変貌する妙高市の断片

 恥ずかしい話だが、数年前の私なら妙高市を歩くと確実に迷子になっていたろう。学校町が忽然と姿を現し、それは見たこともない全く別の町。それが、かつての「西田んぼ」の変貌した姿を初めて見た時の私の印象だった。松山はどこか、眼がしきりに探す始末である。市街地から2キロほど離れ、渋江川と十三川に挟まれた丘陵地帯が「松山」と呼ばれてきた。松山には、フキノトウなどの山菜やアケビやクルミなどの木も多い。そこも松山水辺ふれあい公園、松山貯水池ができ、景色はすっかり変わってしまった。

 何回か訪れ、今は少しは慣れたが、それでもこれが私の生まれた場所かと自分に問うことがしばしばある。人は減っているのに家は増え、道路が増えた。街は大きくなったのに、その街を歩く人は減った。とても解せない気がする。市街の物理的な規模が大きくなったのに、そこに住み、生活する人は減っているとは一体どういうことなのだろうか。人がいないことは視覚的に実にはっきりしていて、街を歩いていて誰にも会わず、兎に角孤独なのである。大都市の孤独とは違って、文字通り誰の姿も見えず、当然誰にも会わない。かつては北国街道沿いに家が立ち並ぶ小さな街が新井だったが、人は多かった。特に、子供が溢れていた。子供の姿と声がいつもあって、街には活気があり、朝市は賑わっていた。団塊世代の私たちが街を闊歩していた。

 車をもっている人などかつてはごく僅かだった。皆よく歩いていたし、自転車も多かった。だから、広い立派な道など必要なかった。雪が降れば、北国街道でさえ二人の人がすれ違うことができるほどの広さの道に変わり、雪ぞりが運搬手段だった。

 妙高市にある、桜の名所として有名なのが経塚山公園。旧新井市のホームページによれば、この山は古くは「仁太三山」「天神台」と呼ばれていたが、現在の公園の広場部分を整備中に経文が納められた塚が発掘され、それ以来「経塚山」と呼ばれるようになったとのこと。公園は昭和5年完成、その際に桜が植樹され、現在では桜の名所と

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なっている。公園の西には賀茂神社があり、杉林が深い。北東寄りに「釈迦堂」があったが、老朽化のため取り壊されたらしい。堂内には釈尊像が安置され、私が子供の頃には花祭りが行われていた。

 経塚山は子供向けの初級者用スキー場で、船岡山スキー場が一般向けのスキー場だった。妙高市の市街地に近く、南側にある小丘陵の北斜面が、ゲレンデとなっていた。ナイターも行われていて、市内から近く、気楽に楽しめた。周辺には民家が点在し、夏のゲレンデは畑だった。道の看板には「あらい船岡山スキー場」とあり、無料休憩所・リフト券売場の建物が残り、ゲレンデ中央に1本だけあったペアリフトがそのまま残ってい。ペアリフト1基のコンパクトなスキー場だが、そのリフトの左右に最大30度のバーンが3つのシンプルな構成。2004年を最後に廃業となり、今では陣場霊園になっている。その西側の北国街道にあるのが小出雲坂である。

(追憶のゲレンデ、http://old-skier.seesaa.net/article/118610135.htmlには、妙高パノラマパーク、ARAI MOUNTAIN & SPAの詳しい説明がある。)