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晴海、豊洲の歴史モザイク

 新市場のある豊洲から晴海大橋を歩いていく。結構な登りなのだが、左手に晴海埠頭が見えてくる。晴海は再開発が進み、タワーマンションや高層のオフィスビルが立ち並ぶ。さらに、中央清掃工場とその煙突は威風堂々といったところで、その左手にはつい最近まで東京国際見本市会場跡地が無残に広がっていた。ところが、今ではクレーンが林立し、東京オリンピックパラリンピックの選手村の建設が始まっている。
 さて、眼を転じると、埠頭寄りの風景はガラリと異なり、鈴江コーポレーションの窓がことごとく閉じられた倉庫と晴海埠頭4号上屋(いずれも閉鎖)が廃墟の如くに並んでいる。倉庫脇には東京港湾局専用線の貨物専用の線路が埋まっていて、戦後の復興を支えた晴海埠頭の面影が偲ばれる。この辺は戦後の代表的な風景として、高層ビル群に張り合っている感がないことはないのだが、それにしても寂しい風景であるのは疑うべくもなく、兵どもの夢の跡なのである。

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 それにしても、豊洲大橋が開通し、選手村ができたときに、この取り残された昭和の風景は一体どうなっているのだろうか。残しておきたい戦後と21世紀の風景をつくりたい気持ち、いずれを私たちは優先するのだろうか。強欲な私は両方ほしいと思うのだが…、その一方で、歴史は風景をモザイクのように分断したままで、その情け容赦ない力の前で翻弄される人々の蠢きが肌に突き刺さってくる。
*上屋(うわや):船と倉庫との間の荷さばきの中継作業を行う施設。埠頭で船舶が接岸係留する場所に近いところに設けられ,荷さばきのほかに乗降船客の待合室にも利用される。
 さて、この晴海大橋の反対側、つまり右側に眼を転じると、そこは豊洲。春海橋の横に架かる晴海橋梁が眼に飛び込んでくる。これは旧晴海線の鉄橋で、周りの風景の中で取り残され、利用されずに「そこにある」だけの遺構である。これをつくったIHIはすぐ横に見事な本社ビルを構えるが、この橋梁は歴史的な建築物かと問われると困ってしまう。

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 取り残されたままの晴海埠頭4号上屋や晴海橋梁が気になり、湾岸の鉄道輸送を調べてみる。歴史は1923年(大正12年)の関東大震災まで遡る。地震で陸上の交通網が壊滅。これをきっかけに東京港の本格的な整備が開始され、まず芝浦に日の出埠頭ができ、芝浦埠頭、竹芝埠頭と順次整備が進む。日の出埠頭への貨物輸送のために、「芝浦臨港線」が1930年(昭和5年)完成。今の「ゆりかもめ」は1962年以降の臨港線経路にほぼ沿っている。
 豊洲・晴海地区だけ見てみよう。第二次世界大戦後、芝浦側の埠頭が進駐軍によりほぼ接収されたため、豊洲埠頭の工事が1949年から再開され、1950年石炭埠頭が供用開始された。これに合わせて1953年越中島駅から豊洲石炭埠頭まで延長2,590 mの深川線が開業。
 豊洲地区への臨港鉄道が伸びると、そこから分岐した専用線も増えていく。1955年には、深川線から分岐して豊洲物揚場線(とよすものあげばせん)の最初の区間が開通し、その後順次延長工事が行われた。豊洲地区では、今話題の東京ガス専用線を分岐している。
東京ガスのガス工場(この跡地が今の豊洲新市場)は、石炭を処理して都市ガスを生産し、副産物のコークスを出荷するという枠組みで稼動していた。このコークスの出荷は、1971年には越中島駅の貨物取扱量の3分の1を占めていた。東京港の臨港鉄道は1965年頃には線路総延長24 kmまでに成長し、輸送量のピークを迎えた。だが、トラック輸送への転換が進み、輸送量は減少。深川線の輸送量の大きな部分を占めていた東京ガスの輸送も1977年に専用線が廃止となった。廃止となった路線跡は多くが再開発されたが、晴海運河に架かる晴海線の晴海橋梁は最大の遺構で、現在もそのまま残されている。
 晴海埠頭4号上屋と晴海橋梁は今のところ風雨にさらされたままだが、そのまま取り壊すのは何とも芸がなく、悔いが残るだけの愚策。

知の博物学:欲望と煩悩

 21世紀の今、知識と言えば科学的知識のことであり、その他の「知識」はかつてほどは重要視されなくなってきています。知恵がほとんど進歩しないのに対し、知識は日々進歩し、新しい情報が目白押しです。科学理論や科学技術は目まぐるしく変わりますが、宗教や道徳は変わることを嫌います。習慣は変化を拒むための工夫ですが、知識は習慣ではありません。でも、人の本性や心理、倫理や道徳は習慣として教えられ、変わり身のうまい知識とは馴染まないものをもっています。そんな話をしてみたいのですが、まずは欲望についての常識=博物学を考えてみましょう。私たちの心の内はまだ手探り状態のフロンティアーですが、例えば欲望についての科学知識は未だに僅かしかなく、私たちがもつ欲望像のほとんどは生活の中で生まれた常識であり、生活の知恵に基づくもので、習慣として受け継がれてきたものです。では、どのような習慣を半ば遺産として受け継いできたのでしょうか。

