車椅子ソフトボール大会

10月7,8日と車椅子ソフトボール大会が東京臨海広域防災公園で開かれた。参加チームは11で、日本各地とアメリカ代表が集まり、熱戦が続いた。車椅子ソフトボールの本拠地アメリカから選抜メンバー15人が来日。アメリカチームは圧倒的な強さを見せた。

「哲学の議論とはどのようなものか」3

現場の問い「コイン投げは確定的、それとも確率的」に対する解答例 (5)公平なコインところで、そもそも偏りなくコインを投げることなどできるのだろうか。もし対称性の原理が成立している中で、裏か表のいずれかが出るのであれば、偏りのないコイン投げは…

水陸両用バス

水陸両用バスは既にスカイツリーやみなとみらいで運行されているようだが、お台場と豊洲の東電堀の間でも運行を始めたというニュースを聞いた。試運転の姿は見ているが、まだ乗ったことはない。お台場と豊洲の料金が大人3500円では多分乗らないだろう。Sky D…

「哲学の議論とはどのようなものか」2

現場の問い「コイン投げは確定的、それとも確率的」に対する解答例 (3)生物学者に対する古典的無知からの反論 ラプラスの魔物はコイン投げについての完全な知識をもち、投げられるコインの物理的な運命について完全に予測できる。魔物によれば、生物学者は…

「哲学の議論とはどのようなものか」

現場の問い「コイン投げは確定的、それとも確率的」に対する解答例 (0)はじめに かつての大学は神学、法学、そして哲学の三つの学部からなり、神と法律以外の知識なら何でも哲学部に属し、いわば雑居房だった。つまり、哲学は科学を含むあらゆる研究を許す…

秋の空は雲がつくる。雲のない空は言葉を失った心のようなもの。雲は語り、的確に天気や季節を知らせてくれる。青空を背景に雲は色んな形を大胆に、そして繊細に描く。直にやってくる冬の空も雲がつくる。雲は雪を知らせ、山々を覆い隠す。朝焼けも夕焼けも…

脱人間中心主義と相対的人間中心主義

(前回の「脱人間中心主義への人間中心主義的偏見」の後に) 前回の議論では、人間は救いようがない人間中心主義者だということになり、釈迦ででもない限りは出口なしということだった。そして、人間中心主義は人間には避けることのできない運命だという結論…

端艇

橋の下をカッターが行く。若者たちが漕いでいる。彼らの掛け声が運河の水面に響く。大学生だとすれば、近くの東京海洋大学の学生たちに違いない。カッターは水門を抜け、隅田川に向かって過ぎ去っていった。 私がいた大学では体育会のボート部となれば端艇部…

脱人間中心主義への人間中心主義的偏見

「脱構築」という何ともハイカラな訳語が一世を風靡したことがあった。つまるところ、「常識を疑う」という程度のことなのだが、「脱原発」となると生々しい政治課題となり、議論の絶えない重大な事柄である。そんな中で「脱」の究極となれば、「脱人間」。…

新田橋  

新田橋(しんでんばし)は隅田川にかかる橋。その北岸は足立区の新田(しんでん)で、名前はそれにちなむ。一方、新田橋(にったばし)は江東区の大横川に架かる橋で、平成12年架け替えられたガーター橋(桁橋)である。赤く塗られたこの橋は、永代通りから…

八幡橋

深川の富岡八幡宮は秋の気配が漂う。その隣にあるのが八幡堀遊歩道。普段は何とも静かな遊歩道である。そこにある二つの橋の一つが八幡橋(元弾正橋)。もとは現在の宝町楓川に架かっていて、弾正橋と呼ばれていた。関東大震災後の震災復興計画によって廃橋…

頻度主義かベイズ主義か

確率の主観解釈と客観解釈について量子力学との関係で述べましたが、統計学では頻度主義(frequentism)とベイズ主義(Bayesianism)が今でも論争を繰り広げています。 最初に学校で習う確率概念は基本的に頻度主義です。ランダムな事象が起こる頻度を確率と…

確率の解釈と量子力学の関係

科学的な非決定論の代表となれば量子力学ですが、量子力学と確率の解釈はどのようになっているのでしょうか。まとめてみると、次のようになりまする。 1確率の客観的解釈:確率は物理的な対象のもつ性質を表していて、次の二つの解釈が考えられてきました。…

朝焼け

人の感覚や知覚は妙なもので、変わった現象変化に敏感に反応してしまう。それは相手の顔の表情の変化に目敏く気づくのに似ている。今朝の朝焼けはそんな現象の一つで、異変か何かの兆候かと疑いたくなるような光景だった。気分の変化のように、瞬く間に朝焼…

単弦ローゼ橋

人がつくる建築物には美しいものが多い。美しい橋も多く、渡るより眺めたくなる橋が幾つもある。アーチ形は眺めるにはもってこいの形である。 レインボーブリッジの近くにある新日の出橋は、日の出埠頭と芝浦埠頭を結ぶ橋として、芝浦運河の日の出水門の東側…

