、生物学、天文学すべてを切れ目なく総合することだった。これは彼の『神学大全Summa Theologiae)』によって実行された。
プトレマイオスコペルニクス革命]
 プトレマイオス(Ptolemy, Claudius Ptolemaeus, 85-165)が書いた『アルマゲストAlmagest)』はギリシャ天文学の総合であり、ヒッパルコス(Hipparchus, 190BC-120BC)の成果を伝えている。その第1巻では天動説の説明とその論証が与えられている。例えば、すべての物体は宇宙の中心に向かって落下するので、地球はその中心に固定されていなければならない。そうでなければ、落下する物体が地球の中心に向かって落下するのを見ることができないだろう。また、地球が自転していれば、真上に投げ上げられた物体は同じ場所に落下しないだろう。このようなことが観察できないことから彼は天動説が証明できたと考えた。プトレマイオスの天動説は15世紀のコペルニクス(Nicolaus Copernicus, 1473-1543)の登場までキリスト教社会で広く信じられることになった。
 プトレマイオスは中心の地球、そして月、水星、金星、太陽、木星土星の順序を受け入れた。その上で、これら天体の運動の違いを従円と周転円を使って説明した。従円は地球を中心とした大きな円で、周転円はその中心が従円の円周上を動く小さな円である。従円は地球を取り巻き、天体あるいはその周転円の中心がその円周上を運行する。このような複雑な仕組みを考えたのは惑星が見かけ上逆行する現象を説明するためであった。太陽、月、そして惑星は自らの周転円の円周上を動く。このようにシステムを考えても観察される天体の現象は完全には説明できない。そのため彼は別の概念を導入する。彼は地球が各惑星の従円の中心から僅かに離れており、惑星の従円の中心と周転円が一様な円運動を記述すると考えた。この円運動の中心は従円の直径上にあるが、従円の中心から地球とは反対の方向にある。つまり、従円の中心は地球とこの円運動の中心の間にある。さらに、彼は地球から従円の中心までの距離と従円の中心からこの円運動の中心までの距離が同じであると仮定して、観察できる現象の見事な説明をつくり上げた。
 プトレマイオスは惑星が恒星より地球に近いことを知っていたが、透明の球体の存在を信じていたようで、そこに恒星が張り付けられていた。恒星の球面の外に他の球面が想定され、宇宙に運動力を与える第一動因で最後になっている。
 コペルニクスプトレマイオスのシステムの複雑さに疑いをもち、より単純な説明を求めた。オッカムの剃刀(Occam’s razor)を信じ、多くのギリシャの文献を漁り、太陽が宇宙の中心であるという考えに到達した。彼はプトレマイオスの理論を棄て、太陽を宇宙の中心に置いた。その結果、天体運動に関してそれ程単純ではなかったが、エレガントな説明をすることができた。

(問)天動説と地動説について、「単純である」という美的評価だけで一方の理論が他方の理論より優れていると言えるだろうか。

 別の変化は重力システムにあった。アリストテレスは対象がその自然な場所、あるいは宇宙の中心に落下すると信じていた。だが、コペルニクスが宇宙の中心を太陽に動かすと、アリストテレスの理論は変えられねばならなくなった。(例えば、地球が中心の場合、物体の落下は自然な運動だったが、太陽が中心になると何が自然な運動になるのか。)この問題はニュートンの重力理論によって最終的に解かれることになる。
 コペルニクスは地球を宇宙の中心でなくしたために教会から厳しく攻撃された。地球を一つの惑星に過ぎないと見ることは地球と人間が神の創造によるものだという信念を著しく傷つけたからである。

