論理的に理屈を捏ねまわしてみると・・・

 記号言語を使って考えると明晰になる例を一つ挙げてみよう。「どんな人にも好きな人がいる」と「どんな人にも好かれる人がいる」の違いを聞かれたらどのように答えるだろうか。違いははっきりしていても、その理由を問われるとうまく表現できない人が多いだろう。では、どのように違うかの理由をどのように考えたらよいだろうか。この二つの文をそれぞれくどい仕方で言い直してみると、

「どんな人にも好きな人がいる」は、

 

「すべての人xについて、その人xには好きな人yが少なくとも一人はいる」に、

 

また、「どんな人にも好かれる人がいる」は、

 

「ある人yが少なくとも一人いて、その人yはすべての人xに好かれる」

 

となる。この言い直しだけで相当はっきり二つの文の違いが出てくるが、さらに、それぞれ記号化してみると、

 

x(F(x)→∃y(F(y)∧G(x, y))

y(F(y)∧∀x(F(x)→G(x, y))

 

となり、簡略化すると、∀xyG(x, y)、∃yxG(x, y)となる。xyと∃yxの記号の並び方の違いが二つの文のもつ意味の違いを反映していることがわかる。これが日常言語の表現では見えにくい論理関係が記号言語を使って明瞭になる一例である。

 

(問)「どんな自然数にもそれより大きい自然数がある」と「一番大きい自然数がある」の違いを上述の説明に倣って説明しなさい。また、「彼はクラスの誰より背が高い」と「彼はクラスで一番背が高い」について、二つの文は違ったことを述べているでしょうか。

 

 記号言語を使って曖昧であった哲学や科学の問題を正しく把握できると、正しい答への距離が大いに近くなる。また、問題だと思っていたものが実は擬似問題であることがわかり、問題が解消する。さらには積極的に問題を攻撃する手段として使う。このように論理学の成果を使って様々な成果が上がってきた。それらを理解することも重要であるが、ここではその根幹にある正しい推論の重要性を認識してほしい。私たちの周りには一見正しそうな推論や推量が溢れている。合理的な精神はそのような見かけの姿の背後にあるものを鋭く見極めるためにある。実際に目にする誤謬の大半は純粋に論理的な誤謬ではなく、私たちの認識や経験と論理がもつれ合った誤謬である。論理だけの誤りは意外に見極めがつくが、それが経験的な認識と結びついた場合、私たちの合理的な追求はその内容に気をとられ誤謬を見逃し易い。認識や経験的内容と絡み合った例として「デカルトの推論」と「総計の誤謬」を考えてみよう。

 

[例:デカルトの推論]

次の二つの推論についてそれらが正しいかどうか考えてみよう。

 

デカルトは心をもっている。

デカルトのロボットは心をもっていない。

それゆえ、デカルトデカルトのロボットは同じではない。

 

デカルトは自分が心をもつことを疑うことができない。

デカルトは自分が脳をもつことを疑うことができる。

それゆえ、心と脳は同じではない。

 

最初の推論は文句なく正しいが、二番目の推論は正しいだろうか。それが正しくないことは次の類似の推論からわかる。

 

伊作は2 + 2 = 4を疑うことができない。

伊作は6-2 = 4を疑うことができる。

それゆえ、2 + 2は6-2と同じではない。

 

明らかに2+2は6-2と同じであるから、この推論の結論は誤っている。誤りの原因は何か。最初の推論の前提は事実に関するものであるが、後の二つの推論の前提は事実についての心的な態度(疑う)からなっており、疑うことから事実に関する結論を出してしまった点にある。

 

[例:総計の誤謬]

 次の例は、シンプソンのパラドクスと呼ばれている統計的な誤謬である。[1]カリフォルニア大学で行なわれた入学試験で男女差別の疑いがもたれた。男女同数の受験者に対して、合格者全体を比べると男のほうが女より多かった。これは男女差別ではないかという疑いがかかり裁判沙汰に及んだ。大学当局が学部ごとに調べ直してみると、二つの学部はいずれも男女の合格者数に関して全く公平であることがわかった。(下の表はこれをわかりやすくしたもので、実際の学部や学生数ではない。)

 

       学部1       学部2       総計

応募者  90女;10男    10女;90男    100女;100男

合格率    30%       60%

合格者  27女;3男     6女;54男     33女;57男

 

この表は簡単な数に直してあるが、総計を見ていただきたい。確かに男女の応募者数は同数でありながら、合格者数には差がある。しかし、学部ごとの応募者と合格者はどうであろうか。学部1も学部2も共に応募者の男女比に合った合格者を出している。つまり、各学部は男女差別を配慮した上で合格者を出したのであるが、応募者数の違いのために総計ではあたかも男女差別があったかのような結果になったのである。総計は各部分の性質を正しく反映してくれない。このような誤謬の原因は論理的なものではなく、統計の初歩の認識にある。しかし、それを適切に指摘し、正しい姿を浮き彫りにするシナリオは論理的な構成なしにはできない。論理的な規則は道具であり、その道具は正しく使ってこそ役立つのである。論理的に正しい推論はその適用される状況に正しく適合してこそ、適切な内容をもつ正しい推論として認められる。

 

(問)「奇数に奇数を加えると偶数になる」という文と総計の誤謬を比較し、共通点を挙げなさい。

(問)「クラスAは性質Cをもち、クラスBも性質Cをもつので、クラスABは性質Cをもつ」という言明が正しくないことをシンプソンのパラドクスを反例に使って証明しなさい。

 

(問)*サイズのない粒子(幾何学的な点)はある体積の箱にどれだけ入れることができるでしょうか。また、その箱の2倍の箱にはどれだけ入れることができるでしょうか。

(問)*サイズのない箱はあるだろうか。「何も入れることができないものは箱ではない」と「サイズのない箱がある」とから矛盾を導き出し、問に答えてみなさい。

(問)*サイズのない点を見ることができたとすると、どのような不都合が起こるか述べなさい。

(問)*サイズのある点があったなら、その中で一番サイズの小さい点はあるだろうか。

 

[1] この例の変形は、E. Sober, Philosophy of Biology, Oxford University Press, 1993, pp.98-102を参照した。ちなみに、彼はこの例と同じ根拠から群選択による進化の議論を展開している。E. Sober and D. S. Wilson, Unto Others, Harvard University Press, 1999.