生活世界を支える知識:哲学的な素描 3

第3章 『原論』あるいはユークリッド幾何学とはどのような知識なのか?

人類が生活世界で発見し、大いに頼った原初的な概念は「多数性」と「空間性」だったようである。多数性は動植物や日付、日数を数えることに、空間性は土地の広さ、水量を表すことに関わっていて、それぞれが「算術」と「幾何学」に発展することになったと言われている。[1]エジプトの数学は経験的だったが、それを学んだターレスは数学を論証的なものにつくり変えた。ギリシャの数学をさらに推進したのはピタゴラスで、ピタゴラス学派によるピタゴラスの定理と無理量(現在なら無理数で表される量)の発見はつとに有名である。正方形の一辺と対角線は通約不可能、つまり、長さ1の正方形は無理数の長さ(量)の対角線をもつ。これを発見したのはヒッピアスと言われている。[2]この結果は、すべての幾何学的な長さの比を表現するには数では不十分で、長さという空間的な量を必要とする、それゆえ、算術より幾何学が優れているという結論が出され、それがギリシャ数学を支配する特徴となった。

『原論』で展開されるユークリッド幾何学ギリシャ数学の集大成であり、聖書を除くならば、『原論』はこれまでもっとも多く出版された書物である。「定義」、「公理」、「公準」、そして「点」、「線」、「作図」といったお馴染みの概念について再確認し、「論証」形式の具体的な完成である『原論』の内容を通じて、幾何学のもつ真の意義を探ってみよう。因果的な生活世界を因果的でない知識を使って理解し、利用する仕組みが『原論』によって可能になったことをこの章で考えてみよう。私が最も言いたいこと、それは古典的世界観の基本に、そして私の生活世界の基本中の基本に位置するのが「点」であるということなのだが、その出発点の「点」が『原論』の最初の定義であることを思い起こし、そこから話を始めよう。

 

3.1『原論』の歴史から

『原論』で述べられる幾何学は現在教えられているユークリッド幾何学とは違うことを念頭に置きながら、『原論』の内容について考えてみよう。紀元前300年頃に著された『原論』は、ギリシャ数学を集大成し、数学的な知識を体系的、演繹的に述べ、説明した画期的なテキストである。その後次第に代数化が進み、遂にはデカルトによって幾何学は解析幾何学として解析学に統合されることになる。ヒルベルトは形式主義の立場から、ユークリッド幾何学代数的構造をもつ形式的なシステムとして整備した。ブルバギの『数学原論』には「幾何学」という項目が見当たらないが、それらは「幾何学」を無視したというより、普遍的な思考法として幾何学的手法を数学の中に取り入れ、融合した結果で、幾何学は数学という学問の中の個別の一領域ではなく、数学全体に広がった真理であることを意味している。ユークリッド幾何学からの展開の試みの一つが平行線の公準で、それを否定することによって、ガウス(1777-1855)、ロバチェフスキー(1793-1856)、ボリアイ(1802-1860)たちは非ユークリッド幾何学を提唱した。また、測度を導入して普遍単位をきめることによって、デカルト座標に対応させることができる。しかも、平行線の定理や三角形の合同定理などの難解な定理の証明を後にまわすことができる。分度器の使用によって角度を決めることができ、それによって三角関数に対応でき、球面を非ユークリッド幾何学のモデルとして扱うことができる。デカルトによる解析幾何学の発見以来、幾何学は単独には存在せず、代わりに代数幾何学位相幾何学微分幾何学のように、あらゆる分野に幾何学の手法を取り入れて数学が展開されることになる。[3]

戻って、『原論』の成立に関わるギリシャ数学史の情報源となると、5世紀のプロクロス(Proclus)による原論の注釈しかない。新プラトン派の哲学者プロクロスは412 年コンスタンチノポリスに生れ、アレキサンドリアその他に学び、やがてアカデメイアの学頭となった。『歴史概観』は,彼の著書『ユークリッド『原論』第1 巻注釈』の中に入っていたもので、古代人の手になるまとまった数学史としては、現存する唯一のもの。帰謬法を使って、ゼノンが「アキレスは亀に追いつけない」とか「飛んでいる矢は止まっている」という命題を証明しようと試み,その後まもなく,ピタゴラス派が無理数を発見し、その後1 世紀を経ずして、「点とは部分をもたないものである」という定義から始まる『原論』によって、ユークリッドはそれまでの数学の知識を体系的・演繹的に叙述した。この書物によって厳密な公理的、論証的な数学が誕生したが、長さ・容積・重さなどの連続的に変化するものは、数ではなく、「量」と見なされた。

