自由意志は幻想なのか:自由と決定のパズル

 心とは原理上何であるかを述べることと、心の具体的な性質や現象を実際に追求することは同じではありません。遺伝子の基本的な仕組みがわかったからといって、その遺伝子をもつ生物個体の行動がすぐにわかるものではないように、心の仕組みの原理がわかったからといって、すぐに心の性質や現象が説明できるわけではありません。遺伝子の仕組みの解明に使われた考え方や手法がそのまま生物個体の性質や行動の解明に適用できないように、心が働いて行為に結びつく場面では、たとえ心が脳の機能に過ぎないからといって、脳生理学の考えや手法で心が関与する行為をそのまま扱うことはできません。実際、生物学の中でさえ、遺伝学と生態学は考え方も手法も異なるだけでなく、研究対象それ自体が異なると考えられています。生物は遺伝子をもっていますが、その遺伝子を説明する理論だけによって生物の生態を説明することはできません。そのような違いが見事に表れているのが「自由と決定」のパズルです。
 当然のことですが、私たちのの行為は私たちが棲む世界の中で実行されます。その世界は因果的な連関をもつ出来事や状態の集まりです。行為もまた出来事の一つですから、世界の因果連関の中に組み込まれています。このような因果の鎖の一部分を取り出してみるなら、次のような一連の系列が見えてくるでしょう。

環境、遺伝子 →A 心(信念+欲求)→B 行為

矢印→Bは行為の原因としての心の関与を示していますが、矢印→Aは外部の原因によって引き起こされる心の状態 (特定の信念や欲求をもつこと)を示しています。心が行為に関与しているかどうかは私たちの常識的な世界ではしばしば重要な役割を果たします。例えば、ある行為が故意か否かは裁判の判決において大きな違いを生みます。でも、心の働きと物理世界との関係は決して明らかなものではありません。この明らかでない関係が引き起こす典型的な問題が「自由と決定」に関するパズルです。このパズルは次のように表現できます。人間の信念、欲求、そして行為がその人自身のコントロール外のものによって引き起こされるなら、そこに私たちの自由な裁量は入っていません。上の矢印→Aでは環境や遺伝子が人間の心のあり方を決定しているように見えます。そして、環境や遺伝子は私たちがコントロールできる範囲を超えたものです。ですから、それらが心の状態を決定するなら、矢印→Bの結果は自発的になされた行為ではないことになります。
 原因と結果の因果関係を認めるならば、私たちの行為は自発的ではないことになります。でも、私たちは自分の行為、特に自ら決断して実行する行為は自発的なものであり、それゆえ、その行為に対して責任をもたなければならないと思っていますし、そのように教えられてきました。一方、私たちの行為は因果関係の一部であるのも確かです。そうであるなら、どのようにして行為が自由選択の結果と言えるのでしょうか。これが伝統的なパズルです。