証拠(1)
 「本能は煩悩である。その煩悩の世界から解脱し、悟りをひらく」のが仏教の教えです。誰の心にも迷いがあります。仏教ではこれを「煩悩」と呼んできました。百八煩悩と言われるほどで、人の心はさまざまに迷います。なかでも、人の心を最も毒す代表的な煩悩が三つあります。それらは「貪欲(どんよく)」、「瞋恚(しんに)」、「愚痴(ぐち)」、略して「貪(とん)」、「瞋(じん)」、「痴(ち)」と言い、三毒と呼ばれています。
 「貪欲」とは、むさぼりの心であり、自分だけがうまいことをしようとする強欲な心です。人間の欲には五つあります。食欲、睡眠欲、性欲という本能的欲望のほかに、財欲、名誉欲です。これが五欲。こう書けば、食べることも、眠ることも、愛することも、みんな欲ということになります。「知足者富(たるをしるものはとむ)」という老子のことばがあります。「欲をかくのは、ほどほどにしろ。そうすれば心は豊かになり、ふところも豊かになる」という意味です。こういう心がけでいると、私利私欲はいつの間にか、「公利公欲」、つまり、社会のための利益を考えるということになります。これが「大欲(たいよく)」です。ここまでくると、仏道の目的である「煩悩かえって菩薩となる」という境地にまで到達できるのです。
 さて、次の「瞋恚(しんに)」は怒りの心です。「よく怒る人は、欲が深い」と言われ来ました。確かに、欲の深い人はわがままで怒りやすい。このように、貪と瞋は親戚です。「怒り」というのは、瞬間湯沸器のようにすぐカッとなることです。何かが心のカンにさわると、たちまち怒り出すのです。ところが、「瞋恚」の瞋(いか)りは、目を三角にして瞋ることであり、恚(いか)りは、恨みに恨んで恚ることです。したがって、「瞋恚」は、ねちねちと嫉妬心から瞋ることが多いのです。「生きかわり、死にかわり、たとえ地獄の果てまでも、この恨み晴らさずにおくものか」というのが、いちばん恐ろしい。
 最後は「愚痴(ぐち)」。自分の望みがかなえられないと、愚かな喧嘩をはじめる。それに負けると、こんどは愚痴をいう。貪欲や愚痴の心で世の中を生きていると、他の人が困ることがわからない。それでいて愚痴をいうから、救われないことになります。

*さて、仏教におけるこのような煩悩のもっともらしい分類は一見説得力がありそうに見えます。つい成程と思ってしまうのですが、分類の根拠も、分類から何が主張できるかも定かではありません。仏教は心理学ではありませんから、分類基準はどのような根拠なのか説明する必要などないのですが、尋ねてみたくなります。煩悩とその分類が博物学的な分類と同じのか、それとも異なるのか、断然知りたくなってきます。上述の説明など心理学が描くのに苦慮する煩悩を宗教的知恵で見事に描いていて、ついついブッダとその弟子たちの見事な知恵だと思い込みたくなるのは私だけではないと思います。

証拠(2)
 別の博物学的、宗教的な主張は「悟りとアルコール」です。典型的な類推による説明に過ぎないのですが、それなりに説得力があるのは一体なぜなのか考えさせられます。
 この世に生まれてくる誰も、基本的にアルコール依存症の状態。ですから、この世はアルコール依存症更生施設なのです。この世はアルコール依存症更生施設ですから、酒好きの人や、やめる気のない人から見たら、思いどおりにいかない極めて不自由な場所になります。逆に、自分はアルコール依存症という自覚があり、完治に向けて努力する人にとっては、心身を改善するための、実にありがたい場所となります。
 さて、既に述べた仏教的な「煩悩」を「アルコール」に置きかえてみましょう。私たち凡夫・衆生は日々その煩悩という名のアルコールを絶え間なく浴びるように飲み続けています。それに対して覚者・仏陀は煩悩(酒)を絶ち、体からスッキリとアルコールが抜けきった人ということになります。「煩悩=アルコールであり、凡夫や衆生=その煩悩に溺れて苦しむアルコール依存症の酔っぱらい、覚者・仏陀=そのアルコール依存症から回復した人、アルコールを断ち切った人」であり、この世の目的はアルコール依存症からの回復であり、この世はそのための更正施設なのです。
 では、アルコール(煩悩)をやめるにはどうすればいいのか。ビールだろうと日本酒だろうと、酒は酒、アルコールはアルコールであるように、怒り、憎しみだろうと嫉妬、傲慢だろうと、煩悩は煩悩です。アルコール依存症患者(凡夫)の中には「お酒がなくて人生は楽しいか」などと言う人がいますが、これはたわ言。完全にシラフで物事を正常に判断できる状態と、へべれけに酔って物事の判断もまともにできないほど泥酔している状態と、両方知った上で、つまり一度は悟って(アルコールを抜いて)その上でたまには酒を飲むことを選ぶというならまだしも、一度もシラフの状態も知らないアルコール依存症患者がこんな偉そうなことを言っても単に酒をやめられない自分自身の言い訳でしかありません。それに対して、酒をやめた人、アルコール(煩悩)の害を悟った人はきっと次のように感じるのです。「これまでさんざん酒で失敗してきたし、アルコール依存症で苦しんできたから、その酒をやめられて自分の心身の健康はもちろん、自分の経済状態やライフスタイル、人間関係もすべて悪循環を断ち切って健康的なものに変えられたんだから、こんなに清々しいことはない」と。

*これも面白い例え話ですが、煩悩とアルコールは目新しい比較ではなく、アルコールを飲むことは煩悩の一つに過ぎないことを確認しただけのことに過ぎません。アルコール以上に依存度の強い薬となると、こんな呑気な話では済まなくなります。病的な煩悩は個人のコントロールを越え、致命的な影響を心身の両方に及ぼすことになります。
 病的煩悩の一例に万引きをやめられない病気「クレプトマニア」があります。本人は万引きが悪いことだとわかっています。財布にお金が入っているのに、やめられない。罪悪感を感じていても、万引きへの衝動を抑えられません。この人は「クレプトマニア(窃盗症)」という病気。クレプトマニアは、経済的な余裕があるにもかかわらず窃盗を繰り返してしまいます。もともと、窃盗は再犯率が高い犯罪ですが、こうした通常の窃盗の再犯とクレプトマニアの間には、何か違いがあるのでしょうか。
 多くの場合、クレプトマニアは拒食症や過食症といった摂食障害に伴って発症します。たくさん食べて吐くことを繰り返す『過食嘔吐』の人が、クレプトマニアを発症しやすいようです。摂食障害は、ダイエットなどをきっかけに発症するケースが多く、クレプトマニアの患者も女性が大半を占めます。では、クレプトマニアと普通の窃盗は、どう違うのでしょうか。クレプトマニアが普通の窃盗と異なるのは、経済的な利益ではなく「盗むこと」それ自体を目的にしている点です。普通の窃盗は、経済的な理由で犯行に及ぶことがほとんど。でも、クレプトマニアは犯行に及ぶ際に快感や解放感を感じて盗みをはたらくのです。「盗みたい」という欲望が万引きの原因になっているのです。
 クレプトマニアは、窃盗に関して冷静な判断ができません。「万引きすればタダで物が手に入るけど、逮捕されたくないから、やめよう」といった判断ができず、罰を受けるとわかっていても、やめられません。ですから、クレプトマニアに刑罰を与えても、再犯防止にはつながりません。