(問)次の各点についてプトレマイオスコペルニクスの説明モデルを比較せよ。(カッコ内は解答)
天文学者を悩ませた火星の見かけの運動とはどのような運動か。(逆行運動、通常は恒星に対して東に動くのが、逆行して輪を描く運動をする。)
・この見かけの運動を説明するプトレマイオスのモデルとコペルニクスのモデルはどのようなものか。(プトレマイオスは火星が地球の周りを回る軌道をもっているためと説明する。コペルニクスは火星と地球は太陽の周りを円軌道で運行し、地球は火星より内側でより速く、太陽により近くを動くためと説明する。)
・地動説と天動説の論争を解くのに恒星の距離はなぜ重要なのか。(恒星の視差運動がないのは地球が動かないためか、恒星が地球から大変遠くにあるからかのいずれかによって説明される。)
・なぜ初期の天文学者は惑星が円軌道を描くと考えたかったのか。(全く美的なもの。天上の世界が完全で、円はそれに好都合だったから。)

[インペトス理論]
 運動しているどんなものも何かによって動かされなければならない。(『自然学』VII.1) アリストテレスは対象の運動を続けさせるには力を与え続けなければならず、どんな対象の自然状態も静止であると信じていた。アリストテレスの説明では不自然で、暴力的な運動は、外的な起動力の直接的で、連続的な作用を必要とする。常に外から力を直接に働かせてやらなければ、不自然な運動は続かない。だから、遠隔作用といったものはない。この起動的な力が働かなくなると、運動は止まる。この考えの問題は、ボールを投げるといった日常的な事柄をうまく説明できないだけでなく、それと矛盾する点である。ボールが手から離れると、それはすぐに止まらなければならない。(なぜか。)だが、実際にはボールは地面に落ちるまでしばらく飛び続ける。これを説明するためにアリストテレスは空気や水のような媒体を使った。そして、彼はこれらが不自然な力を助けると考えた。ボールの周囲の媒体(普通は空気)が飛んでいるボールの後ろを占め、ボールを押す。だが、なぜボールは最後には止まるのか。アリストテレスの答えは、運動している物体、つまり、ボールは媒体である空気に不自然な力を与え、それによって空気は運動を助けるのと同じように運動に反対する、というものだった。この説明は満足できるものではなく、新しい満足できる説明が追求されることになった。
 ビュリダン(John Buridan [Iohannes Buridanus], 1295/1305-1358/61)は当時の学者の常識的な経歴とは違って世俗的な立場を貫き、生涯を通じて宗教的な関わりをもたなかった。また、彼の著作のほとんどはアリストテレスの注釈である。彼は言語、論理、形而上学、心理学と多くの領域を研究している。デュエム等の研究で明らかにされてきた彼の自然哲学はアリストテレス的コスモスの終焉をもたらすのに大きな役割を演じた。彼の力学は投げられた物体の運動を物体に加えられた力を使って説明するインペトス理論(impetus theory)である。アリストテレスは投げられた物が運動を続けるのは近くの(空気のような)外的な原因にあるとしたが、彼はこれを退け、運動を起こすものから投げられた物体に伝えられる内的な力こそが運動の持続を説明できると考えた。インペトス理論はビュリダンが最初ではないが、その説明はアリストテレスの欠点をカバーしていた。
 投手がボールを投げると、ボールは投手によって与えられたインペトスによって動き始める。そして、ボールは抵抗よりインペトスが強い間は飛び続けるだろう。さらに、抵抗が何もなければ、無限に飛び続けるだろう。
 インペトスは可変の量でその力は速度と物質の量で決められる。(運動量はどのように定義されたか。)だから、落体の加速度はインペトスの単位の蓄積によって理解できる。だが、その革命的な意味にもかかわらず、ビュリダンはインぺトスの概念を使って力学を再構成することはしなかった。彼はガリレオの先駆者にはならず、アリストテレス主義者に止まった。彼にとって運動と静止は物体の反対の状態であり、世界は有限だった。
 ベネディッティ(Giovanni Benedetti, 1530-1590)はガリレオの同時代人だが、アリストテレスに反対し、媒体は運動を助けるのではなく、妨害すると主張し、インペトスの考えを採用した。インペトスは物体を運動させるために物体に移された量である。物体は長くこのインペトスにさらされれば、よりたくさんのインペトスを獲得する。ガリレオはこのインペトスの考えをより整合的なものにしていくことになる。ガリレオは熱に喩えてインペトスを説明する。物体を熱すると、熱が物体に移り、熱が冷めるまで物体は温かい。これと同じように、媒体が抵抗して、インペトスを散逸させるまで運動は続く。

