古典的世界観からの脱出の試み

 古典的世界観からの脱出(と見えるような多くの試みとそれらの結果:時間の例)

-あるいは、哲学の独断とそれを信じた文学-

 

1時間の新哲学:私的な時間

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オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』では、主人公のドリアンを取り巻く物理的な時間と、ドリアンの内的経験である私的な時間[1]が一致していない。この作品は、ドリアンの肖像画が本物のドリアンの代わりに年をとって老醜の姿に変わるのに対し、生身のドリアンは若さを保ち続ける。ドリアンがその肖像を殺すと、ずれを生じていた二つの時間が補正され、肖像が元の若い顔に戻る。一方、時間の進行が停止していたドリアンは急速に年老いて、本来の物理的な時間が戻る、という怪奇的な内容をもっている。

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マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』は、語り手の私的な時間の中で物語が進行し、過去や未来が煩雑に行き来し、主観を通して一つの時代が語られる。過去を呼び覚ますのは、プルーストが「無意思(志)的記憶」と呼ぶ経験である。無意思的記憶とは、感覚(味、匂い、手触り、音など)をきっかけに過去の思い出が不意に蘇ってくる特殊な経験である。生々しい時間経験が、物理的な時間では表現できず、個人に属した、相対的で内的な時間によって表現されることをこの作品は見事に描き出している。

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心理学者ジェイムズは、人間の意識は過去・現在・未来が行き交う一つの流れであって、計量的にとらえることのできる物理的な時間感覚とは異なると考え、次のように述べる。

 

したがって意識は断片的に切られて現れるものではない。「鎖」とか「列」という言葉は、それを聞いた最初の印象の意味では、意識を適切に言い表してはいない。意識は断片をつないだものではなく、流れているのである。「川」あるいは「流れ」という比喩がこれを最も自然に言い表している。今後これについて語るとき、われわれはこれを考えの流れ、意識の流れ、あるいは主観的生活の流れと呼ぶことにしたい」(James (1892), Psychology

 

ここでジェイムズは「意識の流れ」という言葉を使っている。意識や時間は、形の定まらない流動の中で感じられるのであって、機械時計が秒や分、時間を刻むような等質的なものではない。ジェイムズは、ロックのタブラ・ラサ(白紙)に始まる伝統的な連想心理学との違いを強調し、意識の流動的な性質がこれまでの心理学の射程外にあったと主張する。ジェイムズは当時優勢だった行動主義心理学が、計測できる量的なものとして精神活動を捉えるのに対抗し、その精神活動の質的な側面を重視した。

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ジェイムズと並んで当時を代表する哲学者で、時間について独特の立場を展開したのがベルクソンである。ベルクソンは、人間が過去の経験を現在に生かし、その生の時間構造を認識するという実存的なプロセスに人生の意義を認めた。彼は記憶の場を形成する時間の在り様を「持続」という独特の謂い回しで呼び、人間の意識の流動的な性質をジェイムズと同じように強調した。ベルクソンの思想は、人は時間のうちに生きて、その中で自分の人格、持続する自我をもつ、というものである。内的な生は空間ではなく、時間の次元において展開していく。『形而上學序説』(1903)の中で、私的時間が支配する精神の様子をベルクソンは、ゴムボールが無限に縮む過程に見立てて説明する。

 

それ故むしろ無限に小さなゴム球が収縮して、できれば數学的一點となつたところのものを心象に描いて見ることにしよう。これが漸次に引延ばされて點が線となり、線が不斷に長さを增して行くものとしよう。そこで注意を線そのものへ固定せずに線の引かれる動作へ向けて見よう。ここで忘れないやうにしたいのは、この動作は持續にも拘らず、停止なしに遂行された場合は分割のできないものだといふこと、もしどこかで停止したとすれば動作はもはや一つではなくて二つになつてをり、分割された二つの動作の各々は不可分割であること、分割できるのは動いてゐる動作そのものではなくてむしろ通つて行つた跡として空間のうちにそれが殘して行くところの動かない線だといふことである。最後にこの運動の基底となつてゐる空間を捨象して、この運動だけを、つまりゴム球の緊張または伸張、つまり動きそのものla mobilité pure だけに注目して見よう。さうすれば持續しながら發展してゐる我々の自我に一層近いところの心象を持つことになるであらう。(Bergson 1903)

 

2私的な時間の表現:絵画と文学のおける時間

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バージニア・ウルフはエッセイModern Fiction の中で、それ以前のエドワード朝時代の三人の代表的な作家について「精神ではなく、身体に関心をもつ」として「物質主義者(materialists)」と名指しで批判し、個人の内的存在を犠牲にして外的世界を重視する過ちを犯しているとした。エドワード期は大英帝国の繁栄期であり、物質的な豊かさと自己満足と、華美絢爛をその特色とする。その時代のリアリズム小説のしきたりによって描かれる一貫性があり秩序立った物語の構成にウルフは懐疑を抱き、ベルクソン流の個人の内的経験、心理に関心が移っていたことを示している。

