消えた線路

  汐見運河に架かる「しおかぜ橋」を渡り、その取付橋の下に目をやると京葉線が地下にもぐり込むところで、その横にもう一本赤く錆びた線路が見える。越中島支線で、小岩駅越中島貨物駅を結んでいる。越中島貨物駅を発着するのは、構内にあるJR東日本東京レールセンターから発送されるレールを輸送するJR東日本が運行する工事列車と、JR貨物が他社より受託しているレール輸送用の臨時列車だけである。

 越中島貨物駅より先は現在分断されている。かつて、その先は東京都港湾局所有の専用線豊洲・晴海方面へ伸びていたが、1989年に廃止になった。近年豊洲の再開発で線路はほとんど消えたが、晴海運河を渡る晴海橋梁はまだ残っている。

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汐見運河に架かるしおかぜ橋)

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(しおかぜ橋の取付橋)

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越中島支線の終点)

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晴海運河に架かる晴海橋梁)

夏至の頃

  天文学での夏至は瞬間で、太陽の黄経が90℃になり天球上で太陽の赤道面からの距離が最大になる時刻(夏至点)。

 2017年の夏至日は6月21日。夏至の瞬間である夏至点は、世界時では6月21日4:24、日本時間ではその9時間後の6月21日13:34だった。

 21日はあいにくの雨で、晴れたのは22日。その朝の光景で、富士にはまだ雪が見える。

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大学設置審議会:文部科学省の砦

  新たな大学、学部や大学院を新設する場合、それが妥当かどうかを審議するのが大学設置審議会。大学、学部や大学院をつくるには文部科学大臣に申請し、大臣の諮問機関である大学設置・学校法人審議会で審議され、認可を受けなければならない。

 大学設置審議会は「大学設置分科会」と「学校法人分科会」の二つに分かれている。大学設置分科会では設置しようとする大学や学部に関して、その設立趣旨や教育理念カリキュラムや教員の人数、さらに校舎や教育設備などについて学校教育法に基づいて審議される。一方、学校法人分科会では私立学校法及び私立学校振興助成法により、設立団体の財政状態や管理運営などについて審議される。審議委員は文部科学大臣によって任命されるが、学識経験者や学校法人の理事など教育に精通している人たちが選ばれ、任期は2年で再任も可能である。

 かつて私も大学設置分科会の専門委員会で審査したことがある。申請書類が大学ごとにまとめられ、事前に何が問題かなどが見事に列挙されているので、(書類内容を信頼した上で)それら問題について議論し、審査に専念できた。書類のまとめは役人が、それについての議論は専門委員が行うことになっていた。新しい大学、学部を作るためには、最初にその学部などを作るための準備、さらに申請してからの審議と、認可までに非常に多くの労力と時間が必要である。私が審査したのは学部の新設までだった。では、なぜこのように厳格な審査を行う必要があるのか?

 日本では少子高齢化が進行していき、大学や学部が増加してしまえばそれぞれの学校法人などの経営破たん、あるいはその学部の卒業生が仕事に就けないという事態になりかねない。だから、現在の日本の置かれている状況を考慮し、本当に必要なものなのかどうかの十分な吟味が必要とされている。また、これらの教育機関には多額の補助金が支給されており、これらの補助金の適切な使われ方をチェックする必要もある。

 大学設置審議会の審査は、日本の大学教育の未来を左右するものであり、高等教育行政の根幹。学部の新設の場合、設置審議会は大学側の申請を受けて(開設の前々年度3月末まで)、4~5月ごろに「学生が確保できるか」、「教員の質や数は適正か」、「財政的に問題ないか」などを書類審査、6月ごろに校舎やキャンパスの整備状況などの実地審査を行う。審議会は8月までに審査の結果を答申し、文科大臣は認可か不認可かを判断する。

 加計学園の場合、すでに大学側から申請が出され、設置審議会は上記のスケジュールに従って審査を進めている。今月には愛媛県今治市の学部設置予定地に専門の委員らが赴いて、実地審査を行う予定という。加計学園獣医学部の定員は160人だが、これは何と国内最多で、現在の国公立大に比べて数倍の規模。獣医学部は全国で教員不足と言われており、加計学園が教員の質と数を適正に確保できるのか、疑問視する関係者が多い。

