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校章

 白鳳丸が有明西埠頭に停泊している。以前白鳳丸について記したことがある。その際、「東大の海洋研究所に所属していた「白鳳丸」は…」と述べた。今回煙突に描かれているマークをよく見ると、どこかで見た形。東京大学の校章をもとにデザインされたものだと思われる。そう云えば、白鳳丸の最初の所属は東大だった。1948年に星野昌一名誉教授作図の「銀杏バッジ」が東大マークとなったが、銀杏は本郷キャンパスの銀杏並木に由来するらしい。落ち葉の季節にはキャンパスの掃除が十分でないためか一面黄色に変わって見事な風景になる。「ペンは剣よりつよし」に由来する慶應ロゴマークは誰が発案者か不明。

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(東大の校章)

 

山吹

 子供の頃、庭にあった山吹が咲くのは4月の下旬から5月にかけてで、新緑の中の黄色が強烈だった。落葉の低木で、日本中に見られる。美しい山吹色の花が咲き、『万葉集』にも詠まれている。太田道灌が農家で蓑を借りようとすると、娘が蓑の代わりに山吹の枝を差し出した。道灌は『後拾遺和歌集』(1086年)の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」(実がならない、つまり蓑はない)の歌を知らず、娘に立腹する。後にその無知を恥じたが、既に八重の山吹があったことがわかる。私の記憶の中の山吹も八重だったが、公園で見つけた山吹の花は5弁。桜が散り、周りは新緑が溢れ、その中でも黄色が眩しい。

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「樽」と「桶」の違い:その寓話

 樽と桶はどこがどのように違うのか。改めて問われると、日常生活の中の謎の姿が浮かび上がってくる。どうでもよい問いなのか、それとも生活に根ざす本質を突いた問いなのか、人によって、状況に応じて、その解答は様々に変わる。そんな面倒くさい事柄よりは、まずは樽と桶の違いと巷で言われている内容をまとめてみよう。
 樽は酒や醤油を入れ、保存と運搬に使われる蓋のある容器で、桶は風桶や寿司桶など、蓋のない容器。木製の場合は、側板に板目板を使うのが「樽」、柾目板を使うのが「桶」。板目板は木目が平行でなく山形や波形をしたもので、水分を吸収しにくく、蒸発させにくい性質があるため、酒や醤油などの貯蔵に使われる。柾目板は木目がほぼ平行で均等に並んだもので、水分を吸収しやすい性質があるため、中身の出し入れが頻繁な風呂桶や水桶などに使われる。このように、基本的には蓋の有無や使用する板の違いによって、樽と桶は区別されるが、例外が多くあり、はっきり区別できないのが樽と桶である。漬物を入れる容器は、「漬物樽」とも「漬物桶」とも呼ばる。酒や醤油のように中身を取り出す際には穴を開け、蓋が閉じられたままのものであれば「樽」で間違いないが、漬物の容器は、保存時には蓋が閉じられているため「樽」、中身を取り出す際には蓋を開けるため「桶」とも言えて、区別が難しい。雨水を貯めておく天水桶は蓋があるものと無いものがあり、木製の場合は、水を長期に貯めるため板目板が使われる。棺「桶」の形は樽型である。ここまでの説明は退屈この上ないのだが、成程と思う人も結構いるだろう。