量といえば、誰も物理量や統計量を思い出すに違いない。物理量の値は常套的に実数で表現されることになっている。今の私たちは物理量が実数で表現されることを信じて疑わない。そのためか、物理量はいつでも確定した値をもって存在していると思っている。私の体重は今私が正確に知らないとしてもある特定の値をもっているというのが常識となっている。例えば、物理的な対象の位置や速度、圧力や体積は、私たちとは独立に存在し、その状態を乱すことなく私たちは位置や速度、圧力や体積を知ることができ、それらの値は当然のごとく、測定していない時も確定的に存在すると思い込んできた。対象が小さすぎたり、遠過ぎたりして測定できず、その結果、値がわからない場合、その物理量が存在しないというのは、確か量子力学コペンハーゲン解釈であった。

ところで、私たちの住む世界で、ある点で示される対象は位置をもってはいるのだが、その値がないという事態は考えられるのだろうか。古典的世界観のもとではそのような事態は考えられない。対角線の長さのような量は存在するが、それを表示できる数がない、これがギリシャ幾何学での数と量の関係であるが、量子力学を始め、非古典的な物理学での数と量の関係は随分異なっている。

『原論』において確認しておきたい事柄は幾つもあるが、(1)論証の構造を知ること、(2)数学が何かを表示、表現すること、(3)点と運動の関係、これらが私の関心ということになる。では、I巻から順次内容を見て行こう。

 

3.2『原論』の内容

 実際の原論がどのような内容になっているかを直接に眺めるのが第一の目的である。

原論の第I巻は定義、公理、公準から始まり、三角形の合同,定規とコンパスによる作図、平行線の性質などを証明し、ピタゴラスの定理で終わる。最初の定義は23個。

定義

  1. 点とは部分をもたないものである。
  2. 線とは幅のない長さである。
  3. 線の端は点である。
  4. 直線とはその上にある点について一様な線である。
  5. 面は長さと幅のみをもつものである。

...

23 平行線とは,同じ平面上にあって,両方向に限りなく延長しても、いずれの方向においても互いに交わらない直線である。

 

これら定義の中で私が最も注目したいのは最初の「点」の定義である。無定義の「部分」という言葉を使って「部分をもたないもの」としてまず点が定義される。幾何学のもっとも基本的な対象は点であり、それは部分がなく、現代風に言えば、0次元の対象ということになる。[4]点に大きさやサイズがあるなら、そのサイズの半分が全体の中の部分として存在することになるから、部分がなければ、サイズもないことになる。つまり、部分がない点はサイズがない点ということになる。サイズのない点は物理世界に存在できるかと問われるなら、サイズのない物理的な存在を見たことがない私たちは、点は物理世界に存在せず、イデアの世界の数学的な対象だという意見に賛成したくなる。だが、その後の幾何学の歴史を考えると、点がどの世界にあるか、ないかという存在論的な問題より、点が何を表示し、その表示によって自然の変化を描くのにどれだけ成功したかの方が実は遥かに重要なのである。この点については後の章でしっかり考えよう。

自明な性質を公理(axioms)または共通概念(common notions)と呼び、要請あるいは仮定されるべき性質は公準(postulate)と呼ばれる。

公理

  1. 同じものに等しいものは互いに等しい。
  2. 等しいものに等しいものを加えれば,また等しい。
  3. 等しいものから,等しいものを引けば,残りは等しい。
  4. 互いに重なり合うものは互いに等しい。
  1. 全体は部分より大きい。

公理 1、2、3 は次のような演算のルールを述べていることになる。現在なら数のシステムが下の公理を満たすことになるのだが、自然数や実数についての公理というより、量に関する公理となっている点に注意したい。

公準

  1. 任意の点から任意の点へ一本だけ直線を引くことができる。
  2. 有限な直線を連続的に直線に延長することができる。
  3. 任意の点を中心とする任意の半径の円を描くことができる。
  4. すべての直角は互いに等しい。
  5. 直線が2直線と交わるとき,同じ側の内角の和が2直角より小さいなら,この2直線は限りなく延長されたとき,内角の和が2直角より小さい側において交わる。

 最後の公準は「平行線の公準」と呼ばれ、プレイフェアー(Playfaire)の次の表現がよく使われている。[5]

 

直線が与えられ、その直線外の一点から元の直線に平行な直線を正確に一本引くことができる。

 

以上の事柄が『原論』のユークリッド幾何学の公理系として通用している内容である。以下に、私が重要と思う現在教室で習うユークリッド幾何学の内容をピックアップして、述べてみよう。

 

直線とは互いにとなり合う点の集合である。

1与えられた点を通って無数の直線を引くことができる。

2二つの異なる点を通って一本だけ直線が引ける。

3二本の直線が交差すると、一つの点で交わる。

 

