仏教小史(4)

中国の仏教
 中国にやってきた仏教に対する最初の仕事は、経典の翻訳。インド人翻訳家の鳩摩羅什玄奘三蔵が色んな経典を翻訳しました。玄奘三蔵は翻訳だけでなく、仏教の資料も輸入しました。彼は三蔵法師として『西遊記』の主人公になり、孫悟空猪八戒と一緒に天竺に旅行したことで広く知られています。
 経典の翻訳の次は、仏教の教義に中国の考え方を取り入れ、中国化することです。中国人に理解できなかった例に「出家して修行する」ことがあります。中国では儒教が国の運営に採用され、それは目上の人を敬い、親に孝行すべきという道徳でした。出家するとは親を捨てることですから、儒教の親孝行の考えに反します。したがって、プロの僧侶が代わりに出家する大乗仏教儒教には好都合でした。こうして、儒教の考え方を積極的に入れた仏教に変えられ、中国製のお経、つまり、偽経がたくさん作られました。
 春秋戦国時代には諸子百家といわれる多くの思想家が様々な思想を生み出し、仏教が伝わってきたときには既に中国は思想的に成熟していました。中でも「無為自然(なにもせずに自然のままにまかせること)」を説く老子荘子の考え方は道教として民間信仰になっていて、「空」を基本とする仏教を受け入れる素地ができ上がっていました。例えば、「十王説」。簡単にいえば、「悪いことをしたら地獄に落ちる」という具合に、人々の恐怖心を利用して正しく生きるように導くという考えなのでが、これは本来の仏教にはなかった考え方です。また、お盆の行事も儒教による中国の民間信仰がもとになっていて、目蓮の親孝行の話を述べた『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』という経典に基づいています。
 2世紀から3世紀にかけて、インドの僧侶ナーガルジュナ(=龍樹)が、哲学的な観点から大乗仏教の体系化を行いました。龍樹は『中論』の中で「空」を理論化しました。あらゆる現象はそれぞれの時間的、空間的な因果関係の上に成り立っていて、現象自体が実在しているのではないと考え、それを「空」と名づけました。龍樹によれば、「空」=「縁起」=「因縁」となります。
 同じ『般若経』で述べられている「空」を理論化する哲学として、4世紀に無着、世親の兄弟が体系化した唯識論があります。事物的な存在はないが、八種類の意識(魂)は存在するとして、その意識を基礎に悟りの境地に達するという考えです。龍樹の「空」の哲学とは違っています。この空観と唯識大乗仏教を代表する二大哲学です。
 天台大師智顗(ちぎ)は6世紀の中国人。彼は、釈迦が一生のうちでいろいろなことを言ったことから、釈迦の年齢順に、全体を五つの時期に分けて「五時の教判(ごじのきょうばん)」と名づけました。「華厳経(けごんきょう)-阿含経(原始経典)-維摩経(ゆいまきょう)-般若経(はんにゃきょう)-法華経(ほけきょう)」の順番で、最後の決定版が『法華経』というわけです。後の経典になるほど優るというのが五時の教判です。彼は中国の天台山天台宗を開いた僧侶で、その天台宗平安時代初めに最澄が留学して習ってきた宗派です。
 中国を経由した大乗仏教は本来の釈迦の考え方とは似ても似つかぬものになり、独自の哲学を背景に「仏教」という名前で一人歩きを始めてしまったのです。大乗仏教が結果的に釈迦の主張に背いた考え方になったとしても、それはそれで哲学として優れた考え方をもつ宗教になったのもまた事実です。