無知の知

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 私たちは水蒸気中の分子の運動の様子についてほとんど何も知らないのに、箱の中の分子の数をかなり正確に予言することができる。もちろん、分子がいろいろな方向にいろいろな速さで飛び交っていることを知っているから、まったく何も知らないわけではない。「水は膨大な数の同じ種類の小さな粒子からなり、水蒸気中ではそれが自由に飛び回っている」という、ギリシア以来2000年の歴史をかけて築いた原子論の知識が重要となってくる。ここで注目したいのは、コイン投げの問題にしろ、分子数の問題にしろ、私たちは、いろいろな判断をする際に、無知であることをむしろ積極的に利用しているという点である。投げた後のコインの運動は正確に計算できるはずだが、表裏を思い通りに出すほど正確にはコインの投げ方をコントロールできない。個々のコイン投げの表裏の結果は分からなくても、たくさん投げたときの表裏の割合は正確に推測できる。その推測は数が多くなるほど正確になるが、個々のコインが表か裏かを問題にしていないことが大切な点である。分子一つ一つが今どこにあるかは分からなくても、左右の箱に分子が分配される割合は正確にわかる。

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 アインシュタイン自身の言葉によると「ボルツマンとギブスのすでに発表されていた研究に通じていなかったので、私は統計力学とそれにもとづく分子運動論的な熱力学を展開した。私の主目的は,一定の有限な大きさの原子の存在を確証する事実を発見することであった。ブラウン運動の観測が古くから有名であったのを知らずに、私は原子論的理論が微視的粒子の観測できるような運動の存在をみちびくのを発見した。」(「わが研究のあと」より,『アインシュタインと現代物理学』所収,東京図書,1958 年)

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 分子数の場合では,正確に予想できるのは,たとえば「左の箱に何パーセントの分子があるか」といった、あるひとつの巨視的な情報に対応するものである。箱を2等分したときの分子数の配分が50パーセントずつの場合と10パーセントに90パーセントの場合では、個々の分子がどちら側にいるかを区別して数えたときの原子レベルの微視的な状態の数(数学で「場合の数」と呼んだもの)が、まったく違っている。その結果、半分が左側にいるということが確定的な情報となる。そして、われわれが普通必要とする巨視的な情報は、微視的な状態についての情報をまったく問題にしていないのである。10パーセント以下の分子しか片側にない可能性はまったくゼロと言ってよい(「無限小」は数学のゼロとは違うが、物理では実質的にゼロと考えてよいもの)。最初に見たようなマクロな系の分子数があまりに膨大であることによって、「個々の分子がどちらにいるか分からないから、同じだと思うことにしよう」という、一見いい加減で、無責任な仮定に基づく予言が確定的なものになるのである。「静かに置かれた箱の左側半分に40パーセント以下の分子しかない状態が観測されたなら、私の命を差し出す」という賭けをしてもかまわない。なぜなら、たまたまそのような状態が実現されるには、たぶん宇宙の寿命より長い時間待たなくてはならないからである。

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補足:場合の数とエントロピー

 ひとつの巨視的な状態(たとえば仕切りのある箱の左側半分と右側半分に等量の空気が入っている状態とかコインを大量に投げたときその半分が表にある状態といった)にどれだけの微視的な状態が対応しているか(コインの表裏で言えば場合の数))が重要だということに最初に気づいた一人がボルツマンである。この「場合の数」にあたるものの対数エントロピーと解釈した。ボルツマンはこのエントロピーの考え方を使って、統計力学という微視的な世界と巨視的な世界の関係をつける方法を考え出した。コイン投げの場合の数は簡単に数えられるが、気体が半分ずつ入っている状態の場合の数をどう数えるかは難問である。ボルツマンが統計力学を作ったのは19世紀末だが、20世紀にはいって量子力学が発見されて初めてこの問題の正しい解決が可能となった。