確率の傾向性解釈

既に何度も確率の解釈について話してきました。その確率解釈の一つに傾向性解釈(propensity interpretation)があります。「傾向性」は確率的な性向(probabilistic disposition)のことです。では、この確率的な性向とは一体どのような性質なのでしょうか。…

禁色と聴色

律令時代からずっと庶民は自由に色を使うことを制限されてきた。それが「禁色(きんじき)」。好きな色を自由に身に着けることも制限されていた。だから、薄く淡い色やモノクロームが庶民の色となった。だが、どんな権力者も自然の中にある色を禁止すること…

文系と理系:習い性

学生、特に大学に入りたての学生は文系でも理系でもありません。本人たちは文系か理系か勝手に信じ込んでいるのですが、実は本人たちこそわかっていないのです。文系、理系の違いを植えつけられた教師たちの方で勝手に仕分けただけに過ぎないのです。むしろ…

確率と無限:常識を疑えば、何が見えるか

人が好奇心をもたなければ、謎に満ちた世界はどこにもない。好奇心をもって世界を眺めると、世界は謎だらけの興味深い対象に変貌する。人が何の関心も興味ももたなければ、世界は惰性的な塊に過ぎなく、心躍る神秘的対象にはならない。謎に満ちた世界は好奇…

気配から到来へ

秋は気配だけでなく、確かに到来している。その証があちこちに見える。 金色の穂が秋風に揺れる野の横では、カリンが既に大きな青い実をつけている。芳しい香りを強く放ち、果肉は堅く、生食には不向き。だが、カリンの果実に含まれる成分は喉の炎症に効能が…

戦争と選挙:懐疑と投票

政治家が戦国武将たちの知力を尽くした戦争になぞらえて選挙戦を描き、天下取りの夢を語るのをかつてはよく聞いた。今は表向きそんなことを言う政治家はめっきり減ったが、今回の解散総選挙での小池東京都知事の振舞いを見る限り、その古い政治家魂のような…

和色:例えば、紫

人は食うことに執着する。さらに、人は火と食べ物を結びつけ、料理を始めた。それが、食うことを楽しみに変えた。味わうことを知った人は調理する術に執着し始める。これは日本人も然りで、和食は欲と快楽の結晶。そのあからさまな煩悩の極みを消化ではなく…

科学的な説明

アリストテレスは自然の現象変化を因果的に説明しようとしました。その「因果的」説明は4つの原因をすべて含む豊かなものでした。4つの原因の中の機動因を使った因果的説明をニュートンは科学的な説明として初めて形式化しました。それは「仮説演繹法」であ…

堤防端の路地

路地(あるいは露地)は、文字通り天井を覆うものがない地面のこと。かつて下町の家と家の間には狭い通路が縦横に走っていて、路地、路地裏などと呼ばれていた。狭くて消防車も救急車も入れない。 そんな路地だらけだった月島や佃も再開発が進み、路地は随分…

大義あるいは第一義

「大義」という言葉は、何とも大袈裟で虚勢を張っているといった印象を人々に与える。大義などとわざわざ言わなくても以心伝心でわかるという庶民の風土には馴染まない言葉である。似た言葉を探せば「義」、「一義」、「一理」、「第一義」等々、結構あって…

開いた大屋根

屋根付きのフィールドやグランドがかつてよく造られた。近くにある有明コロシアムの屋根は開閉式である。建物の両側にレールが敷かれていて、屋根がそのレール上を左右にスライドする。何気なく見ると、その屋根が開いている。大会があり、昼にメインコート…

誰の、何の都合?

世の中はそれぞれの都合で動いてきた。街も美術館も、そして学校や国も、さらには制度や規則も、それらがあるのはことごとく人それぞれの都合から。 最近は地球や自然の都合が私たちの生活を脅かすことしきりである。地球温暖化、地震や洪水は結局は人の都合…

紫色

近くの公園に立派な花壇があり、様々な花が植えられている。色の種類も多く、実に見事と思いながら、それぞれの色を花の種類ごとに見直すと、色合いのバリエーションは意外に小さいものだと思い出す。例えば、紫色。4種類の花を見比べてほしい。ほとんど変わ…

謎を含んだ決定論(2):反教科書版

(復習) 古典力学をベースに対象の運動変化を考えると、運動中の対象に決定していない状態があるというのは考えにくい。時空が決まれば、運動する対象の状態、つまり、対象の力学的な物理量は特定の時刻と場所で決まっているというのが大前提である。実際、…

謎を含んだ決定論(1):教科書版

その前に 古典力学をベースに対象の運動変化を考えると、その対象に運動中決定していない状態があるというのは考えにくい。時空が決まれば、運動する対象の状態、つまり、対象の力学的な物理量は特定の時刻と場所で決まっているというのが大前提である。実際…