啓蒙思想における「人間の尊厳」

 大航海時代の影響を受けて16世紀には多くの知識がヨーロッパに入ってきた。それによってヨーロッパ的な観念が相対化される傾向が生まれてきた。その傾向は17 世紀後半にさらに一段と強まってくる。ヨーロッパ近代文化は啓蒙時代に入ると「自然の光(lumen naturale)」と呼ばれた「理性」によって新しい人間観を造り出した。そこには「合理主義」と「個人主義」という二つの基本的特質が次第に明確に現れ、一般に「啓蒙」と呼ばれる思想運動となって開化する。この運動はバロック、宗教上の正統主義、反宗教改革に対する反動であり、それまで底流に隠れていたエラスムス風のヒューマニズムが再度顕在化したと考えることができる。

 

デカルトの世界観と人間観>

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 近代思想の創始者といわれるルネ・デカルト(1596-1650)の基本的な特徴は「我思う、故に我在り」という哲学の第一原理の把握の仕方によく表れている。デカルトの思想的特質は人文主義の学問の全面的な否定から起こっている。彼は伝統的学問を「書物による学問(書物を注釈することから成り立つ研究)」として信頼できないものと考え、数学を頼りにして確実な知識を探究した。後にジルソンがいかにデカルトが中世の哲学に依存しているかを暴いたとはいえ、伝統を拒否し、自己の意識のみに基礎を置こうとする彼の方法は合理主義であり、当時の学問から見ると実に革命的だった。合理主義者デカルトは、同時に自己の理性に立脚する個人主義者でもある。だが、これが彼の欠点でもあった。彼は人間の世界を離れ、自然を冷静に対象として捉え、科学によって世界を支配しようとした。『方法序説』の中の都市計画について書かれた部分では、多数の者が計画するのではなく、一人がすべてを計画するなら、整然とした都市計画ができると主張されている。デカルト個人主義的な合理主義者なのである。

このようなデカルト哲学においては、それまで存在していた宇宙との一体観は喪失し、宇宙は生命のない単なる認識上の対象となり、宇宙との生命的な関連を断ち切り、自我が中心となり、自我から世界を捉える近代的な人間が誕生することになる。こうして、デカルトにおいては、「人間の尊厳」は自我にのみ中心をもつ「尊大」に変質していくことになる。

 

パスカルにおける「人間の偉大と悲惨」>

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 デカルトと同時代の科学者であったブレーズ・パスカル(1623-1662)は、宇宙空間の驚異に畏れを抱くとともに未曾有の孤独感におちいっている。無限大の宇宙に対して人間は微小ではかない存在にすぎない。そのような絶望感を抱きながらも彼は、思惟する人間の自覚によって宇宙における人間の偉大なる地位を明らかにする。それが有名な「考える葦」の喩えである。パスカルは自然と宇宙に対して人間が思考することの中に人間の尊厳を見ている。しかし、この偉大な存在も、現実の道徳的な生活においてはその価値を保てない。だが、「人間は自分が惨めであることを知っている。だから、彼は惨めである。なぜなら、事実そうなのだから。だが、彼は実に偉大である。なぜなら惨めであることを知っているから。」この自己知としての自覚は現実の悲惨さの認識を通して逆説的に本来的自己の偉大さを証明している。人間の悲惨と偉大の逆説的同時性の主張はルターの「義人にして同時に罪人」の定式に近づくものであり、宗教改革の精神に極めて近いものである。

デカルトの「考える自我」という認識主観は純粋思惟というガラス張りの透明な抽象体にすぎない。この観点からは人間の究極の謎は解けない。デカルト哲学の支配領域は有限的で安定した一義的なものであって、無限的で流動的で両義的な人間存在を探究することはできない。これに対してパスカルは「幾何学的精神」に対立する「繊細な精神」を説いている。無限の多様性を秘めた人間の精神はこの第二の方法によって取り扱わねばならない。人間を特徴づけているものはこの人間性の繊細さ、多様性および自己矛盾である。

 

ライプニッツにおける人間の理解>

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 17 世紀の後半から18 世紀の初めにかけて活躍したライプニッツの時代では啓蒙主義と敬虔主義が主流をなしている。ライプニッツ(1646-1716)はあらゆる学問をマスターし、多様な知識を修得した。しかし同時にそれらを一つに還元しようと試み、「一つのものに還元された多様性」を追求した。そこで彼は学者たちを一つにまとめるためアカデミーを造ろうとし、万人に共通する言語と普遍的な記号学(普遍数学)を考案した。さらに多様に分裂していた宗教を統一しようと努め、新しい自然科学の精神とキリスト教の根本原理とを和解させようとした。このような驚くべき啓蒙の精神が生み出したのが彼の学説の中心であるモナド(=個体的な実体)論である。ライプニッツによるとモナドは宇宙をそれぞれの仕方で表象する生きた鏡であるが、理性的精神は神の像でもあって、単に経験的に事実を知るばかりか、永遠の真理の必然性をも知り、事実の理由を理解し、神の建築術を模倣する。また、それによって神の仲間となり、神の国の一員となる。こうして精神は、最良のものからなりながら、同時に最善の倫理的合成体である世界の中に生きることができる。このように人間精神を小さな神として考えるところに「人間の尊厳」が説かれている。このような主張の中にライプニッツの啓蒙精神を察知できる。しかし、キリスト教の伝統的な思想によって自我の無制限な主張は抑えられている。こうした抑制がカントでは後退し、近代の主体性の立場が全面的に主張されるようになってくる。

