非決定論

 「確率とは何か」は多くの人を惹きつける問いですが、その背後には非決定論が見え隠れしています。言明が証明できるかどうか、関数が計算できるかどうかについての否定的な結果は現在ではよく知られています。ゲーデル不完全性定理はその代表例です。このような非決定論的な結果は、世界の出来事の生起に関する非決定論とは区別できます。では、私たちの認識とは独立した世界の出来事が非決定論的であるとはどのようなことなのでしょうか。非決定論的な主張をする代表的な物理理論が量子力学です。では、量子力学はどのような意味で非決定的な理論なのでしょうか。

量子力学での非決定性]
トリチウム三重水素)は水素の同位元素で、その半減期は12.32年です。n個のトリチウム原子の半数が12.32年以内に崩壊し、残りの半数はそのままです。n個の原子のいずれが崩壊し、いずれが崩壊しないかは原理的にわかりません。それでも、それぞれの原子がそれぞれ特定の時刻に崩壊しているはずで、あわよくばそのような法則を見つけることができると考えたくなります。これが不可能な望みであることは量子力学が本質的に非決定論的な理論であることから得られます。どの原子がいつ崩壊するかわからないので、非決定的な崩壊のモデルは確率を使ったものになります。多数のトリチウム原子の集団を考えると、特定の一つの原子についてその崩壊時刻を知ることはできませんが、時刻tにまだ崩壊していない原子の個数N(t) を近似的に予測することはできます。これを利用して崩壊の確率モデルをつくることができます。非決定性は確率概念によって表現されるのです。非決定性と確率は深い結びつきをもっているとはいえ、それは論理的な結びつきではありません。ですから、この結びつきには経験的な確証が必要となります。
 量子レベルでの非決定性というとハイゼンベルグ (Werner Heisenberg, 1901-1976) の不確定性原理 (Uncertainty Principle) を思い浮かべる人が多いはずです。それは「電子のような粒子の位置と運動量を同時に正確に知ることができない」と述べられてきました。この表現のなかの「知ることができない」理由はそのような値が存在しないからです。そのような値が存在しないので、電子の未来の振舞いは予測できないだけでなく、非決定的なのです。この非決定性 (Indeterminacy) が量子力学の領域全体を支配しています。

(問)「決める」ことができない理由は文字通り決まっていないからなのか、それとも決める方法を私たちが知らないからに過ぎないのか、いずれでしょうか。古典力学量子力学はそれぞれどのような答えを用意しているか答えなさい。

 波動-粒子の二重性を具体的に示してくれるのは光です。光は物理的には極めて興味深い対象です。私たちの周りにあふれて存在しながら、その正体は長い間曖昧なままでした。この曖昧さは光の本性に関するニュートン以来の論争の源になっていました。ニュートンは光を粒子の束、ホイヘンスは波と考えました。不思議なことに光はマクロなレベルでも粒子の束であるという性質と波であるという性質を両方もっています。波の代表的な性質は干渉です。この干渉現象はヤングの二重スリットの実験で見事に示されました。さらに、マックスウェルの電磁気学の理論は光が波であることの理論的な支柱となりました。こうして今世紀初頭までの状況は光が波であるという考えがはるかに優位に立っていました。しかし、古典的な電磁気学に問題がなかったわけではありません。黒体放射がプランク (Max K. E. L. Planck, 1858-1947) に量子論をつくらせることになったのは1900年でした。アインシュタインによる光量子仮説、コンプトン効果がこれに続きます。三者に共通するのは、電磁放射における放出、伝播、吸収は量子として、つまりはエネルギーの局所的な束として行われることを示したことでした。でも、これらのいずれも光が波であることを傷つける結果ではありません。光はある場合には波の性質を、別の場合には粒子の性質を示します。これが光の波動-粒子二重性です。これをさらに物質的な粒子にも拡大したのがド‐ブロイ(Louis de Broglie, 1892-1987) です。p = h/λはド‐ブロイが見出した関係です。運動量は波長の値に反比例します。この関係を念頭において光の二重性、粒子の二重性の関係を考えてみましょう。波は空間に局在しておらず、したがって、位置をもっていません。これは粒子を波と見た場合も同じで、正確な運動量をもつ粒子は決定的な位置をもっていません。波長の異なる複数の波を重ねあわせると干渉が起こります。これをうまく利用して、異なる波長の波の重ねあわせからコンパクトな波束をつくりだすことができます。これを十分に局所化することができます。ただ、この波束は多くの異なる波長の波からなっており、波束の運動量は一定の幅をもつことになってしまいます。つまり、波束の運動量は非決定的となります。これは次の関係を示しています。