証拠(3)
 では、煩悩はヨーロッパではどのように扱われてきたのでしょうか。まずはフロイト。彼の精神分析では、「本能」は「生理的要求」または「生理的な発動行動機構」のことです。「本能心理学」という、何でも「本能」があるという心理学説が昔ありました。例えば、「闘争本能」、「恋愛本能」、「蓄財本能」、「殺人本能」、「発明本能」とか…これらはすべて否定されました。
 無限にそのような本能があるのは奇妙でしかなく、基本的な生理的要求などが本能で、それに文化的な学習が加わって、様々な要求が生じると考えられます。多くの要求は、生理的本能が基礎にあって、その上に文化的に獲得された行動と解釈されるのです。生理的本能は「快楽・快さ」を求めるものだとして、人は「快楽本能」をもっていると考えるのが、フロイトの理論の基本です。
 人の心の中に快楽を求めてやまない本能的な「私」がいて、フロイトはこれを「エス・イッド(それ)」と名付けました。しかし、エスの快楽を求める要求は、無限に拡大され、反社会的、反道徳的、反倫理的なものさえ求めるので、これを抑制しないと、社会人として生きることは困難になります。自分の快楽のため、人からものを盗んだり、女性を強姦したり、殺人を犯したりすることは社会的に許されず、心の中にそのような反社会的行動を規制し抑圧するメカニズムがあるのだとフロイトは主張します。この「規制し、抑圧するメカニズム」が「超自我」です。快楽を無限に求める、反社会的ともいえるエスと、それを規制する超自我の間にあって、エスに従って、快楽を求めようとして、超自我に抑制され、社会的な行動を行う主体が、自我(エゴ)ということになります。人間の行動の色々な場面で、この快楽を求める反社会的なエスと、社会性を体現したような超自我のあいだで、自我の行動が決まってくるのです。
 上述したクレプトマニアとニーチェキルケゴールを比較するとは何事かと非難されるのでしょうが、彼らの深淵な分析は意外に近いところにヒントが転がっているようです。それは何のことか見てみましょう。ニーチェは、「結局のところ、人間はおのれの欲望を愛して、欲望されたものを愛しているのではない。」と声高に主張します。フロイトも同じようなことを述べています。おのれの欲望を愛して、欲望されたものを愛さない場合、私たちはどうなるのでしょうか。答えは、欲望の充足が永遠に先延ばしになるのです。欲望されたものを愛した人は、その対象を手に入れた時に、欲望が満たされ満足して終わります。例えば、ある特定の希少な茶碗を愛した人は、その茶碗を手に入れると満足します。しかし、何かを求める自分の欲望自体を愛した人(例えば、クレプトマニア)は、決して満足することができません。
 キルケゴールは、自らの欲望を愛してしまった人物として、ローマの皇帝ネロとドンファンの心理分析をしています。ネロは権力欲を愛した人として、ドンファンは恋愛欲を愛した人として分析するのです。キルケゴールによれば、二人ともどうしようもない空虚感に行き着くのです。欲望を愛した場合、満足が先延ばしになるので、ガソリンを補給せずに眼前の蜃気楼を追いかけて走る車に似ています。満足感=ガソリンが補給されないので、走れば走るほど、燃料タンクは空になります。ガソリンが底をついても、走りたい欲望だけはさらに増し、苦しみだけが増すことになるのです。解決法は一つしかなく、走りたがっている自分を殺すこと。フロイトが言う「死の本能」とは、満足が先延ばしされ、心の空虚に耐えられなくなった人が、苦しみの原因である「欲望を欲望する自分自身」を消し去ろうとする衝動です。でも、死の本能こそ消し去らねばならないもののはずです。
 仏教では、おのれの欲望を愛することは「貪欲」でした。貪欲が罪とされるのは、満足の先延ばしが、空虚感を生み、自己破壊の衝動が自分を壊してしまうからだと思われます。逆に、「欲望されたものを愛する」ことは、愛と呼ばれます。愛は、明確な対象を持っています。したがって、それを手に入れた時は、大いに満足します。恋愛の場合、「貪欲」は「恋に恋する」状態となります。「愛」は特定の誰かを目標にします。成功の場合、「貪欲」は成功欲と呼ばれます。「愛」は夢やビジョンと呼ばれます。食事の場合は、「貪欲」は過食と呼ばれ、「愛」は好物と呼ばれることでしょう。貪欲は、制限がないので満足が先延ばしにされ、愛は、明確な制限をもつので満足に到達します。というわけで、欲望の倫理とは、「おのれの欲望を愛するのか、それとも欲望されたものを愛するのか」となるのです。
 ニーチェキルケゴールは「欲望を欲する」ことに関心を寄せ、意味を与えようとするのですが、その姿勢には「何かを欲する」ことと「欲することを欲する」の間に格段の差があるように受け取られかねません。「何かを欲する」より「欲することを欲する」方がより哲学的に見えてしまうのですが、そんなことはなく、彼らが大袈裟に分けるだけのことです。万引き、アルコール、麻薬を考えてみれば十分で、そこに哲学的な違いを強調すべき点は何もありません。「何かを欲する」の「何か」が満たされればが欲望が解消されるというほど実際は単純ではなく、一度だけ欲するれば済む欲望から、何度欲しても満たされない欲望まで、その容態は千差万別で、簡単に二つに分類できるといったものではありません。常習的な習慣はいつも欲することを強要するため、彼らが考える「解消しない欲望=欲望を欲望する」は、病的な欲望にはむしろ当たり前のことなのです。麻薬を使うと満たされても、直にまた欲しくなる、そして、それは際限なく続き、習慣化し、病気と変わらなくなるのです。
 過食症における過食を考えてみましょう。過食は通常では考えられないほどの食べ物を、次々と口の中に詰め込むように摂取するのが特徴です。腹が破裂するかと思うほど満腹で痛くなってもまだ止められないのです。普通の人でも疲れたりイライラすると食べたくなりますが、これは脳が栄養を欲しているため。例えば、甘い物を食べると脳内の報酬系が刺激され、快楽をもたらし、ストレス解消になります。過食の際も、最初は気分がよくなりますが、実際はもう食べたくないのに食べるのを止められない苦痛に苛まれ、特に過食後は猛烈な自己嫌悪に陥ることが多いのです。強い嫌悪感や太ることへの恐怖心から、自分で食べた物を吐き出す自己誘発嘔吐(過食嘔吐)、下剤や浣腸、利尿剤の濫用による排出行為をするのも過食症の特徴です。
 このような過食と代償行動の繰り返しが、最低週1回以上、3カ月間ほど続く状態が過食症です。食べている間は頭が真っ白になって嫌なことを忘れられますが、食べた後に我に返って罪悪感に苛まれるのです。過食後の体重増加が怖いため、喉に指を入れて吐いたり、下剤などで排出しようとします。
 過食と排出行為は大きなストレスを生じ、これを解消するためにさらに過食を繰り返してしまうといった悪循環に陥ります。また、一度に大量の糖分や炭水化物を摂ることで血糖値が上がり、これを減らすために体内でインスリンを分泌して下げるといった状態が繰り返されると、インスリンの分泌調整がうまくいかなくなり、低血糖症になることもあります。低血糖症になると脳がエネルギーを欲して「食べろ」という指令を出し、空腹感や食欲が増強し、ますます過食が自分の意志ではやめられなくなるのです。