前回の質問への私自身の解答

 みらい訳の「ねえ ダニエル。ぼくは生まれてよかったのだろうか」と直訳の「ぼくたちは、けっきょく、落ち葉になって死んでいくだけだとしたら、じゃあいったい、なんのためにこの世に生まれてきたんだろう?」を比べて、二つの問いの違いは何でしょうか。
 日本人の問いと西欧人の問いの違いだなどと簡単に言い切ることはできませんが、確かに二つの問いは違います。「生まれてよかった」を英語に訳すのは意外に大変で、大抵は生まれることによって得られるメリットが想定されますが、日本語の「よかった」は厄介な謂い回しで、結局は「生まれてよかった」が何を意味しているか、使っている私たち自身がうまく説明できないのです。ですから、その英訳が難しいのです。一方「なんのために」は明晰判明、単純明解で、人生の目的、目標です。
 原作の叙述的な表現に対して、みらい訳は敢えて叙情的な表現に変えています。直訳よりみらい訳の方がずっと文学的で、耳に心地よく響きます。生命の事実を淡々と述べずに文学的なレトリックを優先したのは、表現のスタイルを変えても原作の内容は再現できると考えたからなのでしょう。
 「生まれてよかったのか」と「なんのために生まれてきたのか」とは違う問いです。ですから、ダニエルの答えは直訳とみらい訳でははっきり異なっています。みらい訳は生まれてよかった、幸せだった例を挙げて、生まれてよかったことをダニエルに肯定させています。一方、直訳では、私たちだけでなく森羅万象すべてが生まれて消えていく定めなのだとダニエルに言わせて、個々の目的を自然の必然的な変化で置き換えるような暗示にとどめています。ですから、ここで原著とみらい訳は決定的に違ってしまい、大袈裟に言えば同床異夢なのです。

冬(の)桜

 昔「冬のサクラ」というテレビドラマがあったと聞いた。桜といえば春に決まっているのだが、秋から冬に咲くサクラも、早春に咲くサクラもある。彼らは正常に咲いているのだが、私たちは季節外れのサクラと呼ぶ場合が多い。
 冬桜と言えば、小葉桜(こばざくら)を指す。大島桜(オオシマザクラ)と豆桜の雑種と考えられていて、10~1月、4月の2回花が咲くので、四季桜と呼ばれることもある。小葉桜の名の通り葉が小さく、白色から薄いピンク色の花が咲く。
 冬のヒマワリ、夏のキクなど、今は別に珍しくもなく、花に季節感を求めると大間違いというのが昨今で、贅沢すればするほど贅沢できなくなっていくのだが、野にある植物はそれでも季節を忘れない。何ともありがたいことである。

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「葉っぱのフレディ」:その後

 フレディの話に色々な質問が出ました。個々の質問に答える前にまず確認しておくのがいいだろうと考えました。生死の問題は他人ごとの問題ではありませんから、関心を呼んで当然なのですが、ここでの問題は翻訳に関わる問題でもありました。そこで、まずは生死の問題よりずっと易しいこの翻訳の問題をよりわかりやすくするために、以下にほんの一部ですが、原文、直訳、みらいなな訳の三つを比べてみましょう。そうすれば、生死の問題と違って、すぐに答えは見つかるはずです。原文あるいは直訳とみらいなな訳は基本的に同じでしょうか、それとも違うでしょうか。特に、中学生には尋ねてみたいですね。

