知識と情報の違い

 知識(knowledge)と情報(information)の違いは何でしょうか。それを考える際にいつも頭を過るのは反実在論者マッハ(Ernst Mach, 1838-1916)です。彼は若きアインシュタインに大きな影響を与えましたが、ニュートン物理学に経験的に納得できる哲学的基礎を与えようとして、物理学から形而上学的ドグマを取り除き、観察できるものに基づいた物理学の再建を試みました。彼の実証主義的見解の要点は次のようにまとめられます。


・ 物理学は形而上学ではない。観察可能な現象の背後の実在を説明しようとするのが形而上学で、それは物理学の仕事ではない。
・ 物理学についての道具主義の主張:科学理論を感覚的な現象を組織化し、予測するための形式的な道具、装置である。科学はこの組織化の経済の中にあり、科学の中で物理学が基礎的なのはそれがもっとも経済的だからである。
・ 同じ現象に適用できる理論が二つ以上ある場合、その選択基準はいずれが正しいかではなく、いずれが有用かである。

 このような見解は「物理学は知識なのか、情報なのか」という問いを誘発します。道具主義的物理学がもたらすのは知識なのか、それとも情報なのでしょうか。
 「知識」と「情報」のいずれを私たちは信用するのでしょうか。当然のように多くの人は知識の方が信頼でき、情報は不確かだと言います。知識は正直だが、情報は人をたぶらかすと感情的に区別する人も少なくありません。「物質は原子からできている」という原子論はギリシャ時代以来存在していますが、その主張をマッハは否定しましたし、それがきちんと認められるのは20世紀に入ってからでした。ボルツマンもプランクも原子論を擁護したのですが、それに反対したのがマッハでした。「生命」はずっと基本的な原理だと考えられてきましたが、今ではそれを主張する「生気論」は完全に否定されています。この二例だけからでも知識は暫定的で、限定的で、普遍的でも絶対的でもないことがよくわかります。
 一方、「情報」の例として「オバマ大統領は5月28日広島を訪れた」を考えてみましょう。それに似た「オバマ大統領は5月28日長崎を訪れた」は誤った情報で、したがって、それを否定した「オバマ大統領は5月28日長崎を訪れなかった」は真なる情報となります。この文は真なる情報で、その意味では普遍的です。「オバマ大統領は5月28日広島を訪れた」も5月28日以後は正しい情報、真なる文として普遍的です。知識は一般的な、情報は個別的な内容をもっていると思われているのですが、真か偽かに関しては情報も知識も似たり寄ったりなのです。
 「知識」と「情報」は真偽の判定が同じである限り、形式的な違いはありません。その内容もマッハの意味では違いがありません。Facebook の投稿は知識なのか情報なのかそれぞれ考えてみて下さい。