過食症アルコール依存症などは脳を含めた身体の変化がわかり始め、治療に生かされ出しています。そして、欲望、煩悩などの過去の分析や考察による知恵がそこに重ねられて、インターフェイスのような領域が日常生活の中だけでなく、臨床心理学や心療内科の中にも生まれています。知識と知恵が混じり合った状態は次第に知識の比重が増えていくと予想できます。

習慣

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 3月も半ば近くなると、春の陽気に誘われて身体を動かしたくなる。人は習慣の産物のせいか、身体を動かすのさえ自由気ままにではなく、学習した規則やルールに従って動かしてしまう。スポーツはその悲しき代表で、大抵の競技やゲームはルールからなっている。そして、不思議なことに、私たちはそれらルールに嬉々として従うのである。アスリートは不自由人のチャンピオン。着るものまで決められ、勝手に動こうものなら、反則だと注意される始末。殺人にルールは必要ないが、格闘技にはルールは不可欠。

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光の素直でない反射

 春の淡い光の中で歪み、揺れ動いて映る像は仮象に過ぎないのだと思い、それなら実像は何なのかと問いたくなる。それは賢者ぶった悪魔の問いで、要注意。その問いに反応して、ガラス窓に映っている建物自体が実像なのだと言いたい誘惑に駆られるが、建物は像ではない。では、揺れ動くような像は仮象ではなく、実像なのか。哲学者についての解説が哲学でないのとは違った意味で、こんな風な質疑応答も哲学ではない。
 こんな頓珍漢な前段は何の意味もなく、だからきっぱり忘れ、ガラス窓が生み出す揺れるような反射像になぜ私たちは関心を持つのか考えべきなのである。揺れ動く像に惹きつけられ、そこから何が生まれたのか、何を知ったのか、何をつくったのかについて思いを巡らしてみよう。私たちが惹きつけられた先にあるのは光である。仮象も実像も光あったればこそのものに過ぎない。光への飽くなき好奇心は幾何光学、光の物理学をつくり出し、多くの絵画、中でも印象派の光り輝く絵画のきっかけとなった。
 そんなことより遥かに私たちの背骨になっていることがある。私たちは闇ではなく光の中で暮らし、光によって生かされている、そのことを忘れてはならない。私たちの現世は光に溢れた世界であり、光はいつも私たちと共に存在する。私たちは世界を見て、知るのであるが、それは光がなければできないことである。

*「神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て良しとされた。神は光と闇を分け」(創世記1:3-5)とある。キリスト教でも(そして、他の宗教でも)光が重要なのだが、その前に「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」(創世記1:1-2)とある。光は世界がつくられた後に別につくられたことになっている。
 では、今のインフレーション宇宙論での光はどうか。

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表情や身体表現から感情を探る、あるいは表情や身体表現から感情を学ぶこと

 「怒り」という感情は、怒っている人間の表情や声の出し方や身ぶりを模倣することによって学習される。子どもの内面に「怒り」の感情があって、それが表出して「怒り」の表情や身体表現になるのではない。他人の「怒り」の表情や身体表現を模倣し、その表現に伴う情動が内面化され、「怒り」の感情が生まれるのである。これは子どもの感情が豊かになる過程を仔細に観察していればわかることである。他人の表情や身体表現の模倣に熟達するにつれて、子供の感情は深まり、多様化していく。子供は「怒り」を大人の表情や身体表現から学ぶのである。「怒り」や「悲しみ」は模倣しやすいのに対し、「安堵」や「憂い」となると相当に難しく、成熟と熟練が上手く組み合わせないと内面化はできないだろう。
 したがって、感情は他人の表情や身体表現を模倣することによって生まれるわけであるから、表情や身体表現が伴わない、いわば「純粋」感情などというものは存在しない。言葉を生まれつき持っている人はおらず、学習によって言葉を習得するのであるから、生得言語は否定される。感情もそれと同じで、生得感情はなく、獲得的なのである。

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 あなたが「人類最後の一人」になったとしてみよう。あなたは自分が「人類最後の一人」になり、大いに悲しむ。たぶん、その悲しみを涙を出したり、泣き叫んだりして表現するはずである。だが、どうしてあなたはそんなときにも「誰が見ても、それとわかる悲しみの定型」を忠実になぞるのか?誰もいないのだから、そんなことをする必要は全くないのである。純然たる悲しみの感情だけがあるだけでよく、それを身体化する必要はないのである(見ている人は誰もいないのだから)。だが、誰も見ていない場所においてでさえ、「ああ、この人は悲しんでいるな」と他人にわかるような表情や感情表現を外に出すのである。いや、そうせざるを得ない。というのも、表情や身体表現抜きで、輪郭のはっきりした感情をもち、それを維持することが私たちにはできないからなのである。言葉の場合も全く同じで、誰もいないにもかかわらず、誰かに語るようにあなたは語り、心情を吐露するのである。