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 さて、二枚の写真を見て、「どちらが桶で、どちらが樽か」考えてみよう。木の板に注目してみると、最初が桶、次が樽。桶は柾目の板を使い、樽は板目の板。柾目の特徴は、反りやくるいが少なく、桶など液体のものを入れるための容器として液体を逃がさないように柾目材を使用してきたようである。樽は桶に比べ長期間液体を保管する時に使われる。板には表と裏があり、反る方向が表と裏で違う。樽は、その表と裏を交互に使うことで反る方向が逆のためにブロックされて、水分が漏れ出すことを防いでいる。先人の知恵は見事なものだと感心するのもいいが、樽と桶を峻別する肝心のものとはいったい何なのかと問い詰めていくと、次第にわからなくなっていく。
<寓話>
 桶と樽がどのように異なるか、その歴史はどうなっていたかなど、民俗学では格好の題材だと思われてきた。英語でも、樽はbarrel、桶はpail, bucket, tubと別々に呼ばれているから、日本語から生まれた特殊な事柄でもない。桶にはたらい、湯桶、風呂桶、手桶等があり、樽となれば酒樽や醬油樽が思い浮かぶ。とはいえ、今の若者にはいずれも使ったことがないような道具ばかりである。たらいで洗濯はしないし、醤油樽など見たことがない人がほとんどではないか。
 それらを実際に使い、慣れ親しんできた経験をもつ私の記憶を辿ってみると、桶と樽の区別が決定的に重要だという出来事を思い出すことができないのである。写真のような桶や樽は私自身実際に使ったことがあり、風呂で桶を使い、四斗樽に縄をかける作業など記憶にしっかり残っている。にもかかわらず、二つの違いを実感したことがないのである。
 我が家は私が子供の頃味噌づくりを生業にしていて、麹をつくり、大豆を煮て味噌をつくり、それを売っていた。だから、桶や樽が土間にたくさんあり、それらを日常的に使っていた。大きな桶に味噌を貯蔵し、味噌樽に味噌を詰めて運んでいた。大豆を煮る釜と桶や樽とははっきり区別できるのだが、桶と樽の区別は正直わからなかった。そして、それは今でも変わらない。蓋のある風呂桶と蓋のない味噌樽は私には当たり前だったし、味噌を貯蔵するのは大樽で、蓋がなかった。確か、我が家の風呂桶のたがは鉄線だったが、味噌樽のたがは竹だった。そんな程度が私の桶と樽の違い(?)で、違いがあるのかないのか、私の記憶の中では文字通り不明で、そしてどうでもよいのだった。
 これが意味しているのは何か。要は樽と桶は「いずれでも構わない」という意味であり、そこに注目してみると何が見えてくるのだろうか。「桶は樽ではない(あるいは、樽は桶ではない)」というような常識が集まって、それらが文化や伝統を形成しているとしたら、それが文化や伝統という習慣の本性を物語っている筈である。「桶は樽ではない、樽は桶ではない」といった常識を、後生大事にし、いつでもどこでも必ず守るというのは、実は盲信に過ぎないことがあるのだ(少なくとも私の記憶の中の桶と樽)という例になっているのである。
 この話は樽と桶に限られない。制服の色やデザインなど、学校を代表するという意味で重要なのかも知れないが、色やデザインなどいずれでも構わず、もっと大切のものがあるというのも別の例である。にもかかわらず、人はそれにこだわり、固執する。そんな厄介な常識の中の飛び切りのものは、国や地域、集団や組織を代表するシンボル、旗、…、つまるところは文化や伝統である。そして、実に多くの事柄について「どちらでも構わない」ものが「どちらかでなければならない」ものと考えられてきたのである。何か確固とした理由や原因がある訳ではないにもかかわらず、守られてきたものの中に、どうでもよいにもかかわらず、峻別され、区別、差別されてきたものが数多く潜んでいるのである。
 これを私たちは寓話と呼ぶ。

有明の月

 朝太陽が昇り始めるとき、月がまだ空に残り、その存在を示している。夜が明け、次第に明るくなる中で、月は同じように青白く、ぼんやり輝いている。太陽が燦然と輝き、月の存在を消し去るまでのわずかな間、太陽と月は共存し、互いの存在を認め合うのである。その時は実に絶妙のバランスの上に成り立ち、世界は陽の光を借りた月の光によって静かに浮かび上がるのである。
 画像は有明の月の三枚、同じ時刻の頃の二枚の兆しの太陽の光である。光る強さの違いは強烈だが、同質の光であることは十分にわかる。

