認識の絵画論的モデル:知覚と空白(1)

 雪舟の最期の2作「破墨山水図」、「慧可断臂図」と等伯の「松林図屏風」をヒントに認識の本性を絵画論仕立てで考えてみよう。実在や表象について「主観的」と「客観的」とは紙一重で、二つの峻別など的外れ、といった趣旨でまとめることができる。

 世界とその表象に関する西欧における哲学的議論の経緯を絵画論風に描写すれば、次のようなものだった。3次元空間を正確に2次元画面に写生するには視点の固定が不可欠と考えたのがルネッサンス以降のヨーロッパ。そのために透視図法やカメラオブスキュラが開発された。画家の視点を固定しないと透視図法は使えない。カメラオブスキュラもピンホールを通った光を利用するため、やはり視点の固定が必要。対象は視点を一つ固定して描画されるが、人間は実は単数視点で物体を見ていない。単数視点で物体を見つめていると空間認識がうまくできなくなり、ゲシュタルト崩壊を起こす。人間は様々な角度から対象をながめ、それを総合して対象を認識している。  人物のからだは正面、顔は真横、目は正面となっているのがエジプト絵画で、異なる角度からながめた人物の部分を寄せ集める多数視点描画法をとっている。 人間の空間認識システムから考えれば、多数視点描画の方が人間にとって自然である。中世の絵画にも多数視点描画が多く見られる。その後、視点の固定によって透視図法が導入され、写実的な単数視点描画が完成する。しかし、人間の空間認識システムは多視点を基本としているため、単数視点描画が洗練されればされるほど、それがしっくりこないと感じる画家がでてくる。その一人がセザンヌ。そのため、セザンヌは多数視点描画法で静物や風景を描いた。彼の静物画は、さまざまな方向から見た多数視点をマイルドに組み合わせ、自然に受け入れることができる画になっている。セザンヌのこの姿勢はピカソらに受け継がれ、キュビズムの登場となる。多数視点から対象物を二次元画面上に意識的に再構成するのがキュビズム。しかし、極端な一つだけの視点に違和感を感じるように、多数視点を強調したキュビズムにも人は違和感を感じる。そのため、キュビズムは面白い実験に止ることになった。だが、キュビズムは人間本来の空間認識法である多数視点を描画に取り入れることによって、人間の知覚を主役とした、いわば「主観的な」絵画への途を拓いた。

 結局、科学的な世界観の基礎に置かれる世界の描像は一つの視点をもつ透視画的なものから複数視点や視点のない描像へ変わり、文脈に応じて相対的な世界が複数あることに落ち着いたということであり、客観的な一つの実在世界から主観的な複数の知覚世界へと世界像が転回していく中で、それをなぞって見せたのが西欧の絵画の歴史ということになる。視点が一つから複数へと変わることは、古典的世界から非古典的世界への転回に匹敵するほどの変化だった。複数の視点の存在が「主観性」と「異なる視点間の連結」の問題を引き起こす。主観的であることは何の変哲もないことで、恐れるに足らず。異なる視点間の連結は「空白あるいは余白」によって簡単に解決できる、これが絵画の歴史からの教訓であり、哲学的議論に適用すれば、諸難問はほぼ氷解する。

 

 雪舟等伯に眼を転じるなら、彼らの画は上述のような西欧的な世界の構造や知覚の経緯をすべて超越してしまっている。視点も透視図法も逸脱する「逸品」を描くことによって、世界の姿を私たちに気づかせてくれた。複数の視点を使って描くという西欧のつつましい実験に比べれば、世界を逸脱して描いたものが世界になる、と断じたのが雪舟(破墨山水図)。それだけでもセザンヌを遥かに凌駕しているというのは言い過ぎか。

 等伯の「松林図屏風」は未完ゆえに私たちの心を惹きつける。完成されていたら、まるで違ったものになっていたことは、等伯の他の山水画を観れば簡単にわかる。だから、「松林図屏風」はダ・ヴィンチデューラーのデッサンと比べた方がいいだろう。濃霧の中の松林と空気に引き込まれる理由を雪舟のような自然の老荘的理解にではなく、デッサンのもつ余白や空白が日本画の余白や空白とうまく混同されたところにあるのである。浮世絵の余白とセザンヌの余白は同類であり、等伯の余白はデッサンの余白と同類である。 

 ここで使ってきた作品を簡単に挙げておく。

雪舟「破墨山水図」、「慧可断臂図」、等伯「松林図屏風」左隻、右隻、セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」、「台所のテーブル」、ダ・ヴィンチ「乱れた髪の娘」、デューラー「使徒の手の習作」、霧の中の林の写真

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