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煙突群の煙

27日は午後3時頃に青空が見え出した。この二日ほど青い空が見えず、青が恋しくなっていた。それで、外を眺めると、気温が低く、そのためか対岸の煙突群の煙がやけに目立つ。 煙は電気や製油のためで、共に生活には不可欠なのはよくわかるのだが、これほどは…

ダーウィンの不安と病気

<ダーウィンの不安> このタイトルから多くの人は「ダーウィンが何に不安をもったのか、ダーウィンの不安の対象は何だったのか」と想像するのではないか。だから、「ダーウィンが自分でもよくわからない不安にいつも苛まれていた」という意味のタイトルだと…

歩道の植え込みのツクシ

植え込みや街路樹は時代と共に変化する。ケヤキやイチョウ、ツツジは少なくなり、様々な新品種が街に増えてきた。 植え込みの植物も春を感じているのだろうが、そこにも春の雑草が元気に顔をのぞかせている。スギナは浅い地下に地下茎を伸ばしてよく繁茂する…

時制の存在についてのとても短い証明(a very brief proof of the existence of tenses)

(1)私たちは自由意志、不安、希望、夢をもつことを経験している。(2)それら心的な働きは無時制主義のもとではその存在を証明できない。(3)よって、時制主義が真である。 私たちのもつ常識には、心が自由意志、不安、希望、夢をもつという常識がある。…

「不安」についての不安:融通無碍な不安の振舞い

既に確定していて、新たに何かを望むことができなくなっている未来は、新たな望みの絶たれた文字通りの「絶望の未来」である。だが、一方でそれは極めて安定した、迷う必要のない「安全な未来」である。悪意に満ちた望みを絶つこと、それは確かに安全に繋が…

お台場から

久し振りに台場を散歩。街ができて既に20年を越え、落ち着いた印象が出てきた。港区、江東区、品川区が境を接し、この街並みができるまでに紆余曲折があった歴史が想い出される。ユリカモメを見ながら、火薬庫跡の他はほぼ何もない台場公園を歩き、レインボ…

不安、絶望:人を利するのか、害するのか

豊洲移転の安心、安全の話をきっかけに、芥川やキルケゴールまで持ち出して、不安や絶望について大騒ぎをしてきた。大山鳴動したように見えて、実は何もなしというのでは恥ずかしい限りで、法螺吹き哲学の謗りを免れない。そこで、これまでの議論をまとめな…

橋渡し

「橋渡し」とは、文字通り橋を架けること、あるいは比喩的に、仲介することである。豊洲ランプと晴海ランプ間の一般道には、晴海大橋南詰信号が一つあるのみ。首都高速晴海線が1.2km延伸されても信号一つがなくなるだけで、盲腸のような線に思える。それでも…

春の運河

深川から豊洲にかけて運河が縦横に走っている。その名前を挙げてみれば、東雲運河、東雲北運河、東雲東運河、砂町運河、汐見運河、辰巳運河、豊洲運河、晴海運河等々。かつての賑わいはなく、今はいたって静かでのどか。水もすっかり綺麗になり、運河沿いの…

不安と絶望と:キルケゴールの思想

安全、安心の比較から、芥川龍之介の不安へと話が移り、今日はキルケゴール。芥川の短編を読んだ私が、暫くして読み出したのが『死に至る病』だった。本当のところ田舎の高校生にはまるで理解できない内容だった。キリスト教が何かも知らないのだから無理は…

深刻な不安あるいは死に至る不安

昨日、安全と安心の話をしたが、安心も不安も曖昧でぼんやりした未来に密接に関わっている。安全と危険がきちんと予測できる未来なら、未来への不安はなくなり、安心に満たされるだろうが、予測できないとなると不安が高まるだけで、安心は得られないだろう…

買い物

何とも颯爽とした買い物姿。とはいえ、この頃の経験は記憶に残らない経験。「記憶にない経験がどうして本人の将来に影響を与えるのか」、その仕組みは不明。それでも、その記憶に残らない経験が将来を着実に決めていくのは疑うべくもない。そんな面倒な話よ…

