「不易流行」

 

f:id:huukyou:20150808135756j:plain

「不易流行」は松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の間に体得した思想。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」、つまり「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかも「その本は一つなり」、すなわち「両者の根本は一つ」であるという主張である。「不易」は変わらないこと、変えてはいけないもので、「不変の真理」を意味している。逆に、「流行」は変わるもの、変えていかなければならないものである。「不易流行」は俳諧について説かれた考えだが、学問や文化や人間形成にも適用されてきた。しかも、不易と流行の基は一つ、不易が流行を、流行が不易を動かす、と言われれば、弁証法的変化を彷彿させる。  「万物は流転する」(ヘラクレイトス)、「諸行無常」(仏教)、「逝く者はかくの如きか、昼夜を舎かず」(論語)、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(鴨長明)など、「流行」こそが世界の真理であるという立場。一方、パルメニデスの不変の哲学、4次元主義、対称性の原理等は「不易」が世界の真理という立場。二つの立場は相容れ

f:id:huukyou:20150808135844j:plain

ない立場であると考える合理主義と、二つの立場は補完し合い、その基は一つと考える弁証法主義との何れを採用すべきなのか?前者は科学の、後者は文学のとるべき道とでもいうのだろうか。

f:id:huukyou:20150808135929j:plain

 例えば、明治時代に正岡子規は、江戸時代以来の俳句を月並み句と批判し、俳句の革新を成し遂げた。子規は、俳句の歴史をたどり、俳句分類の作業を行ない、歴史に埋もれていた与謝蕪村の句に出会って、その主観的な描写表現に魅了され、写生による現実密着型の俳句を確立した。子規は俳句の本質を学び、新しい俳句を目指すという、不易流行を体現した人だった、と主張できるだろうか。現象の彼岸に本質がある、可変の現象を通じて不変の真理を体得する、というのが「不易流行」の意味するところなのだろうか。

 このような説明は言葉遊びそのもので、言葉遣いだけが独り歩きしているだけで胡散臭いこと極まりない。だが、大変気になる…