平面に関する公理

Axiom: 平面は直線とその線上にない一点で定義できる。直線の定義を使って、平面は三つの共線的でない点を含むことができる。逆に、三つの共線的でない点を通じて、一つだけの平面が存在できる。

Axiom: 二つの直線が交差すると、両方の線を通る一つの平面が存在する。

Axiom: 二つの平面が交差すると、正確に一つの直線が存在する。

Axiom: 直線が平面上になく、交差すると、その交差は点となる。

点:Points

私たちは点を紙の上の斑点のようなものと考えている。幾何学では通常この点を数や文字と同一視する。点は長さ、広さ、高さをもたず、正確な位置を決めるだけである。点は0次元である。

線:Lines

私たちは線を使って二つの点を結ぶことができる。線は1次元の対象である。つまり、線は長さをもつが、幅や高さはもたない。幾何学では線は完全に真っすぐで、両方向に限りなく延長されている。線は二つの点によって一意的に決定されている。

同一の線上の点の集合は共線的と言われる。

線分(Line segments

直線の長さが無限であるゆえ、直線の部分を利用する場合がある。

線分は直線の部分として引くことができる。

『原論』では何の説明もなく、定義1、2が始まる。この中に「部分」、「幅」、「長さ」といった無定義語が現れる。これらの意味を与えるために別の言葉を持ち出すならば、その別の言葉を説明するための別の言葉がさらに求められる。こうした無限循環に陥らずにすむための設定がなされるのである。当然,ユークリッドの判断に異議を唱えることは可能だろう。ただこれはこれでやはり非常に巧妙,かつ現実的選択であるように見える。つまり同時代人の読者を想定し、暗黙の了解が存在すると判断できるものについて定義を省くことが可能としたのではないか。

 

『原論』の第1巻命題1、つまり、最初の命題は直線ABを一辺とする正三角形の作図である。

公準3より、中心をA、半径Bとする円を描くことができる。同じように、中心をB、半径Aとする円を描くことができる。描いた二つの円を一つに合わせ、二つの円の交点の一つをCとする。Cがあれば、AC、BCを公準1より引くことができる。三角形ABCと円の定義15,16より、AB=AC、AB=CB。よって、公理1より、AB=AC=BC。よれゆえ、三角形ABCは正三角形である。

(公式的な証明:与えられた有限直線をABとせよ。与えられた有限直線AB上に等辺三角形を作図することが要求されている。中心Aと半径ABをもつ円BCDを描きなさい。公準I.3また、中心Bと半径BAをもつ円ACEを描き、円が互いに交差する点Cから点AとBに直線CAとCBを結びなさい。公準I.1いま、点Aは円CDBの中心なので、ACはABと等しい。また、点Bは円CAEの中心なので、BCはBAと等しい。定義I.15しかし、ACはABと等しいことは証明されていた。それゆえ、直線ACとBCのそれぞれはABと等しい。そして、同じものに等しいものもまた互いとも等しい。それゆえ、ACもBCと等しい。共通概念I.1それゆえ、3直線AC、AB、BCは互いに等しい。それゆえ、三角形ABCは等辺であり、それは与えられた有限直線AB上に作図されている。)

「この二つの円が交差することを証明する必要がある」というライプニッツの批判(1679年)は数学的に正当なもの(この証明の不備を指摘したのは歴史上ライプニッツが初めて)。

実数平面上であれば常にこのような交点は存在するが、有理数平面上では交点の座標に無理数が含まれる場合があるために、交点が存在しない場合がある。したがって、何らかの形で交点の存在を保証しなければならない。実際、交点公理のような公理を採用しなければ交点の存在を保証することはできない。証明を図形に依拠して捉える限りではこうした見解を得ることは難しい。よって、図形への関与を減らす仕方での幾何学の再構成が必要。         上のCの存在は保証されていない。二つの円の交点が自動的に存在する訳ではないことは、線が点の集まりであることが明記されていないことを示している。「線を引くこと」は運動であるが、線が点から構成されているかどうかは運動からは出てこない。解析幾何学以後になって、線が点からなることが明瞭に意識され、それが実数による表記につながり、線と実数の集合の対応がはっきりしてくる。そして、この対応こそが古典的世界観の根幹をなすことになるのである。

 

『原論』では,「円の内部の点を通る直線は円周と2 点において必ず交わる」ことが暗黙に仮定されている.これは直観的に明らかで,正しい命題であるが,『原論』の公理・公準のみからは証明できない。

 