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 このように原子の世界について、その数が多いことを知っていれば「無知」を積極的に利用して、身の回りのマクロな世界について確定的な予言をすることができる。物理学の重要な理論に「熱力学」と「統計力学」がある。「気体の体積を半分にすればその中の物質の量は半分になる」というような主張をするのが熱力学で、「分子が勝手に運動していればそうなる確率が圧倒的に大きい」というような主張をするのが統計力学である。もちろん、熱力学や統計力学によって、これほどには明らかでない不思議で有用な主張がたくさん可能になる。私たちの身の回りの物質の性質は、その物質を構成する原子や分子の種類を知れば、統計力学によってほとんど予言できてしまう。実際、物性物理学という分野は量子力学統計力学を使って物質の性質を解明することを目的にしている。

 

無知の知としての情報

 無知の知はどのような類の知識なのか。無知の知の物理学である統計力学は、無知の知を情報と捉える。こうして情報は物理学の研究対象になる。では、情報は物理的な出来事とどのような関係にあるのか。その関係を表わす概念が「付随性(supervenience)」である。情報は物理的な出来事に付随する。しかし、背後の物理的な変化とは別のものである。

 具体例を使って考えてみよう。有機体の物理的な性質とそれが棲む環境がわかれば、その有機体がどのような適応度をもつか決定される。しかし、有機体のもつ適応度がわかっても、その物理的な性質や環境は決定されない。環境の中での有機体の性質とその環境での適応度の間のこの非対称的な関係が、適応度が物理的な性質に付随することを意味している。適応度が付随的であることをより正確に表現すれば次のようになる。二つの有機体が物理的に同一で、しかも同一の環境に住んでいるなら、それらは同じ適応度をもたなければならない。しかし、二つの有機体が同じ適応度をもっていても、それらとその環境が同一であるとは限らない。付随性を一般的に定義すると、「性質の集合Pが別の性質の集合Qに付随するとは、Qの性質がPの性質が何であるかを決定するが、その逆は成立しないことである」となる。したがって、PQに付随するなら、PからQへの1対多の対応関係がある。[1] 適応度が物理的な性質に付随するという事実は一般的なテーゼ、「すべての生物的な性質は物理的な性質に付随する」を示唆している。これが付随性の一般的な説明であるが、介入や情報はこの説明を逸脱しているように思われる。

 遺伝子レベルで中立説が主張していることは交配をサンプリングと見た場合に、それがバイアスのないもので、遺伝的浮動によって集団の進化が起きていることを主張している。遺伝子レベルに付随するのがマクロな表現型レベルの現象であり、付随性のテーゼによれば、表現型レベルの事柄はそれより下の遺伝子レベルの事柄によって説明される、あるいは上のレベルのものは下のレベルのものに還元できる。それゆえ、選択という「バイアスのあるサンプリング」はバイアスのない浮動に還元できることになる。つまり、バイアスはバイアスのないものの組み合わせで説明できることになる。バイアスをバイアスのないものによって説明することはできるのか?有利、不利という概念を使わずにバイアスの説明ができるのか?答えがイエスなら、浮動によって選択が説明できることになってしまう。非対称的なものを対称的なものによって説明することができないように、バイアスのないものを使ってバイアスを説明することはできない。

 適応度は情報のもつ性質であり、付随的なものの一例になっていた。情報は物理的なものに付随するものにつけられた別名と呼んでもよいほどである。物理的、物質的なもののすぐ上に置かれていながらも、独立した性質をもつもっとも基本的な概念が情報なのである。情報はほぼ物理的なものと考えてよいし、むしろそのように考えるべきなのである。

 

知だけからなる物理世界でなく、無知の知も含めた物理世界がより正確な世界であり、それは物理-情報世界なのである

 

[1] 付随性を使った例に次のものがある。心の機能主義は、心理的なトークンは物理的なトークンであるが、心理的な性質(タイプ)は物理的な性質(タイプ)ではないと主張する。機能主義は心理的性質が物理的な性質に付随し、心理的性質は複数の物理的なトークンによって実現できる(multiply realizable)と考える。これは、心的な性質が生み出されるのに多くの異なる物理的な方法があることを意味している。したがって、心的な性質は物理的な性質ではない。しかし、心的なトークンは物理的なトークンである。これが機能主義の基本的立場である。心理的性質が特定の物理的なトークンではないとすると、どのような性質なのか。心理的な性質は機能的な性質であるというのが機能主義の主張である。