(原文)
"Does the tree die, too?" Freddie asked.
"Someday. But there is something stronger than the tree. It is Life. That lasts forever and we are all a part of Life."
"Where will we go when we die?"
"No one knows for sure. That's the great mystery!"
"Will we return in the Spring?"
"We may not, but Life will."
"Then what has been the reason for all of this?" Freddie continued to question. "Why were we here at all if we only have to fall and die?"
Daniel answered in his matter-of-fact way, "It's been about the sun and the moon. It's been about happy times together. It's been about the shade and the old people and the children. It's been about colors in Fall. It's been about seasons. Isn't that enough?"
(直訳)
「ぼくたちがいるこの木も死ぬのかな?」フレディはたずねました。
「いつかはね。 でも、この木よりもっと強いものがあるよ。それは「いのち」なんだ。いのちは 永遠につづくんだ。そして、ぼくらはみんなそのいのちの一部分なのさ」
「ぼくたちは、 死んだらどこへ行くのかな?」
「はっきりしたことはだれにもわからないんだよ。なにしろそれは大きな謎なんだから」
「ぼくたちは、 春になったらまたここへもどってこれるのかな?」
「ぼくらはだめかもしれないね。でも、いのちはまたもどってくるだろう」
「じゃあ、なんのためにこんなことがおこっているの?」フレディはさらにたずねつづけました。「ぼくたちは、けっきょく、落ち葉になって死んでいくだけだけだとしたら、じゃあいったい、なんのためにこの世に生まれてきたんだろう?」
 ダニエルは、 いつものように淡々と答えました。「お日さまやお月さまだって、生まれてきても、いつかは消えていかなくっちゃならないんだ。みんなでいっしょにすごすしあわせなひとときだって、そうなんだ。木かげや、お年よりや、子供たちだって、そうなんだ。秋のあのあざやかな色どりだって、そうなんだ。どんな季節だって、そうなんだ。さあ、これだけ言えば、もうわかっただろう。」
(みらいなな訳)
「この木も死ぬの?」
「いつかは死ぬさ。でも、「いのち」は永遠に生きているのだよ。」とダニエルは答えました。葉っぱも死ぬ、木も死ぬ。そうなると、春に生まれて冬に死んでしまうフレディの一生にはどういう意味があるのでしょう。
「ねえ ダニエル。ぼくは生まれてよかったのだろうか」とフレディはたずねました。
ダニエルは深くうなづきました。
「ぼくらは春から冬までの間、ほんとうによく働いたしよく遊んだね。まわりには月や太陽や星がいた。雨や風もいた。人間に木かげをつくったり、秋には鮮やかに紅葉して、みんなの目を楽しませたりもしたよね。それはどんなに幸せだったことだろう」
*読みやすくするために改行、句読点等は勝手に変えてあります。

変化の歴史(7)

アリストテレスと生物学)
 現代の生物学者、そして科学者がアリストテレス的科学を受け入れない理由となれば、多くの点で彼が誤っていたからである。ルネッサンスの間、多くのアリストテレスの考えは再吟味された。例えば、アリストテレスにとっての宇宙(cosmos)は完全さを求める秩序だった。この秩序の頂点が不動の動者で、それは究極的な宇宙の原因だった。天球は不動の動者を模倣し、そうすることによって天上に永遠の円運動をもたらした。コスモスについてのアリストテレスの主張はコペルニクスの時代までヨーロッパを支配し続けた。
 自然科学は変化する自然の対象を扱う。変化は自然科学が扱う最も基本的な現象である。アリストテレスの自然研究も変化の分析にあり、彼は変化を三つの要素を含むものと見ている。

