格差と選択

 最近は「格差」という言葉をよく聞きます。ほとんどの場合、経済的な格差が話題になっていて、格差の拡大が世界中で進行していて、それが資本主義の悪しき特徴と言われています。この「格差」を少々異なる視点から眺めてみましょう。
 生物集団とは生き物の群れのことですが、その集団内の生物個体にはさまざまな変異が見られます。変異とは個体差のことで、個体の間の格差、つまり、個性のことです。その変異の一部は親から子に遺伝されますが、変異の中には生存と繁殖に選択的に働くものものがあります。これが、進化が起こるためのダーウィン的な条件になるのです。つまり、「変異、遺伝、選択」が生物的な「進化」を引き起こすのです。このダーウィン自然選択説を横に置くことによって、パナマ文書(Panama papers)などで関心が高まる「富の偏在、格差」の見えていない姿が浮かび上がってきます。
 『21世紀の資本』(Le Capital au XXIe siècle 、Capital in the Twenty-First Century)は、フランスの経済学者トマ・ピケティの著書。2013年に刊行され、大ヒット。長期的にみると、資本収益率は経済成長率よりも大きく、その結果、富の集中が起こり、資本から得られる収益率が経済成長率を上回り、その分だけ資本家は富を蓄積することになります。富が公平に分配されず、遍在することによって、貧困が広がり、それが社会や経済を不安定にする、というのが彼の主張です。そして、この格差是正のために累進課税や富裕税の導入が提案されています。つまり、税金によって格差是正を行おうという訳です。
 個人財産の相続は遺伝に似ています。個人財産が認められず、それゆえ、財産の相続もない共産制のもとでは仕事の個人差もなく、その差も遺伝しませんから、原理的には自然選択は働きません。選択があったとしても、それらはすべて人為的な計画によるものになり、自然選択を人為的に禁止しています。これが理想的な共産制であり、ダーウィン自然選択説の否定となっているのです。
 文化や歴史の共有と相続が伝統を生み出し、それが民族や国家の柱になってきましたが、これを可能にしているのがドーキンス流の文化的な遺伝子です。知識を中核とする獲得形質は蓄積され、それが共同で維持管理され、相続されていきます。これまでは国や民族が単位となってこれを行ってきました。歴史とはこのような相続形態を基本にしてできあがってきたのです。
 個人的な獲得形質の典型が個人財産です。それが子孫に相続されるということは、獲得形質が遺伝するということであり、人間社会の知も財もダーウィン的ではなく、ラマルク的だということになります。「欲求」を出発点にするラマルクの進化論の方が人間社会の進化に近いことになります。獲得形質の遺伝を許すと貧富の差が大きくなるはずですが、その正確な特徴づけは実に興味深い事柄です。人間社会で選択が働く場合は、人為的な規制が必ず伴っています。その規制が不当に強いと、歪んだ格差が膨らむことになります。中南米や中国では実際に格差が大きいのですが、それら社会では富が偏在し、それが子孫にまでそのまま不当に保たれるようになっています。あるいは、法律を犯してまでも獲得形質を遺伝させようとするのです。その氷山の象徴的な一角が「パナマ文書」なのです。
 生物集団の進化モデルを参考にするなら、社会の中での格差が適度に拡散し、格差が拡大することがない自然の知恵が実は存在し、それが偶然的な「浮動(drift)」です。浮動によって格差を四散させるやり方はサイコロを振るという公平なやり方なのです。これは偏差がないという意味で健全ということになります。変異に対して選択だけでなく、偶然的な浮動も同じように働き、それによって生まれる健全な格差が本来のダーウィン進化論での変異なのです。
 自然的な選択なら、変異が少なくなるように集団に働く場合が多いのですが、選択が人為的なら、変異を大きくするように働く場合がほとんどです。人の欲求は公平ではないからです。ですから、人の思惑が入らない浮動が格差の発散に寄与するのです。サンプリングの機会を増やし、チャンスを積極的に活用することが、浮動を有効に働かすことにつながります。偶然的な浮動の役割は正にこの点にあります。
 出発点の遺伝的な違いだけに格差を限定し、平等な社会を目指したのは一体誰だったのでしょうか、さらに、あるべき差と解消すべき差の違いを識別しようとしたのは誰だったのでしょうか。