この時代のモダニズム小説と詩は、「今ここ」という現在性、瞬間を強調した点で共通している。ジョイスは「エピファニー(顕現)」と自ら名づけた宗教的な体験を日常生活の中に見つけることを芸術家の使命とした。ウルフは作品にMoments of Being とあるように、瞬間性に着目した。ガートルード・スタインは時間的に現在という瞬間を拡大する方法を編み出した。小説の中で現在時制を連続して使い、同じフレーズを何回も繰り返すことで「現在」を語ろうとした。単語、語句を線状的に連ねる言語は、本来的に時間的な要素に支配されている表現媒体である。スタインはその制約を、書き方の工夫で破ろうとしたのである。プルーストは『失われた時を求めて』で、自分が感じ取る「時間」を第4の次元と呼んでいる。[2]

 メンディロウは小説作品が時間の3原則(①連続性一時性不可逆性)に支配されているとする。①の連続性とは、過去から現在、未来へと直線的につながる継起をさす。②の一時性とは、時間を断面で区切って事象性を際立たせる効果を指すと考えられる。③の不可逆性とは、物語が前へ前へと進み、話の後戻りは基本的に想定していない性質である(もちろん、この性質を逆手にとる作品も論理的には考えられるが、行動や経験には一貫した時間の流れ、展開といったものが想定されている)。

この定義に従えば、流動的な意識の流れを小説の形にしようとすると、人生の断片は脈絡もなく存在するしかなくなる。作家も経験を決まったパターンや意味、目的に結びつけることは放棄し、無数のつまらない断片が無秩序に詰め込まれた小説が出来上がる。実際、意識の流れの小説では、物語の中のひとつひとつの事象の断片はその前後の文脈に依存しなくなり、瞬間ごとに飛び飛びの心的イメージとして浮き出す。[A. A. Mendilow, Time and the Novel, London: Nevill, 1952]

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 次に絵画における時間の問題をみよう。時間は、絵画という芸術ジャンルに本質的になじまないものであるとされてきた。レッシングは『ラオコオン』において、芸術の範疇を時間芸術と空間芸術という二つの形に分けた。[3]時間芸術に属するのが詩をはじめとする言語芸術である。これに対し、空間芸術とは絵画や彫像などの造形芸術を指している。時間芸術はリアリズム小説がそうであるが、それ自体が物語の進行を助けるために線形的な時間の経過を必要とする。一方、造形芸術は、1枚の絵画作品や彫刻を作り上げる過程で、芸術家の視線はいかなる角度からも、いかなる速度でも動かすことができるほか、空間的に存在する。しかし、時間の経過といった連続性を醸し出すのは得意ではない。

レッシングによれば、詩と絵画は創作原理を異にする。絵画がある一瞬を切り取ってその空間に焦点をあてるのに対し、継起する時間を扱うのが詩である。「あくまでも時間的継起は詩人の領分であり、空間は画家の領分である。このことに変わりはない」とレッシングは主張する。また、「絵画は、その共存的な構図においては、行為のただ一つの瞬間しか利用することができない。したがって、先行するものと後続するものとが最も明白となるところの、最も含蓄ある瞬間を選ばなくてはならない」としてその瞬間性、刹那的な特徴を指摘する。

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 知覚論の立場からセザンヌを考察したメルロー=ポンティは、セザンヌの絵画の中に、異なる時点に応じた多視点的な知覚の出会いが組み組まれていることに注目している。

 

セザンヌの天才は、画面の全体的な配置によって、画面を全体として見た場合にはさまざまな遠近法的デフォルマションが、それとして目立つのを止めるようにする点にある。ちょうど自然な視覚においてそうであるように、これらのデフォルマションを、ただ、生まれ出ようとしている秩序や、われわれの眼前に立ち現われ形をなしつつある対象などの印象を生み出すことにのみ役立たせている点にある[Merleau-Ponty, 1948, Sens et non-sens 『意味と無意味』]

        

同一空間内で異なった視点が同時的に存在し、そこに時間的な継起が生まれるところにメルロー=ポンティは着目する。彼はセザンヌの絵の中に時間の推移が含まれていることを著作ではっきりとは語ってはいない。だが、同じく『意味と無意味』の中では「われわれの眼が、幅広い表面を見わたす場合、それが次々と得るイマージュは、さまざまな異なった視点から得られるものであって、そのために、その表面全体は、ふくれあがって見えるのである」[Merleau-Ponty, 1948]と指摘する。ここで「次々と得るイマージュ」「異なった視点」という言葉が使われており、知覚の断片同士の接合に意味があることを強調している。これは時間の連続性とその中で生起する空間を一体として受け取る知覚の厚みを表したものと解釈できる。

 