ヒルベルトは,公理系が内部矛盾を含まない,つまり、この公理系からある命題とその否定命題が共に証明されないこと(無矛盾性),各々の公理が他の公理からは導かれないこと(独立性),知られる限りの正しい命題(定理)がこの公理系で実際に証明可能であること(完全性)など,公理系が満たすべき必須条件を慎重に吟味している.独立性についていえば,例えば,平行線公理の替わりに「平行線は2 本ある」という公理を用いると,奇妙ではあるが内部矛盾のない非ユークリッド幾何学が得られる.このことは,もし平行線公理が他の公理から導かれるとすると,「平行線は1 本だけあるかつ2 本はある」という公理の設定になって必ず矛盾が出てくるはずだから,そうでなかったことは平行線公理が他の公理とは独立なことを意味する.完全性については,1 つの公理を外すと証明可能な命題が減って意味の無い公理系になり,独立した公理を加えると,条件がきつくなりすぎて,互いに矛盾する命題が証明されてしまうので,完全性と無矛盾性は密接に関係している.公理系は,一般に,完全性を満たすべく,ぎりぎり多くの公理群を動員して構成されるため,無矛盾性の検証が最も重要になる.ヒルベルトは,実数によって座標を構成する解析幾何を用いて,彼の公理系を「実数論」に翻訳し,実数論が無矛盾であれば『幾何学基礎論』の公理系も無矛盾であることを示した.

 

ヒルベルトは,点・直線・平面などの基本的対象だけでなく,‘存在する’・‘間にある’・‘合同である’といった基本的関係を「基本概念」と考えて,それらに直接的な定義を与えず,基本概念は,その公理系の中で,それらが満たすべき条件によって間接的に定義されていると考えた.そのような基本的用語は「無定義用語」と呼ばれる.また,ヒルベルトは,公理が‘理論の前提としての単なる仮定’であることを明確に掲げ,理論はこのような公理系だけに基づいて演繹的に構築されるべきとする立場を打ち出した.現在公理主義と呼ばれる立場である.

命題[I-29]

平行線の2つの錯角は等しい。

証明には公準5が用いられる。二つの錯角が等しくなければ、平行線ではなくなってしまうという帰謬法による。

命題[I-32]

三角形の内角の和は2直角である。

上記のように平行線を引き、平行線の性質(錯角、同位角)を使えばよい。この命題は平行線の公準と同値である。

命題[I-35]

底辺と高さの等しい平行四辺形の面積は等しい。

二つの平行四辺形を合同な二つの三角形から共通な三角形を除いて別の共通な三角形を加えた図形と考えればよい。

Ⅰ巻の最後にはピタゴラスの定理とその逆が述べられている。

命題[I-47]

直角三角形について直角の対辺を一辺とする正方形の面積は直角をはさむ二辺を一辺とする正方形の面積の和に等しい。

巻,幾何算術(図形的代数)

命題[-4]

正方形は二つの正方形と長方形の二倍との和に等しい。

これは の図形を使った説明である。

命題[-14]

2次方程式 x2 = ab の図形を使った解法が述べられている。

証明にはピタゴラスの定理が使われる。 ab は長方形と考えられ、x2 は1辺 x の正方形の面積である。

巻,円の幾何学

Ⅲ巻では円に関する定理、円の中心の作図、円と接線、割線の定理が述べられている。

命題[- 17]

与えられた点から円への接線の作図法。ユークリッドの作図法は次のようなものである。点 A と円の中心 O を結び、円との交点に垂線を引き、円との交点を求め、その点と O を結ぶ直線と円との交点が求める接点になる(理由は三角形の合同である)。

命題[-20

円周角は中心角の1/2である。

命題[-31]

直径の円周角は直角である。

命題[-21]

同じ円弧の円周角は等しい。

巻,円に内接および外接する図形

円に内接あるいは外接する3角形,正方形,正5角形,正6角形などを作図する方法が述べられている。

巻,比例の一般論,巻,図形の相似

命題[VI-2]

相似三角形の辺は比例する。

辺の比を面積の比で考えればよい。

巻,数論

自然数,奇数,偶数,素数,合成数,正方数,立方数,完全数などが登場する。数は線分で表され、単位の倍数で測られる。最大公約数を求める効率的な方法であるユークリッドの互除法が解説されている(Ⅶ-2)。自然数 a, b の最大公約数を求めるのに、もしa b を割り切れば、aa, b の最大公約数である。そうでないときは、大きい方から小さい方を引けば、いつかは最大公約数に達するというのが元々のユークリッドの互徐法である。例えば、24 と 15 で実行してみよう。15 は 24 を割らないので、24 - 15 = 9、15 - 9 = 6、9 - 6 = 3 となり、3 が最大公約数であることが分かる。

命題[-20]