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見えない不安、見える恐怖(客観的な説明から主観的な報告へ)

 不安や恐怖についての叙述には様々な視点、立場からのものがあり、それこそ文学の格好の材料になってきました。不安や恐怖を客観的に扱うようになったのは19世紀末からのこと。科学的な対象としての不安や恐怖は心理的な感情ですが、その叙述は重層的で、様々なレベルが混じり合っています。そこで、三つの層に仕分けして扱ってみましょう。

1(説明、理論)
 不安はぼんやりとして曖昧でわからないものだが、恐怖は明瞭ではっきりしていて、わかる。不安は志向的でないが、恐怖は必ず「何かの恐怖」であり、志向的である。対象をもつ明瞭な恐怖に対して、不安は対象がわからず、曖昧模糊としている。志向的か否かで不安と恐怖は異なるが、病気や死、天変地異は不安でもあり、恐怖でもある。不安と恐怖がどのように同じで、どのように異なるか考えてみよう。
 不安と恐怖の違いは、不安には対象がないが、恐怖には対象があるということ。不安は、特定の対象がない、漠然とした恐れの感情。恐怖は、はっきりとした志向的対象のある恐れの感情。例えば、パニック障害の症状に「広場恐怖」がある。これは、「逃げられない空間、状況」というような特定の状況に対して恐れを感じるもの。これが「広場不安」ではなく、「広場恐怖」なのは、恐怖の対象が「広場」というはっきりした特定の状況だからである。また、漠然と将来に対して恐れを感じている場合は、その将来は不安ではあるが、恐ではない。
 不安と恐怖は異なるため、自分の感情が不安なのか恐怖なのかを明確にしないと、適切な対策が取れない。自分が直面しているものが不安なのか恐怖なのかによって、対策の立てやすさは変わってくる。不安は対象をもたないが、恐怖には対象がある。この二つのいずれが治しやすいのか。当然ながら、対象のある恐怖の方が治療しやすい。なぜならば、恐怖に対しては自分の敵が何なのかわかっているため、具体策をとることができるからである。反対に対象がない不安は、敵が何なのかわからず、そのこと自体が不安につながり、悪循環に陥りやすく、なかなか改善できない。どこに隠れているかわからない敵を倒すのは大変なこと。だが、敵がどこにいるのかわかっていれば対策を立てやすいというもの。
 漠然とした恐れの感情が不安なので、不安を感じた時、まず最初にはっきりさせるべきことは、その不安は、本当に不安なのか、恐怖ではないのか、あるいは、恐怖に細分化できないのか、ということである。不安を恐怖によって解釈できればしめたもので、それだけで対策が立てやすくなる。また、恐怖がいくつも重なり、その数が多くなり過ぎ混乱してしまい、恐怖の対象がわからなくなってしまうことがある。複数の恐怖で頭が混乱してしまい、不安に変わってしまう。恐怖の対象が多過ぎると、冷静に一つずつ意識することができなくなる。すると、恐怖が漠然となり、不安に変わってしまう。この場合、冷静になり、不安の中から再度一つずつ恐怖を取り出し、不安を恐怖に細分化する必要がある。