 大学設置審議会の獣医学専門委員会の委員数は8名で、女性が4名。いずれも大学の獣医学関係の教授。獣医師の需給を巡っては、日本獣医師会は「不足していない」との立場で、文部省(当時)も1984年、獣医師の過剰を防ぎ質を確保するとして新設や定員増を認めない方針を決定。家畜を診る産業動物獣医師は減少するとの見通しもあるが、獣医学部は北里大が1966年に青森県に開学したのを最後に新設されていない。だから、審議会のどの専門委員も新設学部の審査をしたことがないのである。今治市での新設の申請も2007年以降退けられてきたが、規制が緩和される国家戦略特区の指定を受けたことで開学に向けて動いている。国家戦略特区は、医療、雇用、農業などの分野で、既得権益に守られた「岩盤規制」を地域限定で緩和するしくみである。「規制の緩和」によって、加計学園獣医学部新設の申請が受理され、大学設置審議会で審議されている。この「規制の緩和」は「学部の設置基準の緩和」も含むものかどうか、(実際には無理だろうが)審査経緯を含め、知りたいものである。

 なお、獣医師数や今治市の「特区提案」についての日本獣医師会の考えはそのホームページに文書で掲載されている。蛇足ながら、獣医学部の偏差値は大変高く、すべてが65以上である。

貯木場と魚河岸

 (1)

 1972年貯木場水面を持つ134haの東京湾 14 号埋立地へ移転して誕生したのが「新木場」。移転の背景には江東ゼロメートル地帯と呼ばれた深川の水害対策という目的があった。臨港地区は港湾計画によって特定の目的をもつのだが、新木場地区は特定の目的のない「無分区」で、都市計画上は厄介な存在である。二つある貯木場には材木は見当たらない。木場に見られた水に浮く材木の光景は新木場には既にない。だが、木材業が廃れたのではない。木材の流通形態が変わり、新木場では加工された木材がもっぱら扱われ、貯木場を必要としないからである。

 新木場にはコンビニやガソリンスタンドはあるが、病院やスーパーは見当たらず、生活感が乏しい。それは新木場全域は地区計画で居住機能を制限しているためである。住居をもつ居住者は原則おらず、臨港地区でありながら、無分区であることから、色々な種類の人たちが居住者との不要な摩擦を避けられる場所として注目しているのも事実である。伝統ある木材の町としての誇りをもち、木材業の持続を望む声は強いのだが、新しい用途機能を受け入れて、湾岸の他の地域のような賑わいを生み出すことへの期待も存在している。

 新木場が抱える問題を列挙すれば、防潮護岸整備による安全な居住空間の確保、貯木場埋め立てによる土地の造成、より豊かな水辺環境の創造、環境共生産業の継続と展開、居住・文化・医療・教育機能の導入等である。

 新木場が中央防潮堤の外部にあり、高潮対策としての防潮堤が設置されていないことが居住を規制する根拠になっていて、港湾物流機能から多様な人々の活動の場へ脱皮しようとする新木場の発展への足かせになっている。現在の人口は、新木場1丁目11名、2丁目11名、3丁目37名の合計59名。江東区では夢の島若洲が0人で、その次に少ない。

 東京都港湾局が掲げる「自然環境の保全・回復」と「環境に配慮したみなとづくり」の二点は、環境先進都市を目指す東京の基本政策に対応するために考えられたものである。夢の島緑地と若洲海浜公園を繋ぐ重要な位置にある新木場にも生物多様性を促進し、都心から東京港へ南北にのびる風の道を確保する水辺の緑地を整備することが望まれていて、貯木場の水面の有効な利用が望まれている。

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(第1貯木場)

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(第2貯木場)

(2)

 「魚河岸」は日本橋と江戸橋の間、日本橋川の北岸に沿って、日本橋にあった魚市場である。17世紀の初めに開設され、1935年に築地市場への移転が完了するまで300年以上、人々の食生活を支えてきた。最初に魚市場を開いたのは、江戸幕府を開いた徳川家康に従って大坂から江戸に移住した森孫右衛門一族とその配下の漁民たちだった。彼らは幕府や大名に鯛などの御用魚を優先的に納めるかわりに、残余の魚介類の市中商いの許可を得た。

 18世紀に入ると江戸は人口100万人を超える巨大都市となり、魚河岸も大きく発展した。18世紀前半の記録によると、魚介類の問屋・仲買・販売業者数は500名にも増えていた。