素数の個数は無限である。

現在の証明であれば,素数が有限個しかないとして、その個数を n とし、素数の集合を p1,..., pn で表すという議論をするのであるが、一般の個数 n を用いるという習慣がまだ知られていない時代であったので、素数の個数が3個であるとして議論がされている。それでも証明の本質的な部分が失われていないのはさすが『原論』である。現代の証明を続けると、数 p=1 + p1... pn はどの素数よりも大きいので、合成数である。定義から、p素数であるので、pi では割り切れない。合成数は必ず素数で割り切れるので、これは矛盾である。

巻,無理数

例えば、有理数 a平方根有理数であるのは a が平方数分の平方数であるときに限ることが示されている(Ⅹ-9)。

ⅩⅠ巻,立体幾何学

最初に立体幾何の定義が述べられている。

定義

  1. 立体とは長さと幅と高さをもつものである。
  2. 立体の端は面である。
  3. 直線は交わる平面上のすべての直線と直角をなすとき,その平面と直角である。
  4. 平行な平面とは交わらない平面である。
  5. 角錐とは数個の平面によって囲まれ,一つの平面を底面とし,一つの点を頂点としてつくられる立体である。

問題[ⅩⅠ-11]

与えられた点から平面へ垂線を引く方法を考えよ。

ⅩⅡ巻,体積

とりつくし法により,角錐,円錐,円柱などの体積が求められている。

ⅩⅢ巻,正多面体

この巻が原論のクライマックスである。各正多面体の一辺と外接球の半径の比が求められている。最後の命題(ⅩⅢ-18)は正多面体が、正4面体、立方体、正8面体、正12面体、正20面体の5個のみであることの証明である。

 

『原論』をもとにしたユークリッド幾何学を学び始めて気づく特徴、あるいは形式主義的な観点からは欠点に映るものをまず挙げてみよう。誰も学校で自然に行い、感じた事柄ではないだろうか。

① 測度、尺度が決まっていない(線分の長さが無視されるので、数計算と結びつかない)。 ② 作図は定木とコンパスだけに限定される(ギリシャでは直線と円だけが神聖なものと   みなされた)。 ③ 図形の基本を三角形にした(三角形の合同定理が出発点になり、これは複雑な関数関係に結びつけられている定理である)。 ④ 次元が空間や球面に至っていない(それゆえ、図形は平面に限られる)。 ⑤ 図形は個別的である(平面に書いた三角形は特定のユニークな三角形である)。

 

これらユークリッド幾何学独特の特徴、具体的に図式に従って結果を構成するという特徴は幾何学の歴史の中で次第に解消、あるいは変更されていく。また、点からスタートする図形の作成は、デカルトの座標系導入によって位置や長さ、大きさといった量が数によって表現されるようになり、幾何学の解析化へとつながっていく。[6]

ヒルベルトの『幾何学の基礎(Grundlagen der Geometrie)』(1899年)はこの不備を是正することを目的にしており、公理的な手法を用いてユークリッド幾何学を形式化する試みだった。[7]図形の性質が公理によって規定され、幾何学的対象は公理系によって定義される限りでどのようなものでも構わない。その結果、幾何学固有の対象領域はなく、無矛盾な公理系のモデルであれば、どれも同等である。

タルスキの“elementary geometry”では、領域として点の集合、未定義述語としてbetweennessとequidistanceをもつ体系をつくる(bet(a,b,c)⇔点bは点aと点cの間にある、ab≡cd⇔直線abと直線cdの長さが等しい)。タルスキはヒルベルトの体系の連続の公理の代わりとしてelementary continuity axiomを加えた公理系を構築し、その完全性と無矛盾性と決定可能性を証明した(1959)。

小平邦彦ヒルベルト批判は有名である。その著書『幾何への誘い』におけるヒルベルトの形式化に対する批判(小平[1991])。ヒルベルトの体系は「論理的厳密性」を目指すものであった筈なのに、ヒルベルトの証明は「論理的に厳密」ではない。というのも、ヒルベルトが『幾何学の基礎』を書くにあたって図形的直観に導かれていたことは疑いない。その証拠に、『幾何学の基礎』のほとんどのページに図が描かれている。実際、ヒルベルトの証明を追うとき、われわれは頭の中で図形を思い浮かべているし、図形を思い浮かべないと証明を理解できない。これは、「点」「直線」の代わりに「机」「椅子」と言ってもよい、とするヒルベルトの建前に反する。小平はヒルベルトの証明を補完して、「直観によらず論理だけを用いて厳密にできている」とする証明を構成するが、同じページになぜか図形が描かれている。

ヒルベルトの体系にせよタルスキの体系にせよ、その証明を追うときにわれわれが図形を想像しているのは確かに事実と言ってよい。もちろん、意味を持たない記号列の変換とみなして証明を追うことも可能。しかし、それが幾何学の定理の証明であることを理解するためには、やはり図形的直観に訴える必要があるだろう。この意味で、小平の指摘の内容自体は正当と言ってよい。