 さて、上述のような感情模倣説を主張されると、大抵の人は反発するのではないか。「私の悲しみの感情は本物で、学習によって後天的に植えつけられたものなどではない。楽しみも怒りも然りで、そのような多様な感情をもつことが私の生活をユニークなものにしているのだ」といった気持ちをもつはずである。また、言葉は頼れなくても、感情は嘘をつかないということに同感する人は多いはずである。感情は生得的だが、言葉は獲得的だという意見は未だに常識として通用しているようである。感情も言葉もいずれも獲得的、と声高に言われると反発したくなるものである。

 この感情模倣説を今しばらく続けてみよう。感情とは(観客がいることで有意味になる)社会的な記号なのである。そして、表情や感情表現は、それを見ている他者のミラーニューロンを賦活させ、内面化されて、他者のうちに同質の感情を作り出す。自分の内面には「そんな感情」がなくても、それを真似て、演じているうちに「そんな感情」が自分のうちにも、そして自分を見ている他者のうちにも生まれてくるのである。
 このような見方を最近の政治家に関する議論に応用してみよう。他人の心を直接に操作したい人、つまり、政治家は理屈だけではなく、怒り、悲しみ、苦悩の演技に熟達するようになる。政治家は役者と演出家の一人二役といったところである。感情表現に熟達した政治家が「過剰に感情的」に見えるのは、当たり前のことなのである。以前の東京や大阪の知事は怒りを剥き出しにすることでメディアの注目を集め続けたが、これは計算ずくのパフォーマンス。「怒り、叫ぶ人」は衆人の耳目を最優先に集めることができる。「怒る政治家」たちは、それを知り、巧みに利用しているのである。
 政治家だけではなく、メディアに登場する知識人たちも、感情を抑制する努力を怠るようになってきた。たぶん、その方が自分たちの言い分を通す上で効果的だということを学んだからなのだろう。「子どもらしく/大人らしく」、「男らしく/女らしく」ふるまわなければならないという社会的規範がどれほど人の心を抑圧し、傷つけているかについて、私たちは飽きるほど聞かされてきた。例えば、「「らしく」という抑圧的行動規範こそが父権制を支えているのだ。「らしさ」の呪縛から人々は解き放たれねばならない。人は「自分らしく」ありさえすればよい。それ以外のすべての社会的行動規範は廃絶されるべきである。」というような…この二十年ほどそんな話ばかりだった。だが、そう主張した人々は「感情の成熟」ということについてどこまで真剣に考えていたのだろうか。
 私たちは子どものときは「子どもらしさ」を学習し、それから順次「男らしさ/女らしさ」や「生徒らしさ」や「年長者らしさ」や「老人らしさ」を学習してゆく。さらには育児や老親の介護を通じて、「子どもに対する親らしさ」や「(親に対する)子どもらしさ」といった変化技を学習していく。そのようにして習得されたさまざまな「らしさ」が私たちの感情を細かく分節し、身体表現や思考を多様化し、深めてゆく。感情の成熟とはそのようなことである。言葉の巧みな使用が文学を生み出したように、感情の巧みな表現は演劇を生み出してきた。
 「感情の学習」を止めてしまい、「自分らしさ」の表出を優先させてゆけば、幼児期に最初に学習した「怒り、悲しみ」といった「原始的感情」だけを選択的に発達させた人間ができ上がる。そのような人間であることは、今のところ、まわりの人々の関心と配慮を一身に集めるという「利得」をもたらしている。なぜなら、「怒っている人間、悲しんでいる人間の中で最優先にケアすべきなのは子供たちである」という人類学的な刷り込みが生きているからである。けれども、現在の私たちの社会では、「過度に感情的であることの利得」にあまりに多くの人々が嗜癖し始めている。それは私たちの社会が、「大人のいない社会」になりつつあるということを意味している。

 さて、今度は表情や感情表現の生得説に転じてみよう。チャールズ・ダーウィンは著書『人及び動物の表情について』(1872)を書く前に、世界各地の先住民族へ手紙を送り、それぞれの表情についてアンケートをとった。このアンケートは現在から見れば不十分なものでも、その結果に基づいてダーウィンは「表情は人類に共通なもの」と結論づけた。ダーウィンの『人及び動物の表情について』(浜中浜太郎訳、岩波文庫、1931)はThe Expression of the Emotions in Man and Animalsの訳書で、古色蒼然たる旧字体で、趣を簡易る一冊。本書の構成は三部構成。まず感情の表出についての三つの原則を説明し、第二部で動物について、第三部で人間について論じている。
三原則
1.連合的習慣の原理「The principle of serviceable associated habits」
2.反対の原理「The principle of antithesis」
3.意思からも、習慣からも独立した神経系の構造による動作の原理「The principle of actions due to the constitution of the nervous system, independently from the first of the will, and independently to a certain extent of habit」

第1の原理についてはイヌの特徴や、人において身振りが遺伝することなどが取り上げられている。第2の原理についてはイヌの攻撃的なときの姿勢と飼い主にじゃれつくときの姿勢が正反対なことが図入りで示されている。第3の原理については筋肉がふるえることや強い痛みの時に汗が出ることなどが説明されている。

