私たちの記憶:記憶の因果性、記憶の系列性

 記憶というと、学校で習った短期記憶や長期記憶、あるいは認知症の記憶障害などが浮かんできます。ここでちょっと違った記憶の分類を試みてみましょう。
 私たちの記憶は経験した出来事が時系列で並んでいるという平穏な場合があるかと思えば、強く記銘される記憶は因果的な出来事の劇的な展開になっています。例えば、『風と共に去りぬ』の展開を思い出してみて下さい。登場する人物、場所、事件等が因果的な連関の中でダイナミックなドラマを構成しています。ハリウッド映画だけでなく、私たちの場合も心に残る記憶は物語化されていて、習慣的な記憶とは大きく異なっています。天変地異が因果的な出来事であるのに対し、太陽系の周期的運動やカレンダーは規則的な変化として恒常的な時系列になっています。
 歴史的なもの、例えば人生は因果的な記憶と、系列的な記憶の二つからなっています。波乱万丈の人生は因果的であり、人との出会い、大事件との遭遇といったことが記憶の主人公になっています。ですから、そのような人生は小説の格好の材料として取り上げられ、英雄物語や悲恋物語として精製され、多くの読者を獲得してきました。『源氏物語』の光源氏の無数の恋は規則的な繰り返しではなく、一つ一つが別々の事件であり、異なる因果的な経緯をもった物語なのです
 一方、毎日の決まった行動も系列的な記憶として大切で、それが壊れると認知症の症状に似たものが現れることになります。規則性を憶えることの代表は言語や知識で、それらを学習して使うことは系列的な記憶とその強化に重要な役割を演じています。
 記憶のもつ二つの主要な特徴である因果性と系列性は、人生を考える上での特徴でもあります。人の人生を状態の変化として科学的に知ろうとすれば、どんな人生にも共通する、どんな人生も経験しなければならない事柄の系列を取り出すことになります。これは社会科学が主に関わることで、人の生態の解明ということになります。個人としての私たちは、自分の人生を因果的に、したがって、物語的に捉えます。そこには怒りや悲しみ、喜びや苦しみが共存し、特定の事件や状況が記憶として人生を彩ることになります。私だけの人生はこの因果的な事柄を中核にしてできあがっていると思われます。
 歴史の記録は時系列の記録であるはずですが、実は因果的な事柄の主観的記述が意外に多いのです。過去の多くの歴史書、近現代の歴史教科書は因果的な記述が重要な役割を演じています。そのため、系列的な記述と因果的な記述が併用されています。原因と結果の確定には恣意的な価値判断が入る余地がふんだんにあり、それが「歴史認識」といった単語がよく使われる理由となっているのです。
 このように見てくると、私たちの個人史(誌)は実に主観的なことがわかります。「我が人生」は文字通り私の主観的な因果的出来事の記憶からなり、だからこそ、唯一でかけがえのない人生になっているのです。