 

<カントにおける「人間の尊厳」>

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 初期のカントにはドイツ敬虔主義に培われたキリスト教的な枠組みが残されているが、完成期の著作にはそれも原則的に消滅し、哲学の神学からの解放という14 世紀のオッカムから始まった運動はその最終段階に達し、近代の主体性を端的に示す「自由意志」はいまや「自律」として完全な自己実現に達する。カントは理性的存在者たる人間を道徳的存在者として考察している。人間の道徳性は義務の内に求められる。義務は快・不快、自愛、幸福にしたがう生き方としての傾向性に対立したものである。傾向性からは仮言命法しか出てこないが、義務からは定言命法が出てくる。このような義務の根源をカントは人格性において捉えている。「義務の起源は人格性、いいかえれば全自然の機制からの自由と独立にほかならない。人間はなるほど非神聖ではあるが、しかし彼の人格に存する人間性は彼にとって神聖でなければならない。全宇宙において人が欲し、また人の支配しうる一切のものは、単に手段として用いることができる。ただ人間および彼とともに一切の理性的存在者は、目的そのものである。すなわち、彼の自由の自律の故に、神聖な道徳的法則の主体である。」このようにカントは、道徳性の主体であるかぎりの人間性に神聖性と完全性を付与し、「人間の尊厳」を道徳性と結びつけて考えている。カントは理性的自律を確立するに当たって神学から独立し、人間自身に即して考察している。こうして、ライプニッツに至るまで神学を前提とし、また少なくとも神学を含めて哲学を確立し、意志学説の上でも神律的に自由意志を把握しようとしてきた西欧の伝統からカントは訣別している。

 

<啓蒙時代の「人権」思想と革命>

 啓蒙思想を導いてきた太陽のような理性の光は近代市民社会に対して大きな変化をもたらすことになった。この変化によって啓蒙時代から革命時代に移行するが、ここでは革命を引き起こした要因として「自然法」の変化とそれに連動する「人権」思想を問題にしてみたい。自然法の観念は古くはキケロによって説かれていたのであるが、アウグスティヌスはこれを神の摂理や最高の法である永遠法が人間の心に刻み込まれていると見做した。それゆえ、人間は理性によって自己の内面に「自然法」を見出すことができ、これによって現世の法律が導き出されていると説いた。こうして永遠法・自然法・現世法という段階的な法体系が準備された。この法体系の中で自然法を最も適切に位置づけたのはトマスであって、「理性的被造物における永遠の法の分有が自然法と呼ばれる」と規定している。近代に入ると自然法思想も大きく変化し、「自然」は人間の本性を意味し、「法」も神に由来するのではなく、人間の自然本性に由来すると考えられるようになる。「たとい神が存在しないと仮定しても、なお自然法は存在する。」(グロティウス)このような近代自然法思想はルソー、ホッブズ、ロック、カント、ヘーゲルにより発展してきたが、そこには「法と道徳との分離」という共通点が認められる。古代・中世の自然法が道徳を含んでいたのに対し、近代では両者が分離してくる。そこには法治国家の要請があって、国家の権力的支配が法によって行わなければならないということは、国家的・公的な関係に道徳的なものを入れるべきではないという思想につながる。いいかえれば、権力をもって規制しうるのは、人間の外面的な領域に限られるべきであって、人間の内心にまで立ち入ってはならないということである。この傾向は18 世紀後半のカントにおいて市民的自由に代わって人格的・道徳的自由が強調され、外面的な法律と内面的な道徳とが分離されるようになったことにより、いっそう促進された。こうして彼以前の伝統的な自然法は内面的な理性法則に転換し、「心の内なる道徳法則」となったのである。カントはこのような道徳法則を担っている人格の尊厳を説いたのであって、ここから「人権」思想が生まれてくる。

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 フランスの人権宣言(1789)は、「あらゆる政治的結合の目的は、人間の自然的で時効によって消滅することのない権利を保全することである」(第2条)と述べている。人々は封建的な支配から自由となって人権の所有者となり、政治の目的がそれを保証するように転化したのである。したがって政府は、人権を維持し擁護するためにのみ認められており、その権力を行使することができる。それを担当する者自身の利益のために権力を行使することはできない。その際、人権の不可侵性が人間の生まれながらもっている権利、つまり自然権として認められている。それゆえいかなる権力といえどもこれを侵すことはできないという不可侵性が強調された。このことをアメリカの独立宣言は「造物主によって一定の不可譲の天賦の権利」と表現し、フランスの人権宣言は「所有権は、一つの神聖で不可侵の権利である」(第17 条)と主張している。このような人権宣言の淵源と精神的背景をゲオルク・イェリネックの『人権宣言論』(1895)は宗教改革に求めている。「個人の持つ、譲り渡すことのできない、生来の神聖な諸権利を法律によって確定せんとする観念は、その淵源からして、政治的なものではなく、宗教的なものである。従来、革命の成せるわざであると考えられていたものは、実は宗教改革とその闘いの結果なのである。」