2(知識、治療)
 不安と恐怖の治療法の違いは何か。不安よりも恐怖の方が治しやすい。恐怖は対象があるため、その対象に応じて様々な対策が取れるからである。だが、不安の場合、そもそも何に対しての恐れなのか自分自身わからない。だから、具体的な対策が取りにくい。
 不安や恐怖の治療は大きく分けると3つある。薬物療法認知行動療法、そして暴露療法である。このうち、薬物療法認知行動療法は不安と恐怖の両者どちらにも用いられる。認知行動療法は、不安や恐怖を感じる自分に対して行う内向きの治療。不安や恐怖という感覚を感じる自分の認知(や考え方)を見直し、修正しながら改善して行く。薬品と違って効果が出るまでに時間がかかるが、しっかりと取り組めばそれと同等の治療効果を得られる。
 恐れの感情が恐怖である場合、暴露療法(あるいは暴露反応妨害法)という治療も行うことができる。これは、少しずつ恐怖を感じる対象に自分自身を暴露させ、徐々に慣らしていくという治療法。暴露療法は、恐れを感じる対象に自分自身を暴露させるため、対象のない不安には使うことができない。明確な対象のある恐怖にしか行えない治療法。
 不安を主症状とする神経症は不安神経症。不安は漠然とした恐れの感情で、誰でも経験するものだが、はっきりした理由がないのに不安が起こり、いつまでも続くのが病的な不安。不安神経症では、この病的な不安がさまざまな身体症状を伴って現れる。国際疾病分類などでは「神経症」という用語はすでに正式な診断名としては使われず、従来の不安神経症にあたる診断名は、現在では「パニック障害」か「全般性不安障害」。
 パニック障害は急性・突発性の不安症状が特徴で、全般性不安障害は慢性の不安症状が長く続く。ここでは全般性不安障害について見てみよう。
 一般に、神経症の原因は心理的な出来事とされているが、実際にはそのような出来事がみられないこともしばしばある。全般性不安障害の場合も、何らかの精神的なショック、心配ごと、悩み、ストレスなど、精神的原因と思われる出来事のあることもあるが、まったくないこともあり、また、過労、睡眠不足、かぜひきなど、一般的な身体的悪条件がきっかけで発症することもある。日常生活上のさまざまなストレスを背景に、いつのまにか発症している。全般性不安障害はもともと神経質で不安をもちやすい性格の人に多くみられ、女性に多く、男性の倍以上である。
 慢性的な不安、過敏、緊張、落ち着きのなさ、イライラ、集中困難などの精神症状と、筋肉の緊張、首や肩のこり、頭痛・頭重、震え、動悸、息苦しさ、めまい、頻尿、下痢、疲れやすい、不眠(寝つきが悪い、途中で目が覚める、眠りが浅い)などの多様な身体症状(いわゆる不定愁訴)がみられる。何かにつけて過度の不安・心配がつきまとい、それが慢性的に続き、不安は種々の精神・身体症状を伴っている。経過は慢性で、日常生活のストレスの影響を受け、よくなったり悪くなったりしながら何年にもわたって続く。途中から、気分が沈んでうつ状態となり、うつ病に移行することもある。

