耕作放棄(地)

 「戦争放棄」と「耕作放棄」はどちらも4文字熟語、よく似た響きだけでなく、その意味も似ているとつい思ってしまう。だが、その語感はまるで違う。「戦争放棄」と言えば日本国憲法の第9条、それに否定的、消極的になる人は少ない。

f:id:huukyou:20151009133414j:plain

戦争放棄」は総じてよい意味をもつ言葉として受け取られている。だが、耕作放棄をよいことだと思う人はいない。それどころか「耕作放棄(地)」とは人を暗澹たる気持ちにする言葉である。人の敗北、失敗、諦めを暗示している。耕作放棄地は英語ではfields and rice paddies that have been abandoned and no longer cultivated。

 悪いことを放棄し、良いことは継続する、これが社会における倫理の鉄則、すると、戦争は悪いこと、耕作は良いことという価値判断から、戦争放棄はよいこと、耕作放棄は悪いことということになる。だが、果たしてそれほど単純なことなのだろうか。

f:id:huukyou:20151009133506j:plain

 放棄の背後には自由な選択の存在がある。「継続するか、放棄するか」の間の選択は始終起こる。それまでできなかった選択が個人の意思で自由にできるようになることは、それまでになかった問題を引き起こし、人の苦悩を増すことになる。苦悩は自由に比例するのである。介護放棄、育児放棄、仕事放棄といった言葉は同じように負の連想を引き起こしてきた。選択がなく、一意的に決定している、義務化されているとなると、放棄は負の意味しか持たない。だが、選択が可能であるとは、放棄することは継続することに引けを取らず、同等な選択肢だということである。仕事を続けるために育児や介護を自らは放棄し、他者に委ねるという選択を許すのが今の社会。それゆえ、耕作放棄も放棄によって生まれた土地に新たな可能性を与える選択ということになる。

 これまでの話は哲学談義に過ぎず、実際の賢い選択は何なのかが求められている。それこそが問題。問題は耕作放棄地の再生である。

 耕作放棄をよいことだと思う人はまずいない。「耕作放棄地」という言葉は人を惨憺たる気持ちにする。土地の荒廃、自然の破壊、生活の破綻といった不幸な内容を象徴している。これまでの話は「放棄か否か」という選択の存在を忘れてはならないというものだった。「世界農林業センサス」によれば、耕作放棄地とは「耕地だったところに過去1年以上作物を栽培せず、しかも、この数年の間に再び耕作する予定のない土地」のことである。

 耕作放棄される要因は水不足や自然災害、戦乱など。日本の場合は農業後継者不足が大きな要因で、日本の耕作放棄地は、2005年に386,000ha。日本の耕作放棄地の多くは農地の名目のまま原野や森林に戻る。その耕作放棄地の有効な再利用の例に妙高市の「大洞原みんなの花園整備事業」がある。

 妙高市は高齢化や後継者不足により離農者が増え、耕作放棄地が年々増加。また、かつてはスキー客中心に赤倉、池の平などがにぎわっていたが、近年は激減。そこで、農地の再生や花畑をつくることによって魅力的な景観を生み出し、観光客を呼び込み、地域生産物の売上向上、体験交流活動の促進等をはかろうと花園整備事業を計画した。大洞原地区一帯の農地の再生・花畑化を進め、魅力的な景観をつくりだすことにより、荒廃農地の再生を目指した。

f:id:huukyou:20151009133612j:plain

f:id:huukyou:20151009133639j:plain

菜の花、ひまわり、わらび、ハーブ等を植え、「菜の花祭」や「ひまわりまつり」を計画、多くの観光客を集めることができた。そして、その活動は現在進行形である。