ギリシャの哲学と数学の異なる歴史

 ギリシャ哲学の天才たちは改めて語るまでもない。ギリシア数学初期の天才はミレトスのターレス(B.C.620?~550?)とサモスのピタゴラス(B.C.580?~500?)。彼らの著作は何一つ残っていないが、その業績はその後のギリシア数学の先駆けとなる。

 ローマ帝国の末期はキリスト教を国教とし、新プラトン主義のプロティノスプラトンの「イデア」を神に置き換え、神による世界創造という教義を生み出す。すると、反プラトン主義者のアリストテレスは、キリスト教の「神学」にとって不都合ということになる。だから、西ローマ帝国が滅びるとアリストテレスの著作はアラビア語に翻訳されてイスラム神学を作るのに利用され、盛んに研究されることになるが、ヨーロッパ世界からは消失してしまう。11世紀の十字軍によってヨーロッパとイスラムの交流が始まり、スペインのトレドでイスラム神学者を中心にアリストテレスの著作をアラビア語からラテン語に翻訳することが始まり、12世紀になるとパリとボローニャに大学ができ、そこにアリストテレスの著作が1000年ぶりに再登場することになる。これによって、プラトンの「実念論(Realism)」とアリストテレスの「唯名論(Nominalism)」との普遍論争が惹起した。この論争は14~15世紀までつづき、聖アンセルムス、アラベール、ドン・スコトゥス、トマス・アクイナスなどの聖職者・学者が論議を展開した。中世を通じて一般の人の識字率は低く、もちろんラテン語などはほとんどの人が知らず、学問は修道院の僧侶がもっぱら独占してきた。それが、12世紀にヨーロッパに大学ができ、一般の人々が学問を学び始めたことが、アリストテレスの哲学を受け入れる素地を作った。

 ところで、ギリシア数学の最期、終焉はいつなのか。東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスによって、アテネアカデメイアが閉鎖された時(A.D.529年)か、あるいは、アラブのイスラム勢力により、アレクサンドリアが占領された時(A.D.642年)か。だが、この二つの出来事の後にも、ギリシア人の東ローマ帝国とその首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)は健在で、ギリシア数学はこの地で生き延びている。実際、11世紀のコンスタンティノープルには、最後のギリシア哲学者・数学者と言われるプセルスがいた。プセルス以後も、コンスタンティノープルではギリシア数学が存続、それは15世紀初頭まで続く。すると、ギリシア数学が消滅したのは、オスマン・トルコの攻略により、コンスタンティノープルが陥落し、東ローマ帝国が滅亡した1453年ということになる。それゆえ、ギリシア数学は、ターレス以来、実に2000年余にわたって引き継がれてきたことになる。1453年といえば、イタリアで既にルネサンスが始まり、ヨーロッパの数学者たちは、イスラム世界から輸入した古代ギリシアの知識を吸収し、自らのものとして使いこなし、代数学を開花させる直前にあった。その後、デカルトが解析幾何学を完成し、やがてニュートンライプニッツへと続き、ついに科学革命を迎えることになる。

 こうしてみると、ギリシア数学は、哲学とは違って、2500年余の長きにわたり、現代まで継承されてきたことになるのか?