3(報告、独白)
 ここまでの話は他人事の話で、不安や恐怖に怯える人に直接役立つものではない。そこで、実際に苦しむ人に一歩近づいてみよう。不安に感じる原因を明確に捉えることができれば、それは恐怖になる。そして、恐怖になれば、対策を立てることができる。それによって漠然とした不安に心が蝕まれることはなくなり、後は立ち向かうだけという心理状況に持っていくことができる。不安から逃げたら、怖くなるだけ。逃げたら、不安は亡霊と化してコントロールがきかないくらいに膨れ上がる。
 不安に思うことがあれば、その原因を探ろう。自分で分析するのもいいし、誰かに相談をしてアドバイスをもらうのも良い。原因が分かれば、後は立ち向かうだけ。漠然とした不安に苦しみ続けるよりかは遥かに健康的である。不安になったとき、誰もがすぐにそこから逃げ出そうと考えてしまう。でも、逃げようとすればするほど不安は大きくなっていく。そうではなく、思い切って不安の中に飛び込んで自分のできる限りのことをしていると、不安はまるで幻だったかのように消える瞬間がある。不安に実態はない。自分の不安に対する姿勢が、そのまま不安の大きさを決める。
 さらに進んで、実際の患者の気持ちはどうか。人や動植物などを使った研究は、残酷な一面をもっている。研究者の側の知的好奇心や欲求が主となり、その対象として観察・実験・研究される側の苦しみや痛みは二の次となる。こうして、不安をかかえて、恐ろしさがつのるばかりの不安神経症患者として、片時も休みのない戦場である毎日、自分のなかの狂気という怪物に対抗しながら、その日一日を平凡に生きること、たったそれだけで、ものすごく大変で困難を感じていた。神経症になった人は、自分がそうでない人にくらべて、どこか妙だ、変だ、と自覚しているから、なんとか必死になって「普通」のふりをしている。「普通」でなくなったらここからつまみ出されて、もう戻ってこれないという、とてつもないプレッシャーがある。内圧が臨界点以上に高まるのを、なんとか押えて「普通」にふるまおうとしているから、神経症者の日常生活は、生きている限り、自分のなかの敵と闘い続ける、終わりの見えない戦争と化してしまう。
 神経症の患者は、一瞬、一瞬、なんとか「普通」でいようと、努力する。それが寝ても醒めても続く。どれだけのエネルギーがそこに費やされるのか。ありのままの自分、自然な状態の自分が狂っているため、無理に自分を押えつけることになる。次々浮かんでくる強迫観念や、感じている恐怖や不安を感じまい、と抹殺し続ける。だが、常にストレスにさらされている神経症の人に向かって、精神科医心療内科医のなかに、「気のせいだよ」、「気にしすぎだよ」、「神経質すぎる」等と言われる人たちがいる。精神科医心療内科医は、医学博士。心の専門家であり、科学者。患者よりも学歴があり優秀なエリートで、しかも心の病気を治すことを生業としている。だが、資格をもった医師が、昔から比較的ありふれた神経症の病理について、正しい理解をもって説明をしてくれないのなら、いったい誰がその役目を担ってくれるのか。
 (ここからは一人称での叙述)『血と言葉-被精神分析者の手記』には、一人の女性の姿が包み隠さず書いてある。この女性は精神病院を抜け出し、精神分析を受けて神経症を完治させた。それを読み、自分が神経症で、それには精神分析が効くことを知り、驚きとともに、希望を持てた。この本と出会い必死に努力した結果、私の神経症は数ヶ月後に劇的に消えてなくなった。明るくて大雑把で少々のことにはめげなかった自分が神経症になり、専門家でも医者でも治せなかったのに、自分一人で努力し、二ヶ月で完治したのである。私がやったようなことを適切に続ければ、苦しんでいた症状は消え去る。しかも、医者や向精神薬に頼らず、カウンセラーのところにも通わず、基本的に自分で治せる。それだけでなく、神経症になる前よりも、もっと健康になれる。神経症は生き方を変えるためのチャンス。神経症は防衛反応のようなもので、神経症になっているのは、「正しい反応」である可能性が高い。神経症になるということは、どこか無理して生きているから。自分を無理に押さえつけていたり、何かが不自然な状態のままだと、「何かが違う」とウソをつけない身体からの警告が神経症なのである。心はウソをつくことができるが、身体は正直で、それが症状を生み出している。

豊洲西小学校

 開校は2015年4月。豊洲地区の人口増加による児童急増に対応してできた。校舎は地上4階建て(体育館棟、地上3階・地下1階建て)で、敷地面積は約1万平方メートル。校内は木材が多用され、地域・保護者参加型の教育活動が実施されている。また、23区初となる体育館棟が地域に一般開放されている。校庭は全天候型で、トラックの赤色と芝生の緑が鮮やかな対象色なのが特徴。
 校舎内は木のぬくもりと手触りにこだわり、東雲運河に面する部分は水辺環境が一望できる。環境学習に力を入れ、学習教材となるよう校舎の壁面と屋上は緑化されている。体育館、屋内温水プール、トレーニング室は一般開放されている。隣には昭和大学江東豊洲病院がある。

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春の街

 桜の花が散り始め、樹の若葉が目に飛び込んでくる。野外には溢れるような春の緑が艶めかしく輝いている。木の葉の姿に心が躍り、建物さえ春の中に浸り切っている。シリア、朝鮮半島と政治情勢は厳しいが、そんなことにはお構いなしに春爛漫。

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