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 続いて、第二部は動物の表情についてで、動物に内的な感情があることを前提にした議論である。まず、音声についての話。鳥などのつがいが相手を呼ぶ音声や子が母親を呼ぶ音声、そして敵を怖がらせるための音声を挙げ、それぞれの状況と音声が連合の原理で説明できるとしている。そして、人の声も感情と深く結びついていると説明している。また、音楽は求愛行動と深く連合しているのではないかと推測している。
 音を出すようになる進化の説明としてガラガラヘビの警戒音の仕組みを細かく説明しているところはいかにもダーウィンらしい細やかな考察。続いて、動物の姿勢に関して、敵への対応として姿勢を大きく見せる効果のある姿勢をとること、またかみつき攻撃を行う相手と闘争するときには耳を咬まれないように耳を寝かせると説明している。
 第三部は人について。個別の感情とその表出について考察が続く。まず最初の感情は苦悩。ダーウィンの最初の疑問はそもそもなぜ人は悲しいと涙を出すのかということ。ダーウィンは、悲しいと大声を出す、それは血流を変え、充血等の作用から眼を保護するために目を閉じようとする、そしてその眼の筋肉の作用と連合して涙が出るように習慣づけられ、最終的には悲しみと涙の間に連合が生じたのだと説く。続いて、悲しいときに眉を上げることと口角を引くことについて。ダーウィンはこれは泣くのをやめようとしてがんばることによる連合だと説明している。悲しみを表す眉の上げ方は内側のみあがる形で非常に特徴的で、ダーウィンはこれも細かく観察している。
 次は喜びと笑い。口を開き口角を後ろに引き、上唇はあがる、眉が下がる、目が輝く、笑いとして声を出すことを観察。声を上げて笑うこと、口の形については説明できないとダーウィンは認めている。不平があるときに口をとがらせることについてはチンパンジーやオランウータンにも見られると指摘している。
 激怒の表情。血流が速くなり、呼吸も荒くなるのは筋肉運動の準備との連合、歯をむき出すのは動物祖先からの受け継ぎと説明している。嫌悪については味覚・嗅覚との連合が強いことを指摘。まずい食べ物に対しての感情がその他のものに拡張したのだとして、口の周りの動きにその吐こうとするときの動きの特徴がよく出ているとする。またこれが軽蔑と連合していると指摘している。
 驚愕。ダーウィンはより早くものを見ようとして眉があがり、呼吸を効率的にしようと口を開くと説明している。これと似た恐怖については、眉と口にくわえ、暗がりを見ようとして目が開かれるのだと説明している。
 赤面。これは意図的になるのではなく、本人は隠そうとしているのに信号が出されることから、ダーウィンは詳しく考察。そして、これは自分の外見がどう人に見られているかということからくる感情を表す信号だとする。もともとは容姿への注目であり、性淘汰的な外観が関連しているのだろうと推測している。そして、相手から注目されると赤面するのだと現象を説明する。心があるところに集中するとそこが収縮し,皮膚が動脈血で満たされて赤くなる。そして、それが連合して赤面するようになったというのがダーウィンの説明。性淘汰にまで言及しているのが、最終的な説明に到達していない。
 最後は結論。まず、表情が学習や文化によるものではなく、基本的に遺伝するものであることが強調される。そしてそれは連合等の3原理に基づくと説明される。その証拠として、意図的にコントロールできないものがあること、盲人でも同じような表情を浮かべることをあげている。実際にこのような表情が普遍的だと広く認められるようになるのは1970年代以降なのだが、ダーウィンは遙かに時代を先んじていた。今から考えるとダーウィンの提示したこの二点は非常に強力な議論である。また、ダーウィンは仕草や表情には学習によるものがあることも認めている.中には模倣によるものもあるだろうとし,現代的なミーム概念に近い考えまで示している。
 続いて、表情を見分ける能力が先験的かどうかに関しては、これは別の議論だとして断定的な結論を留保している。ただし、意識的な分析をしなくとも相手の感情が理解できること、発達心理的な分析からほぼ生得的と考えてよいことを述べている。

表情や感情の表出についての二つの主張を読んでみて、それが学習によるのか、生得的なのか、読者それぞれ考えてみてほしい。

風景を閉じ込める:庭園、神の国、浄土(3)

 さて、やっと乱歩の登場。江戸川乱歩は「パノラマ島綺譚」を「黄金の死」からl2年後に発表する。乱歩が谷崎の「黄金の死」を読み、ポーの「アルンハイムの地所」、その続編「ランダーの別荘」との酷似を認めたと思われる1917年から9年も経っている。それは「パノラマ島綺譚」はポーと谷崎の物語が乱歩の中で熟成される期間だったのだろう。「黄金の死」の庭園がボーの庭園とは似て非なるものであったに対し、「パノラマ」の庭園は形態面では共通点を持っている。両方とも庭園の中心部に到達するには舟に乗り高い岸壁の間を奥に進んでいく。行程は途中に池を経てくねくねと曲がりつつ行方も知れず続き、それが突き当たりとなると、さえぎる壁の向こうに新たな空間、すり鉢状の中心部が広がっている。道筋の風景もポーに類似している。だが、この人工の極み、過剰な清浄さ、超自然的な美は、ポーでは「天使のなせる業」であったに対し、乱歩では「悪魔の作為」によるもの。アルンハイムの無人に対し、パノラマ島に溢れる人間はこの両世界の乖離を決定づけている。人が誰もいないのと溢れているのでは、その差は自然と都市以上のものである。さらに、パノラマ島の人間はただの人間ではなく、人魚を演じ、白鳥を装い、さらには人肉の蓮台となり、肉布団となる、エロチックな白い肌に包まれた生暖かい血を秘める「人肉」である。乱歩の世界とポーの世界とはこのように隔絶している。
 主人公人見広介の地上庭園建設の夢を実現可能にしたのは、エリソンや岡村のように巨額の遺産ではなかった。いかにも乱歩らしいトリッキーな設定なのだが、彼は大富豪菰田源三郎と瓜二つで、その急死した男にすり替わるのである。人見はまず自らの死を偽装し、埋葬されたばかりの菰田の死体を他所に移し、菰田として墓から蘇る(乱歩風の怪奇で、なぜか緩んでいる)。菰田の妻であった千代子との関係は人見が克服しなければならないことだが、それが物語を牽引する。菰田の身体的特徴を詳細に知っている彼女と肉体的交渉をもつことは破局につながる。年来抱いてきた大きな理想を捨ててしまうことはできないと千代子の殺害を決意する。それが、探偵北見による真相の暴露、庭園の崩壊をもたらすことになる。
 もちろん、この人見の理想の庭園世界も、岡村のそれのように炸裂する花火の中で透明に輝く肉塊と血潮の光に一瞬照らし出されるだけである。 ポーの死によって浄化された天使たちの清浄無垢の世界と、谷崎の生ける肉体美、乱歩の肉塊と血潮の世界とは大きく隔たっている。だが、夢、理想、 本質を純粋にそのまま実現した世界、つまり「夢の現実化」としての庭園とそれを可能とする「死」は共通している。ポーは隠れた死を前提においている。だから、死は物語には現れず、それが可能とする理想の世界の景色を描くことができた。谷崎と乱歩は物語の最後に死を置き、その死に至るまで世界は地上的な肉体や物に溢れている。したがって、楽園そのものは描かれず、彼方に存在が示されるのみである。だから、ポーが描く世界は谷崎と乱歩の物語のあとにやってくるのである。