運動量の決定性 ⇔ 位置の非決定性
位置の決定性 ⇔ 運動量の非決定性
(位置と運動量だけではなく、エネルギーと時間の間にもこのような関係が成立します。位置と運動量はその決定性に関して反比例の関係にあります。)

 ド‐ブロイの波動という考えはシュレーディンガー(Erwin Schrödinger, 1887-1961)の波動力学に引き継がれます。彼の理論によれば、電子のような量子力学的なシステムは波動関数φ(q, t)によって完全に記述されます。ここでqはそのシステムの位置を、tは時間を表しています。古典力学運動方程式と同じように、そのシステムの時間的な変化は波動方程式によって特徴づけられます。以前のシステムの状態がわかれば、その後のシステムの状態もわかるという決定論的な関係をこの波動方程式は表しています。しかし、古典力学とは異なって、この後の状態は位置と運動量の両方の正確な値をもっていません。以前のシステムの位置と運動量も正確な値をもっていないのですから、このことは決定論的な方程式の性格に違反しているわけではありません。波動方程式は、もし時点tのシステムの状態(位置と運動量)が正確に与えられれば、それを使ってそれ以後のシステムの状態が正確に計算できる、予測できることを主張しているだけです。決定論の主張では、ある時点tでのシステムの完全な記述から、それ以後の時点t’のそのシステムの完全な記述が演繹できます。シュレーディンガー波動方程式はこの決定論の主張を正確に満たしています。1925年にハイゼンベルクマトリックス力学が出ると、シュレーディンガーはその力学が自分の波動力学に論理的に等価であることを示しましたが、ハイゼンベルクの力学が彼の不確定性原理を含んでいたことから、不確定性原理シュレーディンガーの力学においても主要な地位を占めるはずです。
 ここで注意しておかなければならないのは、ド‐ブロイの波動が通常の物質的世界の対象であるのに対し、シュレーディンガーの波動は抽象的な数学的空間の点だということです。では、どのようにこの抽象的な波動を物理的な実在に適用したらよいのでしょうか。1926年にボルンが答えを見出しました。電子が与えられた領域に観測の結果として見出される確率は波動関数の2乗であるというのがその答えです。

Box 確率と量子力学の関係
非決定論の代表である量子力学と既述の確率の解釈の関係をまとめてみると、次のようになります。
1. 客観的解釈:確率は物理的な対象のもつ性質であり、次の二つの解釈が考えられます。
(1) 相対頻度:確率は対象の集団がもつ性質である。
(2) 傾向性:確率は単一の対象のもつ性質である。
言明「電子Aが上のスリットを通り抜ける確率は1/2である」について、(1)と(2)の解釈によると、それぞれ、
「電子Aのサンプルがスリットに当たる回数が増えると、上のスリットを通り抜ける割合の頻度が1/2に近づく」、
「電子Aは上のスリットを通り抜けるのが1/2という本来的な傾向性をもっている」、
  となります。
2. 主観的解釈:確率は私たちの知識の性質であり、私たちの知識の状態を測定していることになります。
言明「電子Aが上のスリットを通り抜ける確率は1/2である」は、
「電子Aがどちらのスリットを通り抜けるかを確定的に知る知識を欠いている」、
となります。

量子力学で使われる確率について、客観的解釈を取るか主観的解釈を取るかは量子力学的な記述に関して哲学的に異なる立場を生み出すことになります。量子力学が不完全な理論だと主張し続けたアインシュタインは確率を主観的に解釈し、「神はサイコロを振らない」と考えました。  
(1)量子力学での確率が客観的である⇒量子力学的な記述は完全である。つまり、電子がいずれのスリットを通り抜けるかを確実に予測することはどんな理論にもできない。
(2)量子力学での確率が主観的である⇒量子力学的な記述は不完全である。つまり、電子がいずれのスリットを通り抜けるかを確実に予測することができる理論が可能である。

 少々面倒な話になってしまい、量子力学を知らない人には読みづらかったのではないでしょうか。物理的な世界に客観的に非決定論的な事象があることとその理由を知ってほしかったのです。既述のことから、量子力学を正しいと認めるならば、客観的に確率的な事態が存在することも認めなければなりません。これが主張したかった点で、客観的確率を認める証拠として量子力学を使ったのです。