天心と六角堂

天心と六角堂

 鎖国して平穏を保つ日本を野蛮とみなした西洋は、満州で殺戮を始めた日本を文明国と見做すようになります。西洋の特徴は「理性的な誇示」にあり、それに対して日本の特徴は「内省による謙遜」です。茶は経済学と同じで、「生の術」であり、具体化された道教です。宗教では未来が私たちのうしろにあり、芸術では現在が永遠になります。数寄屋は好き家で、そこには通過する時間しかありません。「不完全」に対して、私たちは真面目に瞑想をつづけることしかできません。これが『茶の本』の核心です。

 天心は東大在学中にハーバード大学から来たアーネスト・フェロノサと出会い、その英語力を認められて通訳になります。18歳で結婚。卒論の「国家論」を若妻がヒステリーをおこして燃やし、やむなく書いた「美術論」がフェノロサを驚かせました。

 天心はフェノロサの美術調査に随行し、千年の眠りから覚めた夢殿観音との逢着はフェノロサよりも天心を決定的に「東洋の夢」に走らせたようです。その一方、このときの調査団長が九鬼隆一であったことも彼の境涯を大きく左右しました。隆一は哲学者九鬼周造の父親であり、その夫人波津との恋愛事件こそ天心を東京美術学校校長の座から引きずりおろし、それが奇縁で天心らは日本美術院をおこして五浦に籠城することになるのです。

 

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等身の像は秘仏で、背が高く、その不思議な美しさはフェノロサによって唐突に発見されました。和辻哲郎の『古寺巡礼』によれば、フェノロサは「胸は押しつけられ、腹は幽かにつき出し、宝石あるいは薬箱を支えた両の手は力強く肉づけられている。しかし最も美しい形は頭部を横から見たところである。漢式の鋭い鼻、真っすぐな曇りなき顔、幾分大きい唇、その上に静かな神秘的な微笑が漂うている。ダ・ヴィンチモナリザの微笑に似なくもない」と評しました。しかし、和辻はモナリザには「人類の暗黒」が宿るのに対し、救世観音には「瞑想から得られた自由」があると考えました。

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 話は変わりますが、親鸞は29歳の時、比叡山を降り、六角堂(頂法寺)で百日間の参籠を行います。95日目に救世観音が夢に現れ、「あなたが前世の因縁によって女犯しても、私が女性の姿に変わって交わりを受けましょう。一生の間よく仕え、臨終の際には極楽へ導きましょう」と言ったのです。救世観音は、「これは自分の誓願であり、すべての人に説き聞かせなさい」とも言いました。女犯(妻帯)の罪に苦悩していた親鸞は、これにより悟りを得、法然の教えを受け、後に浄土真宗の開祖になります。六角堂は聖徳太子の創建といわれ、救世観音は聖徳太子の化身と伝えられています。

 もう一つの六角堂は、茨城県北茨城市にある六角形の建物。明治時代に岡倉天心が思索の場所として自ら設計したものです。日本美術院の移転候補地には新潟県の赤倉もあったのですが、交通利便性の面で五浦に決まりました。六角堂自体は、奈良県にある法隆寺の夢殿を模したもの、あるいは上述の京都府頂法寺を模したもの、さらに中国・四川省成都市にある杜甫の草堂を模したものという説があります。六角堂は東北大震災の津波の直撃を受け、2012年(平成24年)4月に再建されました。