図形的推論について、私たちは図形を用いた推論を日常的に行っている。ベン図やオイラー図などがよい例である。幾何学における図形の機能分析もまたこの流れに属する。Mumma[2006]、Miller[2008]、Avigad et al[2008] らがユークリッド幾何学全体の形式化を行っている。[8]図形の持つ性質を、図形相互の繋がりなどの定性的性質と長さや大きさなど定量的性質にまず分類した上で、ユークリッドの『原論』の定理の証明の遂行に寄与している性質が主として定性的性質であることから、与えられた図形に補助図形や補助線を書き加えて新たな図形を得るパターンを列挙し描かれた図形から情報を得る手続きを定義して、さらに図形の同値類も定義した上で、ユークリッド幾何学の定理の証明を再構成する。

それらをまとめると、次の様になるだろう。

  • ヒルベルト的形式化はユークリッド幾何学の論理的分析。
  • アヴィガド的形式化は『原論』の分析。
  • 数学の実践の観察から数学の性質を取り出す試みとして、アヴィガド的形式化は、記号としての図形が持つ効能(対象の性質を視覚的に表示する)を教えてくれる。
  • そうした効能は幾何学限定のものではなく、むしろ数学全般についても言えるのではないか。
  • とはいえ、高度に抽象的な現代幾何学についてもこうしたことが当てはまるかどうかは慎重に検討すべきである。

 

『原論』では「円の内部を通る直線は円周と2点において交わる」ことが暗黙に仮定されている。直観的には明らかなのだが、公理や公準からは演繹できない。『原論』の公理系は欠点をもっている。ヒルベルトはこの欠点を払拭しようと1889年に『幾何学基礎論』を著した。

公理系からある命題とその否定命題が共に証明されないこと-無矛盾性

各々の公理が他の公理から導出されないこと-独立性

知られる限りの正しい命題が公理系で実際に証明可能であること-完全性

公理系は一般に完全性を満たすべくできるだけ多くの公理から構成されるため、無矛盾であることが危険にさらされる。ヒルベルトは実数によって座標を構成する解析幾何を使って、公理系を「実数論」に翻訳し、実数論が無矛盾なら『幾何学基礎論』の公理系も無矛盾であることを示した。

1結合の公理には点、直線、平面が登場するが、それらの定義は一切ない。『原論』が「点とは部分をもたないものである」という定義から始まるのとは大違いである。

 

ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学

ユークリッド幾何学

現代のユークリッド幾何学の姿をThe Four Pillars of Geometry[9]を参考にして確認しておこう。幾何学にはユークリッド的、公理的、線形代数的、射影幾何学的な研究がある。伝統的なユークリッド幾何学は直定規とコンパスによって描くことができる(構成可能な、作図可能な)幾何学的図形を対象にしてきた。[10]その中でも直角と平行線が作図においては特別の役割を演じている。図形が動くことを使った合同の証明を見てみよう。それはBook I の命題4の証明が最初である。その命題は、

 

二つの三角形の二つの対応する辺が等しく、それら辺の間の角が等しいなら、残りの辺や角も等しい、

 

と主張している。ユークリッドは一つの図形を動かし、角と辺が一致することによって合同を証明したが、現在ではこれを公理として認めてしまう。その方が運動という概念を幾何学に導入することより簡単だからである。(同書、p.24)

 このような直接の「動き」や直観の導入は直定規とコンパスによって合理的にどのような作図が可能かの範囲を明らかにすることにつながる。そして、直定規とコンパスによる作図が合理的な四則演算と√ による操作と同じものであることが明らかにされる。[11]

ユークリッド幾何学には多くの暗黙の前提が使われている。既述のように、正三角形の作図という彼の最初の証明においてさえ二つの円の交わりが点をもつとされているが、彼の公理からはそのような点の存在は保証されない。このような不備は19世紀に幾つも指摘され、不備をなくす試みがヒルベルトによってなされた。[12]

ヒルベルトの公理系には基本的な公理のほかにアルキメデスの公理、デデキントの公理が採用されている。それぞれの公理は、次のような主張である。

 

アルキメデスの公理(Archimedean axiom):どんな長さも別の長さに比べ無限に長いことはありえない。

デデキントの公理(Dedekind axiom):線は完備である。つまり、ギャップがない。

 

アルキメデスの公理を丁寧に述べると下の命題になる。

 

任意の二つの線分ABCDについて、ABn倍がCDより長くなるようなnが存在する。

 

座標系の導入は1630年代にフェルマーデカルトによって考えられ、それを最初に出版したのがデカルトだった。それによって、幾何学は大きく変わり、幾何学の算術化が具体的に実行されてきた。