 当時の江戸前の海は現在の東京湾よりずっと広く、環境もよく魚の宝庫だった。自然の生け簀状態で、遠くの海まで行かなくても大きな魚がたくさん捕れた。塩干ものなら陸路でもいいだろうが、鮮魚はそうはいかない。冷凍設備はないし、氷もないから夏場はたいへんである。ひたすら時間短縮のために人力で船を漕いで運んだ。この船が「押送船」。漁荷専用の船で、左右に四本ずつの櫓があり、八人で一斉に漕ぐ、いわゆる八丁櫓の高速船である。日本橋川を上ってきた押送船は日本橋河岸に横付けされ、平田船の上で仕分けの後、すぐ問屋の店先に並ぶ。問屋が荷受けをして全体を仕切るが、実際の販売は中間業者である仲買人が担当した。(この仕組みの基本は現在でもそのまま残っている。何とも古い仕組みであり、貯木場が用無しになったようなことが現在進行中であることは誰もが知っている。)

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 この魚市場から一心太助のような棒手振の魚売りが早朝に魚を仕入れ、江戸の町を売り歩く。料理屋の仕入れもここである。江戸城で消費する魚は、魚納屋役所役人が買い付けに来た。

 魚河岸は日本が近代国家になってからも存続して東京人の食卓に全国の魚介類を集荷・供給していたが、1923年の関東大震災の被災を契機に、東京改造計画で築地への移転が決まった。しかし、日本橋を去ることに反対する人が多く、移転完了には決定から10数年を要した。

人間原理・・・宇宙はなぜこれほど見事にできているのか?

 (fine-tuned universe:見事につくられ、微調整された宇宙)

 「宇宙が非常に見事にできているのは人間が存在するからだ」というのが人間原理ライプニッツによれば、この世界は考えられる限り最善の世界である。その理由は、神がこの世界を作ったのだから、最善のものしか作りようがないというもの。18世紀のイギリスの神学者ペイリーは『自然神学』において、時計が存在するのはその時計をつくった職人がいるからだが、それと同様に、生物がいるのもそのつくり手(=神)が存在するからだと主張した。

 このような哲学的議論には根拠も証拠もない。だが、この種の哲学的議論が現代宇宙論人間原理として議論され、話題になっている。人間原理によれば、宇宙が現在のような姿をしているのは、人間が存在するからである。例えば、自然定数が現在の値よりもわずかに違っているなら、地球ができなかったり、炭素原子ができなかったりして、人間のような知的生命体が生まれない。知的生命体が存在しない宇宙は、観測されないので、存在しないも同然である。

 最初に、宇宙物理学的事実を幾つか述べておこう。私たちの地球は今から46億年前にできた。つまり、宇宙ができて約90億年後である。地球は原始太陽系星雲の中にある塵から作られた。塵をつくる主要な元素はケイ素である。また地球を形成する主要な元素は鉄、酸素、ケイ素、マグネシウム、ニッケルなどである。人間を形成する主要な元素は、水に含まれる水素、そして酸素、炭素などである。

 宇宙物理学では水素とヘリウム以外の元素を重元素と呼ぶ。ビックバン宇宙論によれば宇宙の初期にできた元素は水素とヘリウム。それ以外の重元素は、後に星の中の核融合反応によって、あるいは星の超新星爆発によって作られた。宇宙の始めに生まれた初代星には水素とヘリウムしか存在しないので、重元素がなく、したがって惑星をつくることができない。太陽程度の質量の星の寿命は100億年程度である。

 人間原理的な考えを初めて提唱したのは、アメリカの宇宙論学者ディッケ(Robert Dicke)である(1961)。ディッケは現在の宇宙の年齢が100億年程度であるのは偶然ではないという(最新の知見では、現在の宇宙の年齢は137億年)。それが必然だというのがディッケの主張である。もし現在の宇宙の年齢の現在の1/10以下の時代であれば、重元素が十分に生成されていない。したがって惑星や生命は存在しなかったはずである。一方、現在の年齢の十倍以上の時代であれば、星はほとんど死に絶えているだろうから、知的生命は存在しない。

 ディッケはさらに宇宙の平均密度が、臨界密度に極めて近い事は偶然ではないと言う。このことは最近のWMAPの観測により、非常に高い精度で確かめられている。もし宇宙の平均密度が臨界密度よりずっと大きければ、宇宙は膨張してすぐに収縮に転じて、ビッグクランチに至る。そのような世界では、宇宙年齢が短いので、生命をつくっている時間がない。一方宇宙の平均密度が、臨界密度よりずっと小さければ、宇宙は急速に膨張して、星や銀河など重力で束縛された天体はできないだろう。すると、惑星も形成されず、生命も生まれない。