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(関山神社宝蔵院の庭園跡)

 現実の庭園史を振り返れば、西欧の庭園は現実のエデンの園であろうとする。したがって、形のない庭園=楽園は存在しない。一方、日本の庭園はそれを通して楽土が観想されるものである。仏教ではその世界が浄土である。これらは前回述べた通りである。脇道にそれるが、旧関山宝蔵院庭園もその一例。関山神社は長野県との県境に近い旧妙高村にある。関山神社の横にかつて宝蔵院と呼ばれた寺院があり、既に建物はないが、庭園がほぼその当時の姿をとどめた状態で残り、最近滝の石組みが復元された。宝蔵院は妙高山信仰の拠点として隆盛した寺院だが、江戸時代になり上野寛永寺の末寺となり、妙高山一帯を支配する領主となった。幕府から領地を認められ、妙高山と関山神社の祭礼を行っていた。宝蔵院の庭園は妙高山の姿を背景とした池泉式庭園。庭園は池を中心とし、地形を利用して高さ5メートルの滝が作られている。御膳清水と呼ばれる冷水が流れ落ちていた。信仰の山であった妙高山を背景としてその姿を庭園中心に取り組み、高い滝石組を対比させている所に庭の特徴があり、国指定の名勝でもある。妙高の風景とそれを閉じ込めた庭園は妙高で生まれ育った人々に共通する風景のミニチュアになっている。

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ブリューゲル穀物の収穫」1565)

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フェルメール「デルフトの眺望」1660頃)

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セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」1904)

 風景と言えばごく自然に脳裏に浮かぶのは「自然の風景」。人が住む風景なら都市の風景ということになるが、風景画が登場し、人と風景が主要な主題になるのは歴史的には16世紀以降とかなり遅い。ポンペイのフレスコ画や中国の山水画は例外である。自然は知られるべき好奇の対象として科学の対象になったが、そこに人や街が加わって生活の風景として知られるだけでなく、さらには享受されるものになっていく。様々に表現される自然や社会、そして人間は楽しまれる対象として認められ、支配階級だけの庭園から市民の公園へと変化していく。それは、貴族社会から市民社会への変化のためでもある。都市の景観としての風景は今では科学の対象になり、その知識は造園や都市計画に生かされるようになっている。
 かくして、「風景を経験する」ことは二つに分かれることになった。一つは至極平凡な科学的な観察という経験であり、他は風景の享受という経験である。つまり、「知る」ことと「享受する(味わう、楽しむ等)」ことの二つ、これが私たちの風景の経験である。
 「何をどのように知るか」が認識論の研究課題。デカルト以来19世紀まで認識論は科学と芸術に対して公平だった。知ることの仕組みは両方に恩恵をもたらすはずだった。だが、科学は観察の方法と手段に格段の進歩を見せ、思弁的に設定された知覚の仕組みに制約されることなく、風景の中の対象を観察することに成功した。風景を享受する方はまだ科学的探究は十分でなく、さらにそこには人の欲求や意志が働く。享受を科学的に知ることはまだ十分でないが、風景を実際に楽しむ芸術、文学は古来それを埋めるほどに様々な作品がつくられてきた。それら作品をつくった人々も、それらを享受する私たちも共に風景を味わい、楽しむ達人であり、享受の詳しい構造など知らなくても、経験内容は十分に享受できるのである。
 風景を所有すること、つまり庭園をもつことは今では公園の共有となっている。享受の民主主義が実現されている。視覚は風景を生み出し、風景を知るだけでなく味わい、楽しむことを私たちに与え、そこから私たちは風景をつくり、風景を利用することになり、風景はいつの間にか生死のための場所と言う意味を与えられるようになった。
 私たちは風景として世界を見ることを学ぶ。風景は私たちがつくるものである。その風景の中で私たちは生き、風景を変えたり、楽しんだり、あるいは非難したりすることによって生に執着するようになる。美景や醜景を判断し、再現し、旅行によって風景を享受し、死後の世界にまで風景を追い求めることになる。遊園地への希求は子供だけに限られない。遊ぶことができる風景は楽しい風景であり、戦場の風景とは好対照をなしている。同じ風景でも好天気の場合と嵐の場合はまるで違っている。
 風景から自然概念が生まれてくる。平坦で冷静な風景は客観的な観察に向いている。一方、天変地異の自然はダイナミックな風景として心に残るが、観察には向いていない。さらに、風景から社会概念が派生する。社会と言うと語弊があるだろう。街、家々、往来、道、橋等々、それらが風景の中で組み合わされ、社会の姿が風景の一部として浮かび上がってくる。風景の安定した構成材料を挙げれば、土地、地面、空、水、樹、山、湖、海等々、いずれも子供の頃の記憶の中に存在し、生まれ故郷の風景の中に必ずや登場するものになっている。当たり前のことだが、その故郷の風景こそ、人が最初に学んだ風景であり、誰の風景も最初に刻まれる風景は生まれ故郷の風景である。人は故郷で学んだ風景の中で自然を学び、社会の一員になり、社会の風景を学び、物理学や生物学を通じて科学的な自然にも開眼することになる。

風景を閉じ込める:庭園、神の国、浄土(2)

 マグリットの「アルンハイムの地所」からポーの作品を想像してはいけない。どの絵もポーの作品の挿絵にはなりそうもない。そこで、まずポーの「アルンハイムの地所」(新潮社、世界文学全集、谷崎清二訳)の風景描写を読んでいただきたい。

「船はその中へすべりこみ、急速力で下って大きな円形劇場へ着く。その周囲にはほの紫の山々が一面立ち並んで、長い裾を残る隈なく輝く河波に洗はせてゐる。忽ちアルンハイムの楽園の全景が眼前にひらける。(中略)高いなよやかな東洋の樹木や、鬱蒼たる灌木や、金色や、深紅色の小鳥の群れや、百合で縁を囲まれた湖や、菫、鬱金香、雛罌粟(ひなげし)、風信子(ヒヤシンス)、月下香等が生い茂った牧場や、金色の小川の長い、入り乱れた線やが、夢のように縺れ合って眼に映る。そして雑然とした是等の事物の中に半ゴシック風で、半サラセン風の大きな建物が聳え立って、奇蹟のやうに中央に止まってゐ
る。無数の張り出し窓や、長櫓や尖塔は、眞紅な日光に照り輝き、恰も氣仙(シルフ)や、妖精(フェアリー)や、魔神(ジニー)や、侏儒(ノーム)やが力を協せて作り出した幻の楼閣のやうに見える。」