春分の日が過ぎ、いよいよ春。あちこちに花が目立つようになってきた。散歩すれば、道端、公園、空き地にそれぞれ誇らしげに咲いている。

安全と安心

(豊洲新市場) 東京では豊洲移転に関する話題が世間を賑わしているが、そこにはほとんどいつも「安全と安心」という言葉が対になって登場している。安心あるいは信頼は心理的、社会的な概念であるのに対し、安全は科学的な概念だと言われ、混同してはならな…

二つの目標

目標を達成することは人生のあらゆる場面に登場します。自分の能力や現状を無視して目標を設定しても、達成できないばかりか、自信を喪失し、モチベーションを失うことになります。そのため、目標達成についての巧みな知恵は成程と思わせるような箇条書きと…

ソメイヨシノ:自然と不自然

サクラはわが国を代表する花。落葉高木で、大きいものは高さ20m、直径1mまでになり、天然記念物に指定されているものもあります。その代表的なものが、山桜の一群です。ヤマザクラあるいはシロヤマザクラはほとんど白に近い薄紅の花をつけ、北は本州の宮城、…

知の博物学:欲望と煩悩(2)

今回はより微妙な事柄を考えましょう。何が微妙かと言えば、常識や習慣と科学知識が区別がつかないほどに絡み合っていて、そのことは知恵と知識、常識と知識の間に明確な境界がないことを示しています。科学と常識は実は連続しているような部分をあちこちに…

花はなぜ咲くのか

まずは次のような子供でもわかる説明を読んでみて下さい。その後で、この説明が科学と常識や習慣とのモザイクになっていて、決して首尾一貫した説明にはなっていないこと、そしてそれを普通に受け入れている私たちが習慣に流され、気に留めていないことを示…

花はどうして春に咲くのか

子供にこんな質問をされた時にどう答えたらいいのでしょうか。 花がさくにはつぼみが必要です。つぼみは冬より前にできあがっているにもかかわらず、花は咲きません。なぜなら、葉が栄養を独り占めし、花には回してくれないからです。ですから、葉が落ちると…

欲望と煩悩に関するさらなる証拠

今回の事例はどれも科学的な報告や説明というより、常識や習慣、通説や粗い観察が科学的な説明と混じり合ったものになっています。いずれも不自然な説明、描写とは思われず、至極普通に受け取られている内容です。科学的な要素とそうでないものがどのように…

晴海、豊洲の歴史モザイク

新市場のある豊洲から晴海大橋を歩いていく。結構な登りなのだが、左手に晴海埠頭が見えてくる。晴海は再開発が進み、タワーマンションや高層のオフィスビルが立ち並ぶ。さらに、中央清掃工場とその煙突は威風堂々といったところで、その左手にはつい最近ま…

知の博物学:欲望と煩悩

21世紀の今、知識と言えば科学的知識のことであり、その他の「知識」はかつてほどは重要視されなくなってきています。知恵がほとんど進歩しないのに対し、知識は日々進歩し、新しい情報が目白押しです。科学理論や科学技術は目まぐるしく変わりますが、宗教…

習慣

3月も半ば近くなると、春の陽気に誘われて身体を動かしたくなる。人は習慣の産物のせいか、身体を動かすのさえ自由気ままにではなく、学習した規則やルールに従って動かしてしまう。スポーツはその悲しき代表で、大抵の競技やゲームはルールからなっている。…

光の素直でない反射

春の淡い光の中で歪み、揺れ動いて映る像は仮象に過ぎないのだと思い、それなら実像は何なのかと問いたくなる。それは賢者ぶった悪魔の問いで、要注意。その問いに反応して、ガラス窓に映っている建物自体が実像なのだと言いたい誘惑に駆られるが、建物は像…

表情や身体表現から感情を探る、あるいは表情や身体表現から感情を学ぶこと

「怒り」という感情は、怒っている人間の表情や声の出し方や身ぶりを模倣することによって学習される。子どもの内面に「怒り」の感情があって、それが表出して「怒り」の表情や身体表現になるのではない。他人の「怒り」の表情や身体表現を模倣し、その表現…

風景を閉じ込める:庭園、神の国、浄土(3)