 

  1. 直定規とコンパスによる構成可能性の代数的な記述
  2. 幾何学的対象の運動の定義、運動の種類実数Rは線のモデルに適していた。実数はギャップをもたず、実数の各数は点が線の上に並んでいるように順序良く並んでいる。それゆえ、ユークリッド平面幾何学のあらゆるもののモデルをつくるのに使われることになった。各点が各実数である実数直線Rが存在すると、各点が実数の順序対である実数平面も存在する。直線の方程式が考えられ、 と表現できる。すべての直線は同じような形式の方程式をもち、一般的に,「任意の定数a, b, cに対してax + by + c = 0.」と表現できることから、方程式が直線や曲線が何かを定義し、それら方程式がユークリッドの公理が何かのモデルを供給し、幾何学は実数の性質から導き出されると言ってもよいことになる。ここからその後の幾何学のさまざまな展開が出てくることになる。3.3平行線の公理を巡って
  3.  
  4.  

ユークリッド(Euclid, 325BC-265BC)は紀元前300年ほど前に『原論』を書き、それは人類が書いた最も有名な一冊となった。その中で彼は現在の公理にあたる仮定を5つ置いたが、最後の平行線の公理と呼ばれるものは他の公理に比べ複雑で、公理として最初から自明であるとは言い切れなかった。後のプロクルス(Proclus, 411-485)の定式化に従うなら、5番目の公理は「直線とその上にない一点が与えられると、その一点を通り、その直線に平行な直線を正確に一本引くことができる」と表現できる。

そこで平行線の公理を上の4つの公理から演繹的に証明しようと多くの試みがなされた。後に証明の誤りが明らかになった多くの証明は平行線の公理と論理的に同値な(既述のbiconditionalで表現され、平行線の公理の必要十分条件である)ものを仮定していた。これは論点先取の誤り(petitio principi)である。極めて重要な証明は1733年になされたサッケリ(Giovanni G. Saccheri, 1667-1733)のものである。彼は平行線の公理が誤っていると仮定し、そこから矛盾を導き出そうとした。これは帰謬法(reductio ad absurdum)を使った戦略である。平行線の公理の否定は「平行線を正確に一本引くことができる」を否定することである。すると、「平行線が一本も引けない」と「平行線が二本以上引ける」という平行線の公理の二つの否定形ができる。彼は「平行線が一本も引けない」という仮定のもとで、矛盾を引き出すことに成功した。上の四つの公理は「平行線が少なくとも一本引ける」を含意するからである。「平行線が二本以上引ける」場合も多くの非ユークリッド幾何学の定理を証明できた。しかし、彼はそれらがユークリッド幾何学の定理であることを認識できなかったし、前のように矛盾を引き出すこともできなかった。

 

[非ユークリッド幾何学の誕生]

19世紀初頭ユークリッド幾何学の妥当性に関する問いが数学者の間で出され、それに最初に取り組んだのがガウス(Carl F. Gauss, 1777-1855)であった。カントが没した時、ガウスユークリッドの4つの公理と平行線の公理の否定が矛盾を含まずに両立することを既に認識していたが、非ユークリッド幾何学の存在をそのまま認めることができなかった。数は人間の心の所産であるが、空間は心の外にある物理的な実在であると彼が考えていたためである。

その後、ガウスと同じ結果がボーヤイ(János Bolyai, 1802-1860)とロバチェフスキー(Nikolai I. Lobachevski, 1792-1856)によって独立に発表される。彼らは一本の平行線の存在を否定し、「平行線が二本以上引ける」と仮定し、他の公理と矛盾しない非ユークリッド幾何学を展開してみせた。さらに、19世紀中葉にはリーマン(Georg F. B. Riemann, 1826-1866)がユークリッドの4つの公理に細工を施すことによって、「平行線が一本も引けない」という仮定のもとで別の非ユークリッド幾何学ができることを見出した。

こうしてカントの没後僅か50年で三つの異なるタイプの幾何学共存することになった。それらは「平行線が正確に一本引ける」ユークリッド幾何学、「平行線が二本以上引ける」非ユークリッド幾何学、「平行線が一本も引けない」非ユークリッド幾何学である。

 

(問)カントの認識論では、時間と空間は直観の形式であり、ユークリッド幾何学的構造をもつと考えられた。つまり、私たちが認識する物理世界はユークリッド幾何学の構造をもつと彼は考えた。では、非ユークリッド幾何学が物理世界の構造を表現することはカントの認識の理論に反することになるのか。

 

幾何学の進展と推論の関わり]

