家畜とペット

 半年ほど前に引っ越して、ペットが自由に飼えるマンションに移った。いろんな犬たちがエレベーターに乗り込んでくる。そのほぼすべてが小型犬で、それも不自然な姿格好の犬たちである。人間より速く歩ける犬は少なく、たいてい歩くことが不得意である。人間の介護がなければ生きていけない犬ばかりという印象で、私にはどこが可愛いのか、何が癒しになるのか、よくわからない。現在飼われている犬たちは自然選択の結果ではなく、人為選択の結果であるから、浅はかな人間の欲と都合の犠牲だと嘆くしかないのだろうか。人には美形でも、自然の中では奇形としか思えない犬たちが溢れている。

 私が生まれ育った妙高には今の人たちがペットにしたいような犬はいなかった。よく吠え、子供を威嚇する犬が多く、実際に何度も襲われた。雑種で中型、赤毛の犬が多かった記憶が残っている。私の家には猫が私用のペットとして飼われていた。兄弟のいなかった私には兄弟のような存在で、家では行動を共にすることが多かった。とはいえ、そこは猫と子供、彼女の行動は独立していて、夜はネズミ取りに忙しそうだった。

 昭和の20年代の代表的な家畜となれば、牛だろう。農耕用の家畜として私の近所の農家でも何頭も働いていた。ペットと違って一家の働き手であり、精神的な癒しではなく一家の経済を支える一員だった。そのためか、ずいぶんと大切に扱われ、牛小屋は総じて綺麗であり、食事も新鮮な草、料理された穀物が与えられ、仕事の後には水浴で綺麗に洗われ、いつも清潔だった。これは一緒に飼われていたヤギやニワトリとは大きな違いである。それだけ家計に貢献していたのだろう。

 我が家には牛はおらず、ニワトリが10羽ほどいた。残飯を中心にした雑食で、何でもよく食べていた。卵の搾取が目的であり、なぜか卵を産まない雄鶏が一羽、群れの統制のために飼われていた。これが私のような幼児をからかうのが好きで、日中庭に放し飼いにされている横を私が通ると、よく追いかけられ、突っつかれたものである。

 ニワトリは卵だけでなく、身も私たちの食用として役に立つ。祭りの前日には年老いて卵を産めなくなったニワトリが絞められ、祭用のご馳走の材料となった。子供の私にはニワトリを絞めるところから、解体するところまでが解剖実験のごとくに興味深いものだった。毛を除いてほぼすべてが料理の材料になる。ニワトリの身体の構造を自分の眼で確かめ、卵が管の中に一列に並んでいる様など、目を見張る体内の光景だったことが思い出される。

 私の祖父もペットを飼っていた。当時は道楽の一つと呼ばれていたウグイスを家で飼い、その鳴き声を自分の家で楽しもうという訳である。鳥かごをさらに木箱に入れ、光と音を調節し、餌もブドウの枯枝に潜む生きた幼虫とすり餌を毎日与えるという、とても手のかかるペットだった。確かに早春に家の中でウグイスの声を聴くというのは贅沢なのだろうが、山中で自由にさえずるウグイスを想うと、不自然さは否めなかった。

 心の友になれるが、いなくても構わないペット、必要な助っ人どころか時には生活の糧そのものである家畜、これら二つの異なる動物の存在は私たちの生活をどのように変えてきたのか、じっくり考えてみたいものである。