さて、やっと乱歩の登場。江戸川乱歩は「パノラマ島綺譚」を「黄金の死」からl2年後に発表する。乱歩が谷崎の「黄金の死」を読み、ポーの「アルンハイムの地所」、その続編「ランダーの別荘」との酷似を認めたと思われる1917年から9年も経っている。それは「…

風景を閉じ込める:庭園、神の国、浄土(2)

マグリットの「アルンハイムの地所」からポーの作品を想像してはいけない。どの絵もポーの作品の挿絵にはなりそうもない。そこで、まずポーの「アルンハイムの地所」(新潮社、世界文学全集、谷崎清二訳)の風景描写を読んでいただきたい。 「船はその中へす…

風景を閉じ込める:庭園、神の国、浄土(1)

「思想の視覚化」という洒落た謂い回しは、より具体的には「造園」を指すことがある。思想の内容を実現するとは、時にはそれを風景として実現することであり、それによってでき上がるのが庭園である。庭園は思想の具体的な実現ということになる。それゆえ、…

白鳳丸

東大の海洋研究所に所属していた「白鳳丸」は2004年に独立行政法人海洋研究開発機構ができ、移管された。約4,000tの大型の学術研究船で、様々高性能研究設備を備え、10の研究室をもっている。近海、遠洋を問わず、長期間の多目的な研究、つまり海洋生物、地…

ミネルバの梟

梟が哲学と縁が深いのはヘーゲルに起因するようです。ヘーゲルの哲学観と私のそれは似ても似つかないものですが、権威に頼って自分を表現しようという下心があるのは確かだと白状しておきます。では、ヘーゲルと「ミネルバの梟」はどのような関わりがあるの…

奇想天外な生命

キソウテンガイはアフリカのナミブ砂漠の固有種。その風変わりでグロテスクな外見と、あまりにも奇怪な様子から(日本語では)「奇想天外」と名づけられている。植物学的にも奇妙な特徴を数多くもち、研究者の好奇心の的となってきた。 キソウテンガイは砂漠…

豊洲市場のジョギング

眼前の豊洲に横たわる建物群を眺めていると、不気味なほどの静寂とテレビや新聞での解説や議論の喧噪とのコントラストがくっきり浮かび上がり、憂鬱な焦燥感に襲われる。老人が何か言っても無駄なことだと思いつつ、識者たちの議論を聞いていると、春の来な…

tobus

2000年に当時の石原都知事が都バスの車体に広告を出すことを許し、ラッピングバスが登場。広告にラップされた都バスが眼前を走り去るのを何気なく見ると、tobus.jpの文字。都バスが広告塔ならぬ、広告車になって久しいが、tobusとは何かと一瞬頭の中が白くな…

昭和の風景:団地の給水塔

辰巳団地のもつ昭和の風景について既に述べた。私と同じ時代を生きてきた団地はどこか自らの分身のような気がしてならないのだが、そこに住めと言われると躊躇するのもまた同じ私である。団地には昭和を象徴するものがあちこちに見られるが、その中に老人ケ…

空間と時間:哲学的でない、自然な付き合い方

空間や時間は哲学の対象だと思われたり、主観的な心理的対象として強調されたり、また文学作品では欠かせない装置として重要な役割を演じてきました。時間、空間は物理的でも数学的だけでもない、謎を含む、世界に欠かせないものとして、私たちを刺激し続け…

なぜ「光速度不変の原理」なのか?(何とも退屈な要約)

古典力学と違って相対論では「光速度不変」が原理の一つ。それが相対論を独特なものにしている。そこで、光に関する歴史を振り返り、なぜアインシュタインが「光速度不変」を原理としたのかを探ってみよう。光の速度は非常に速く、測定は不可能と思われてい…

光速度不変の原理:光の速度は誰がどのように測っても変わらない

光速度不変の原理は、アインシュタインの特殊相対論の基本原理のひとつで、「光の速さは観測者がどんな運動状態にあっても変化しない」というもの。静止して光を観測しても、移動しながら光を観測しても、光の速度は常に秒速30万キロと測定されるというのが…

1905年

相対論の登場は1905 年のこと(A.Einstein, Zur Elektrodynamik bewegter Körper(運動する物体の電気力学について), Annalen der Physik, 1905, 17, 891-921.)。20 世紀に入ると、相対論と量子論という二つの大きな科学革命が物理学の中で起こります。当…

