ミクロとマクロの統一に伴う諸問題

ミクロとマクロの統一に伴う諸問題

 ここで私たちが垣間見たいのは、ミクロとマクロの統一世界の(普通の人から見れば)非常識的にしか見えない性質と、それら性質の背後にあって非常識の原因となっている比較的単純な限界(limits)である。多くの非常識で驚くべき事柄が結論として取り出せるが、それらが決して驚くべきではない、正しい前提から得られる点に特徴がある。

 次の常識的で、当たり前とされている主張から考えてみよう。

 

物理的対象の運動変化は一様で、連続的であり、各瞬間、各地点での状態は確定した物理量(質量、位置、速度等)によって定まっている

 

この古典的な主張はまったく常識的で、疑う余地のないように思われているが、統一理論(unified theory)の観点から見ると、誤った、非常識的な主張でしかない。実際、専門的な物理学者でない多くの人は「対象と時空は全く別のもので、ある瞬間、ある地点でその対象は確定した性質をもち、連続的に運動する」と言うのは自明のこととして疑わないだろう。[1]そして、このような主張の周辺には物、虚空、時空、点、線、連続性、無限分割可能性といった抽象的、数学的な概念が目白押しに登場する。これら概念に関する現代の知見を量子力学相対性理論の統一化の試みからまとめてみよう。以下のスケッチはMotion Mountain[2]からの要約である。

現代物理学は二つの信頼できる基礎理論をもっている。宇宙に関する相対性理論と物質に関する量子力学である。この二つの理論はそれぞれが適用される範囲を超えなければ共に正しいと思われているが、二つの理論を結びつけた主張は両立しないものである。ミクロな世界とマクロな世界という便宜的な区別をなくし、まとめて一つの理論をつくろうとすれば、二つの理論の両立不可能性は大問題となってくる。

<二つの理論の統一に伴う矛盾>

量子力学は重力が存在しない場合にしか有効でない。一般相対性理論では古典力学と同じように物体の位置と運動量がいつでもどこでも定義されるが、これはプランクの定数を無視することになる。また、測定は相対論、古典力学いずれにおいても無限の正確さが原理上許されている。だが、量子力学では測定の正確さには一定の限度、限界がある。

いずれの理論も粒子からなる対象、出来事からなる時空を使って運動変化を記述する。粒子は保存的な質量や電荷をもった対象で、時間的に運動し、その位置を変化させる。時間は時計、長さは物体を使って定義される。ここで注目すべき点は、粒子と時空は異なったものと考えられているにも関わらず、互いに他の助けを借りて定義されていることである。矛盾を回避するには、この定義の循環を取り除くことが必要となる。これが大きな変更を迫ることになる。質量mの対象をSchwarzschild半径rsが2Gm/c2以下で扱う場合、一般相対性理論では時空の曲率を考慮しなければならない。また、量子力学では対象をCompton波長 以下で扱う場合に量子効果を考慮しなければならない。そこで両方の条件が同時に満たされる場合、つまり、 の場合、一般相対性理論量子力学の両方が必要となる。そこではプランクの長さ、プランクの時間が登場するが、それぞれのサイズは1.6・1035m、5.4・1044sであり、この条件が満たされる場面は私たちの日常生活では決してない。

 では、上のようなプランクのサイズの世界ではどのようなことが起きているのか。どんな時計でもプランクの時間より短い時間間隔を測ることができないことから、自然には最小の時間間隔があることになる。つまり、プランクのスケールでは文字通りの「瞬間」は理論的にも実験的にも意味がない。同様に、プランクの長さより短い長さは測定では見ることができなく、「地点」も意味をもたない。その結果、瞬間と地点が不可欠な通常の「出来事」概念は自然の記述においてその意味を失うことになる。

 量子力学では より小さい値では作用の古典的概念が意味を失うが、同じように統一理論でもプランクの値より小さいところでは古典的な時間や長さは意味を失ってしまう。だが、時空の通常の記述では連続的な古典的概念が不可欠で、それゆえ、対象に関する通常の時空の連続的な記述はここでは諦めなければならない。

 プランク定数は(プランクが考えたように)自然の単位(unit)を供給するだけでなく、上述のごとく時空間隔の「限界」の値も与えてくれる。

さらにこのような議論を続けていくと、地点や瞬間は稠密(dense)ではなく、それゆえ、時間も空間も連続(continuous)ではなく、物理空間の次元(dimension)も定義できず、物理的な時空は数学的な点の集合(set)でさえあり得ないことになる。プランクのスケールでは時間と空間の区別さえできず、時空は多様体(manifold)ではないことになる。一般相対性理論量子力学も連続的な時空を前提にしているが、両者の統一理論での時空は連続的ではないことになる。

 また、オブザーバブルは実数では記述できない。様々な対称性が成立せず、測定という概念がプランクのスケールでは意味を失う。さらに、物と放射(matter and radiation)の区別がなくなり、物と虚空(matter and void)も区別できなくなる

 特殊相対性理論は「自然には最大の速度がある」、量子力学は「自然には最小の作用がある」、一般相対性理論は「自然には最大の力がある」とそれぞれ主張しており、これら命題は自然の中の運動変化の可能性にある種の限界を与えている。まとめれば次のようになっている。

<自然における運動変化の限界>

  1. 最大速度がある。
  2. 因果性、観測が可能となり、時空概念を使って自然の運動変化を描くことができる。
  3. 最小作用がある。
  4. 最小の状態変化がある。作用量子によって「曖昧さ」の存在が言われ、これが量子力学の不思議さを生み出すことになる。
  5. 最大の力がある。 統一化によって自然には「最小の長さ」があることになる。それゆえ、制限をもつ言明の集まりとしての物理学は時空の連続的な記述が正しくないことを帰結する。さらに、プランクのスケールでは自然を異なる実在(例えば、物と時空)に区別することが不可能で、数学的に集合やその要素で表すことができない。こうして、自然は一つで、部分をもっていないことになる。(ここまでの説明から、制限、制約、限界が法則や観測を考える上でどのような役割を演じるか想像してほしい。)
  6. 最大、最小の制限は(無限に大きい、無限に小さいことが許される)古典力学にはなかったものであり、それら制限こそが古典力学から見れば上述のような非常識に見えるものを帰結している。(Motion Mountain, p.898)
  7. 力とは運動量の変化である。

 

[1] P. Lyndsの論文(Lynds, P. (2003) ‘Time and Classical and Quantum Mechanics: Indeterminacy versus Discontinuity’, Foundation of Physics Letters, 16(4), 343-55.)が一流の物理学専門誌に掲載された理由も当たり前の主張を正面から否定しようとしたためだったかもしれない。「瞬間がなければ、確定値の存在と連続性は両立しない」という彼の主張は、その論証の不明さを除けば、ここでの目的と重なる部分を多く含んでいる。彼が問題にした瞬間、確定値、連続性はいずれも統一化の文脈では否定されなければならない。

[2] Schiller, C. (2005) Motion Mountain, http//www.motionmountain.dse.nl/