これまでの話をまとめてみよう。最初は4つの公理から平行線の公理が演繹できないか試みられた。うまく行かないため、平行線の公理の否定が仮定され、そのもとで他の4つの公理と矛盾するかどうか調べられた。ユークリッド幾何学無矛盾(consistent, non-contradictory)という仮定のもとで、平行線の公理の否定から矛盾が出るなら、平行線の公理は4つの公理から演繹される。(なぜだろうか?)平行線の公理の否定は二つの形をもち、一方からは矛盾が得られた。しかし、別の否定形から矛盾が出ないため、4つの公理からは演繹できない可能性が残っていた。つまり、平行線の公理は他の公理から独立している可能性があったのである。非ユークリッド幾何学のモデルがつくられることによって、平行線の公理が他の公理から独立していることの一部が示された。さらに、4つの公理を僅かに変形すると、「平行線が一本も引けない」と仮定しても矛盾が得られず、別の非ユークリッド幾何学がつくられる。こうして、平行線の公理の残りの一部の独立性も証明された。この一連の追求の道筋には推論の工夫と推論についての推論が積み重ねられている。このような純粋に論理的な追求と共に、ユークリッド幾何学は経験世界の空間を記述するための唯一の幾何学かどうかが問題になっていた。言い換えれば、ユークリッド幾何学アプリオリに成立するかどうかである。

 

3.4まとめ

『原論』では「点」から始まり、図形だけでなく数や比例を含んだ命題を論証によって証明する形式でギリシャ数学の成果が見事に表現されている。論証、証明による説明が生活世界に適用されると、対象の形態や配置、分布等は因果的でないので、そのまま幾何学的に表現されるが、対象の運動変化は因果的であり、そのため、完了した運動として空間的に表現される。

 

ユークリッド幾何学の限界を現代の数学的観点から断ずるのは簡単である。だが、そのような批判や特徴付けを嫌うのが普通の数学史家である。異なるパラダイムを使って批判するのは当たり前のことで、パラダイムの違いは自ずと他の批判になる、あるいは逆にパラダイムの違いからは批判しかできないというのが数学史家に限らず、歴史家の主張の根拠になっている。二つの異なるパラダイムと言えるほどに大きな違いがみられるのがユークリッドヒルベルトの違いなのかも知れない。図式を用いた構成的な証明と、記号を中心とする形式主義的な証明の違いは、幾何学に対する根本的なパラダイムの違いと言えなくもない。すると、形式主義と直観主義パラダイムの違いということになるのかも知れない。哲学の違いは大いに議論に値することになっているが。パラダイムの違いは無意味な批判しか生まないのだろうか。

 

[1] 変化は因果的、時間的に、不変のものは空間的に捉えられ、不変的なものを表示装置として使って変化を考えることになる。不変の表示が決定的であることを目指したために、それが古典的な世界観につながる。だが、「点」は果たして空間的なのだろうか。

[2] 彼はギリシャソフィストで、ソクラテスの同時代人だった。彼はソフィストとしてあらゆる事柄に権威として君臨していた。うぬぼれが強く、傲慢というのがプラトンの評である。

[3]漢訳名は『幾何原本』で、前半6巻は1607年にマテオ・リッチと徐光啓により漢訳された。

ユークリッド(中村幸四郎他訳):ユークリッド原論.共立出版,1971

Hartshorne, R.: Companion to Euclid. Amer. Math. Soc., 1997

 

[4] 1次元の対象は線、2次元の対象は平面図形、そして私たちは3次元の対象として存在している。これに時間の次元を加えると、いわゆる4次元の世界、つまりブロック宇宙モデルの世界ということになる。

[5]この命題は論理的に同値ではない。John Playfaire(1748-1819).

[6] 零の発見と点の発見を比較する。同じように二つの役割が判明する。位取りとしての零と数としての零と同じように、幾何学的対象としての点と位置の表現のための点がある。図式による『原論』解釈

[7] ヒルベルトの公理系の説明

[8] 2012年のSynthese参照。

[9] Stillwell, J. (2005), Springer.

[10] Bernaysはユークリッドヒルベルト幾何学についての考えの違いを挙げ、ユークリッドの「構成的」な証明を強調した。二つの違いは次のように表現できる。「任意の二点AとBに対して、AとBを含む線が存在する」と「任意の点から任意の別の点へ直線を引く」との違いである。

[11] Descartes, R. (1637), Géométrie, p.41.

[12] Hilbert, D. (1899), Grundlagen der Geometrie. 二つの円の交点が存在しないということは、線が点から出来上がっているかどうかがわからないことを示している。点を打ち、線を引くことと、二点の間に線が存在することの間の違いに注意したい。

 

幾何学なのに図形が入っていません。図形は省略されていますので、別の資料で補って下さい。