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(エドガー・アラン・ポー

 そして、次は谷崎潤一郎の「金色の死」(谷崎が失敗作と考えたこの作品を論じたのが三島由紀夫。三島は「金色の死」を使って自分自身を語っている)。

「東京を西に距ること数十里の、相州箱根山の頂上に近い、仙石原から乙女峠へ通う山路を少し左へ外れた盆地(テーブルランド)で、蘆の湖畔に臨んだ風光明媚な一郭の地面を二万坪ばかり買い求めた上、彼は俄かに大土木を起こしました。田を埋め、畑を潰し、林を除き、池を掘り、噴水を作り、丘を築き、日々数百人の人夫を使役して、彼は自分の設計に係る芸術の天国を作り出そうと努力し始めました。第一に清冽な湖水の水を邸内深く引き込んで、翠緑滴るばかりなる丘と丘との間に漂茫たる入江を湛えさせ、其処にはセイリングやゴンドラや龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)や、種々様々の扁舟をさながら美しい港の如く浮べさせます。(中略)さて、此の千態万状を極めた山水の勝景に拠って古今東西の様式の粋を萃めた幾棟の建築物が建てられるのです。突兀としてちく立して居る南画風の奇峰の頂辺には、遊仙窟の詩を想い出すような支那流の楼閣が聳え、繚乱たる花園の噴水の周囲には希臘式の四角な殿堂が石の円柱を繞らし、湖に突き出た岬の一角には藤原時代の釣殿が水に近く勾欄を横え、風を遮る森林の奥には羅馬時代の大理石造の浴室が沸々として珠玉のような湯を漲らせます。」

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谷崎潤一郎

 風景を述べた二つの文章はそれぞれ(私には到底書けない)見事な描写になっているが、これだけでは二つの作品の違いがまるで見えてこない。それぞれの作品の主題や背景を暫し考えてみよう。まずは「アルンハイムの地所」。
 主人公エリソンは容姿・頭脳・家柄・財産に恵まれ、祖先の莫大な財産を相続。詩的な心を持つ彼は、新奇な美の創造に取りかかる。エリソンは「造園家を詩人に数えることはこれまでなかったが、これこそ新奇な美の創造にふさわしい領域だ」と考えた。そして、彼の芸術論がつづく。自然の造形は至高のものだが、風景の配置だけは改善の余地がある、本来完璧なものが配置されるはずだったが、地質的変動でくじかれてしまった、その混乱を静めるのが芸術の精神だ、と述べられる。エリソンはそれを補足し、完璧な地上は不死なる人間のため設計されていた、だが人間はそうならなかった、地上の混乱は、後になって考え出された「人間の死の状態」のための、準備(前兆)ではないか、と言う。
 私たちが絶景だと思っても、それは主観的な観点から見てそうなのかもしれない。遥か遠くから眺望できる存在、地の天使から見れば、混乱も秩序に見えるのかも知れない。両半球の広大な風景も、そういう存在のために配列されたのかも知れない。そして、地上の景色が不完全なのは死者のための準備だからで、その不完全さは、死者にとっては完全に見えるかもしれない、ということになる。「地の天使」、死者が見ている世界を、生者が眺めることができるように(死者が感じる完全と等しく、生者が完全と感じるように)創り上げたのが、このアルンハイムの地所で、それは正に死後の完全な世界。

 「厭離穢土・欣求浄土」と染抜きして旗印にしたのは家康。ただ一心に極楽を欣求し、早くこの世の忌まわしい厭離穢土すなわちこの世の厭な穢土を離れて一日でも早く、極楽へ行きたい。と民衆の士気を高め、死ぬことを歓喜に変えて戦をしたのである。ここに登場する「穢土、浄土」、さらには「天国、地獄」はどのような風景なのか。手短にまとめておこう
<天国>
 天国となればキリスト教だが、正しくは神の国と言うべきだろう。新約聖書には天国(Kingdom of Heaven)は一回だけで、他は全て神の国(Kingdom of God)。キリスト教を生んだユダヤ教神の国は、国や領土を指すのではなく、神の支配を表現したものだった。だから、キリスト教神の国も、神の霊的支配がなされるという意味である。
 キリストは、神の国の到来を宣教しながら数々の奇跡を起こす。病気の人を治癒させたり、身体に障害のある人を治癒させたり、死者を復活させたり、様々な跡を起こしている。このような奇跡は、既に神がこの世に到来していることを示し、神の国になりつつあることを暗示している。だが、まだ完全な神の国ではない。というのも、神の国になることを拒む人々がいるからである。神の国が完成するのはこの世の終わりのとき。その時、この世は神の国になる。この完成した神の国が天国。
<極楽>
仏教では仏の国を仏国土と呼ぶ。この仏国土は煩悩や汚れのない清らからところなので、浄土と言われる。キリスト教と違って、仏教には沢山の仏がいる。そして、その仏の数だけ仏国土、すなわち浄土がある。例えば、阿弥陀仏は西方に極楽世界という浄土を持っている。また、薬師仏は東方に浄瑠璃世界という浄土を持ち、毘盧舎那仏は宇宙の中心に蓮華蔵世界という浄土を持っている。私たちは、浄土と言えば阿弥陀仏の極楽をすぐ思い浮かべるため、浄土と言えば極楽と思いがちだが、極楽は浄土の一つに過ぎない。
 仏教にはこの浄土とは別に天界がある。仏教では、全ての生き物は輪廻転生すると考える。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人の六つが輪廻転生の世界。このうち天人が住んでいるのが天界。天人は非常に長寿だが、それでも寿命がある。天人でも死ぬとまた地獄から餓鬼へと回る。これが六道輪廻で、仏陀の教えを正しく悟れば、この六道輪廻を脱し、浄土に行くことができる。天人の住むところ天界は輪廻の輪の中にあるが、悟りを得た仏の住む浄土は輪廻の輪の外にある。