 最近の研究によれば、宇宙は現在加速膨張している。その理由として宇宙定数の存在が考えられている。ところが宇宙定数の値は、素粒子物理学が考える自然な値よりも120桁も小さい。これも偶然ではなく、そうでなければ宇宙は急速にインフレーションを起こしてしまう。そんな宇宙では星をつくることができない。だから、惑星をつくることもできず、生命が存在しない。だから、自然な宇宙定数を持つ宇宙は観測されない。

 その他、物理定数の値は、生命の形成に極めて好都合な値をとっていることがわかっている。例えば、強い相互作用の大きさが現在の値よりも少し強ければ、中性子同士がくっついた重中性子とか陽子同士がくっついた重陽子が形成されて、宇宙初期において水素は全てヘリウムに変わってしまう。すると、水ができないので、私たちのような生命ができない。

 さらに考えを進めていくと、空間が3次元である理由も説明できる。もし空間が2次元であれば、あまりに簡単すぎるので生命のような複雑な存在はつくれない。空間が4次元以上であれば、どんな複雑な構造もつくれるように思われる。ところが、空間が4次元だという仮定のもとでシュレーディンガー方程式を解いてみると、水素の束縛状態が存在しない。つまり、原子がつくれないのである。その理由は、クーロンの法則による電荷間の力が距離の2乗ではなく3乗に反比例するので、距離とともに急速に弱まるからである。

 人間原理という言葉を意識的に使ったのは、カーター(Brandon Carter)である(1973)。彼はコペルニクス生誕500周年記念シンポジウムでこの考えを提案した。コペルニクスは、地球が宇宙の中心ではないという地動説を唱えた。このコペルニクスの原理をさらに拡張して、人間はこの宇宙の中で、いかなる特権的地位にもいないという考えが提案された。これは「宇宙原理」と呼ばれる。カーターはこの考えに、異を唱えたことになる。確かに地球は宇宙の中心にいるわけではないし、銀河も宇宙の中心にあるわけではない。しかしながら、それでも人間は(少しは)特権的な地位にいるというのが人間原理の考えである。

 カーターは人間原理を「弱い人間原理」と「強い人間原理」に分類した。カーターの言う弱い人間原理は、ディッケが言うように、人間が宇宙の中で、特定の時間と空間にいるのは必然であるという考えである。強い人間原理はさらに進んで、上に述べたように自然定数が特定の値を取るのは、観測者としての人間が存在するからだと主張する。

 バーローとティプラーは1986年にThe Anthropic Cosmological Principleという本を書いた。この中でバーローたちは人間原理に都合の良いさまざまな例を紹介している。ただここで少し混乱が生じたのが、弱い人間原理と強い人間原理の定義を、カーターのものとは少し違えたことである。彼らは強い人間原理では、この宇宙では必ず知的生命体が生じると主張した。この考え方はキリスト教が主張する創造説やデザイン説にながる可能性をもっていた。

木場の現在:木場公園

 都立の木場公園は、木場、平野、三好にまたがり、総面積は24.2ha。地名が示すように近辺は材木業関連の倉庫や貯木場が集まっていた。新しい埋立地ができ、貯木場が新木場へ移転したため、水害、火災、地震被害を食い止めるために、公園を作ることになった。木場の貯木場があったことを残すべく、毎年10月の江東区民祭りでは「木場の角乗」が行われる。

 1969年(昭和44年)に新木場に材木業者が移転を始めるのを受けて、公園計画がスタート。1992年(平成4年)6月に開園した。木場公園の特徴は、仙台掘川を隔てて北地区・中地区・南地区に分かれていて、それらが「木場公園大橋」でつながれていることである。

 木場公園の北地区の端には、東京都現代美術館(MOT)がある。様々な現代アートの企画展を行っている。美術館の中にはカフェやライブラリーなどがあるが、残念なことに改修のため2016年6月から休館になっていて、現在も改修中。

 写真は、木場公園大橋、仙台堀川と中地区、南地区にある「ふれあい広場」と都市緑化植物園。都市緑化植物園は、家庭の庭園やベランダに植える植物の見本園。

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夏の空と雲

 夏の空には勢いのある雲が似合う。そんな元気な雲を眺めながら、

 電線を飲み込むほどの夏の雲、

 建物に負けるものかと夏の雲、

 雲の穴覗いてみれば青い空、

 隙間から光が漏れる夏の雲、

などとつい呟きたくなる。それが雲の入った光景の魅力である。

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