量から解放されて数になる

「量と数」の関係は「量と質」の関係に似ていると言うと、何やら哲学的な雰囲気が漂ってくる。「量から質への転換」はヘーゲルであれば「弁証法的な止揚プロセス」だと断言するだろう。量や質の議論には量や質が何なのかをきっちり理解しておかなければなら…

 梅の季節

あちこちに梅の花が咲き、花の匂いが香っている。梅と言えば菅原道真。道真と言えば九州太宰府天満宮。それに対して東の宰府は「亀戸宰府天満宮」。昭和11年に現在の「亀戸天神社」となった。残念ながら現在の東京での梅の名所ランキングトップは湯島天満宮…

住めば故郷:変貌する故郷と私と…

このところ我が家の周りで工事が増え出し、数えれば十指に余る。人は自分勝手なもので、歓迎すべき工事から、嫌悪する工事まで自己流に様々に判断してしまっている。そんな自分勝手が積み重なって、清掃工場や火葬場の建設は嫌われ、商業施設や図書館などは…

錯視と日常生活

視覚の生き物である人間にとって、錯覚の中でも圧倒的な効果をもつのが錯視。普通の生活では錯視図形だけが登場することなどなく、それらは日常風景の中に溶け込んでいて、注意を払わなければ気がつくことなどまずない。だが、「世界には何も驚くべきことな…

私たちの視覚内容は錯視だらけ

錯視は視覚学習の副作用。錯覚を拡大解釈すれば、知覚とはそもそも錯覚なのだと考えるのがかつての哲学的な認識論である。というのも、視覚は実在の反映ではなく、視覚像を生み出すものであり、そのつくられた像は実在ではないという意味で錯覚だからである…

酔って驚くか、素面で退屈するか、君ならいずれを選ぶか?

(哲学的SFと言えば聞こえがいいが、酔っ払いの戯言かも知れないもの) 旧約聖書の伝道の書1:9に「日の下には新しいものはない」と述べられている。これを古典的世界を暗示する表現とみてみよう。常識的で、月並みで、平凡な世界、それが「古典的世界観」と…

Fraser's Spiral

いずれもFraserが考案した錯視画像群。いずれも同心円からなっているのに渦巻状に見えてしまうという錯視である。F.B.の友人足立さんから色彩のある方が同心円がわかると指摘を受け、何枚か条件の異なるものを比べてみた。背景の色や形によって同心円の見え…

文脈や状況に依存する錯視

錯視となれば、ほぼ反射的に視覚心理学の主題だと分類される。錯視のデータと分類が記録され、そこから視覚のもつ特徴が炙り出され、今では様々な分野に応用されている。錯視図形は標識の効果的な図案に使われるかと思えば、絵画や彫刻でも人を驚かせる手法…

言葉の貧弱さ:もっとずっと簡単な例

俳句という多くの人が趣味にするような文学を例にしたのが昨日の大失敗。単純明快な例で、自然言語と数学言語の違いを際立てることこそ目的なのに、俳句に関する知識を援用することがそれを台無しにしてしまった。ここで謝っておきたい。知識に頼らなければ…

閑さや岩にしみ入る蝉の声

何という清閑さか、蝉の鳴き声だけが、岩の中にしみとおっていく。How still it is here... Stinging into the stones, The locusts' trill.(おくの細道 ドナルド・キーン訳、sting突き刺さる、locustセミ、trill震えるような声、声を震わせて歌った歌声、…

世界のダイナミックな変化を述べる?:「因果的変化」の叙述の可能性

(少しは大胆に、挑発的に語ることが自然言語でも可能だと信じて…) 現象変化の実際の姿を自然言語によって表現できるかと問われれば、それは無理難題というもので、私たちの言葉は謎に満ちた変化の表層を引っ掻くくらいしかできないというのが答え。最新の…

首都高晴海線

豊洲新市場と晴海のオリンピック・パラリンピックの選手村に近い首都高速10号晴海線(地図の赤い部分が工事中の延伸部分)。羽田空港に通じる湾岸線に接続するため、空港と都心を結ぶ路線として渋滞緩和などに一役買いそうなのだが、晴海線そのものは晴海と…