(1) 変化の結果として存在する形相
(2) 以前にはなかった(1)の形相
(3) 常に存在するが、変化の結果、(1)の形相によって新しく特徴づけられる質料

 アリストテレスは生物の形相を「霊魂」と呼んでいるが、それは三種類あり、植物的、感覚的、合理的なものである。
 アリストテレスの自然研究の多くは生物学で占められている。彼はすべてのものが形相と質料から構成され、質料に起こる変化はある形相が別の形相に置き換わることであると考えた。すべての自然物は目的をもち、それを達成するという性質をもつゆえに、この置き換えが起こる。石の運動が低い地点に向かうのも、生物が成長するのも完全な状態を達成するための変化だと考えられた。
 アリストテレスの生物学研究は動物が中心である。彼の生物学研究で特に目立つのは目的論である。「自然物の形相はその目的によって決定される」という目的論は自然には普遍的なデザインがあるという考えと混同される。アリストテレスの目的論は宇宙の目的とは関係ない。彼が主張する目的論は事物の構造や行動はそれらの存在や機能に貢献するものとして理解されなければならないという主張である。
アリストテレスの正常モデル]
 どのようなものにもそれ本来の存在の仕方と場所があり、その本来的な姿を正しく把握することが本質の理解につながるというのがアリストテレスの「正常モデル」の考えである。アリストテレスの物理学は目的論に満ちている。彼は星も有機体に劣らず、目的志向型のシステムであると信じていた。内的な目的が重い対象を地球の中心へと引きつける。重い対象はこれを自らの機能としてもっている。どんな対象にもその自然状態があり、その対象の不自然な状態から区別される。対象が不自然な状態にあるのは外部からの干渉が働いた結果である。自然な状態にある対象に働いて、その対象を不自然な状態にする干渉力は、自然なものを偏向させる原因である。したがって、自然の中に見られる変異は自然な状態からの偏向として説明される。干渉力がなければ、重い対象、軽い対象はみなそれぞれの本来の場所に存在することになる。ニュートンとそれ以後の物理学には「自然な」、「不自然な」という語は登場しなくなるが、アリストテレスの区別はそれらの物理学においても可能である。対象に働く力がなければ、当然、干渉力もない。力学での自然状態は力の働かない状態であり、慣性の法則がこれを表現している。また、目的と機能はアリストテレスでは結びついていたが、ニュートン以後の物理学では切り離されている。
 このモデルは物理的なものだけではなく生物に対しても適用される。人間の正常な姿が人間の本質を具体化したものであり、その本質からずれたものが正常でないものである。それら異常なものはたとえ出現しても選択され、支配的になることはない。このモデルは天体の構造や生命現象を大変うまく捉えている。模範になる姿があって、それに外れるものはたとえ存在しても、あくまで例外に過ぎない。
ダーウィンの変異モデル]
 アリストテレスの正常モデルと根本的に異なるのがダーウィン(Charles Darwin)の変異モデルである。彼は生物集団の中には常に変異が存在し、それが個体差として選択のふるいにかけられ、生存と生殖に関して有利なものがその集団の中で次第に多数を占めるようになるという、いわゆる自然選択説によって生物の進化を説明した。この説明の出発点は変異の存在である。この変異、個体差には正常も異常もない。あるのは個体間の差だけであり、この差が選択の原動力になっている。したがって、正常、異常とはある時点の集団の多数派、少数派に過ぎなく、本質的なものではない。
 このように見てくるとアリストテレスニュートンダーウィンの違いは歴然としている。では、私たちが現象を考える際、いずれのモデルで考えているだろうか。多分、物理現象、生命現象に関してその原理的な部分ではニュートンダーウィン風に、私たち自身の身体的特徴、行動に関してはアリストテレス風に考えているだろう。異常な行動は大抵の場合悪い、してはならない行動とさえ考えられている。このように述べただけでも、そのような分析が価値判断を含むかどうか、価値判断からは中立かといったステレオタイプの問題ではないことが明らかだろう。
 アリストテレスのモデルが(かつて考えられていたように)正しい科学的なモデルであれば、「正常」、「異常」は優れて科学的な概念であり、それら概念を正しく使っての判断は正しい科学的な判断である。一方、ダーウィンのモデルが正しい科学的なモデルであれば、「正常」、「異常」は科学的に誤った概念であり、それら概念を使っての判断は科学的に誤った判断ということになる。この表現のどこにも価値判断など入っていない。問題は「正常」、「異常」を最初から価値判断が入っていると思い込むことである。確かに、より複雑な人間の行動に関しては科学的でない基準や約定が関与しており、そこから価値判断を含んだ「正常」や「異常」が生まれ、伝統をつくってきた。しかし、それら基準や約定は科学的な知見に依存している。その科学的な知見が正しいかどうかを判定するのはいずれのモデルを選ぶかという問題であり、価値判断とは独立した事柄である。

(問)変異モデルでは「正常」と「異常」がなぜ科学的な概念ではないのかを説明せよ