3文学的な私的時間の総括

古典的世界観は一定の認識のパターン、手法をもっており、20 世紀までのそれはデカルト二元論ニュートンの力学に基づいた時間と空間感覚による安定した客観的世界を前提としていた。しかし、「時間と空間」の安定したペアーが揺らぎだすと、世界を表象する仕方も変わっていく。モダニズム芸術運動の流れと並行して起きていたのが新しい時間哲学だった。私たちの精神活動における時間的な流動性を重視する思想がモダニズム期に広まり、ベルグソンの「純粋持続」やジェイムズの「意識の流れ」という考え方が生まれた。それらは個人的な内的経験を表すために不可欠のものとみなされた。その考え方は文学にも適用され、従来の遠近法に基づいた外からの視点ではなく、人間の心の内側へと向かう新しい視点を生みだした。こうした認識手法の変化は空間芸術である絵画の世界にも及び、本来は「見えない」はずの時間要素を盛り込んで、新しい表象を求める動きが起こった。

モダニズム文学の描こうとした心的な過程は、外界と表裏一体の精神の働きであり、デカルト二元論に由来する客観と主観という分類では扱うことができない。主観と客観が融合する「心身複合」的な世界では、人間社会を外的に規定する普遍的、等質的時間は有効でなくなり、ふつうの時間的継起性を無視した小説が登場することになる。常に前へ前へと、ストーリーの展開を進めるのではなく、登場人物の心の中で生起するままに記憶や、印象、連想によって過去の出来事が現在に自在に接続され、固有の時間感覚を作る。こうしてリアリズム小説では当たり前だった、直線的な物語展開がなくなる。小説の様式的な転換が時間と空間という認識の型を組み替えることを通して達成されたのである。

 

失われた時を求めて』はプルーストが半生をかけて執筆した大作であり、その長さはフランス語原著にして3000ページ以上、日本語訳では400字詰め原稿一万枚にも及ぶ。プルーストは1908年頃から「サント=ブーヴに反論する」という評論を書き出し、そこから徐々に構想が広がり、『失われた時を求めて』の題を持つ小説になっていった。外部の騒音を遮るためコルク張りにした部屋に閉じこもって書き続け、1913年に第1編を自費出版、当初3巻の予定がその後さらに長大化していった。1919年、第二篇『花咲く乙女たちのかげに』はゴンクール賞を受賞。第四篇まで完成したところでプルーストは死去(1922年)。第五篇以降も書きあげていたものの未定稿の状態であった。弟らが遺稿を整理して刊行を引継ぎ、第七篇を1927年に刊行して、ようやく完結した。

物語は、ある日語り手が口にしたマドレーヌの味をきっかけに、幼少期に家族そろって夏の休暇を過ごしたコンブレーの町全体の記憶が鮮やかに蘇ってくる、という「無意思的記憶」の経験を契機に展開していき、その当時暮らした家が面していたY字路のスワン家の方とゲルマントの方という2つの道のたどり着くところに住んでいる2つの家族たちとの関わりの思い出の中から始まり、自らの生きてきた歴史を記憶の中で織り上げていくものである。第一次世界大戦前後の都市が繁栄したベル・エポックの世相風俗を描くとともに、社交界の人々のスノビズムを徹底的に描いた作品でもある。

物語全体はフィクションであるが、作者の自伝的な作品という要素も色濃い。名前のない主人公の「私」はプルースト自身を思わせる人物で、少年期の回想や社交界の描写などにプルーストの経験が生かされている。また、結末で「時」をテーマにした小説を書く決意をするシーンがあり、作品は円環を描いていると考えられる。同性愛が重要なテーマの一つになっているが、プルースト自身同性愛者であり、秘書を務めた「恋人」が飛行機事故死したことが、主人公の恋人アルベルチーヌの死に置き換えられていると言われている。

 

 

[1] 私的な時間に匹敵する内的なものには私的な言語(private language)がある。いずれも否定される傾向が強いのはギリシャ哲学的伝統のためと考えられる。この場合、「私的なもの」は「客観的なもの」に対比的に捉えられている。「私的なもの」の代表は「私自身」であるが、「私」が哲学で取り上げられ出すのは近代に入ってからである。

[2] 「私はいまここにいる」という文はいつでも真だろうか。常識的にはいまここにいない私を想像することはできない。いまここにいない私は精神的に錯乱した私だと考えられている。

[3] 1766年の著書『ラオコオン』でギリシャ美術を論じ、後の美術思想に大きな影響を及ぼす「ラオコオン論争」を起こした。プリニウスは『ラオコーン像』のことを「あらゆる絵画・彫刻作品のなかでもっとも好まれている」とし、すべての芸術作品の中では彫刻がもっとも優れているという、伝統的な考えをもたらしてきた。18世紀のドイツ人美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンは、本来厭わしいはずの衰弱と死の瞬間を捉えたこの彫刻が賞賛されている矛盾を文章にした。これに対して論争が起こったが、もっとも影響が大きかったのはレッシングの『Laocoon: An Essay on the Limits of Painting and Poetry』であり、この彫刻とウェルギリウスの詩文とを比較することによって視覚芸術、言語芸術との違いを検証した。レッシングは、この彫刻を作成した芸術家たちはラオコーンの現実的な肉体的苦痛を表現しきれてはいない、死に至るような苦痛はもっと激しいものであり、目に見えるものとして表現できるものではないとした。そして、芸術家たちは美としての苦痛を表現しているのだと主張した。