物語、哲学、そして科学

 このタイトルは知識の変遷とも世界観の変遷とも読めるし、三つの領域の関わり方とも読めます。確かに私たちの歴史は物語から始まり、哲学が登場し、科学革命を経て、今は科学の時代になっています。物語は私たちが棲む世界を語り、叙述します。神話という物語が特殊化することによって哲学が登場します。世界について合理的に説明するのがギリシャの哲学で、説明のための方法や手段を論理的なものに限定し、仮説に基づく推論形式を採用しました。魔力さえ有していた言語は知識の表現手段と捉え直され、論証結果の表現に使われることになります。言語は記号的な組み合わせであり、それがかつての魔力の代わりに効果を発揮しました。言葉の持つ力は知覚経験や映像と違う役割をもっています。記号と指示の関係は言葉の持つ新しい能力を使い熟す鍵となりました。神話や物語の時代はあくまで世界の出来事が中心で、世界の中の人間は世界の中の他の存在と同じ地位にありました。記号を操り、記号によって世界と対峙する人間へと変わることによって哲学が新形式として登場したのです。
 「科学は物語ではない」という通念を支えるのが「経験」です。実験や観察は経験の科学化です。経験への懐疑は数学と実験の二本立ての科学によって克服され、真理は検証によって手に入るものとなりました。科学における計算と予測は哲学と科学をはっきり分ける分水嶺となっています。「説明できない物語」としての哲学と「説明する物語」としての科学理論に分けられて、哲学の無能さが殊更に浮き彫りにされることになるのです。それでも物語性が維持され、温存されるのは次のような理由からです。物語でなくなると、純粋に形式的な理論、暗号体系のようなものになり、それを解読しないとわからないことになってしまいます。物語性とは言葉と世界を結ぶための言葉の側の工夫なのです。「現実から離れての計算のシステム」と「現実につなぎとめる解釈と説明」が見事に組み合わされることによって生まれた最初の成功作品が古典力学です。そして、それによって生み出された世界についての説明が古典的世界観なのです。その特徴は、計算システムのもつ「保存性、保存的世界」、解釈と説明のもつ「因果性、変化する世界」の二本立てになっていることです。
 科学における実験や科学技術は具体的な形をもち、私たちの生活の一部になっています。私たちが感覚知覚を通じて直接に経験できるものは解釈が不要という訳ではありません。クオリアはその典型例で、具体的で生々しいにもかかわらず解釈が必要です。謎をもつ対象は抽象的なものに限らず、直接体験できるものにもあるのです。温度や圧力は別の例です。温度や圧力を力学的に解釈する試みが熱統計力学を生み出したのです。わかっているもの、既知のものを使って解釈する際の、わかっているもの、既知のものとはいったい何なのでしょうか?経験しているものの中でわかっているものとそうでないものはどのように区別されているのか、どうも判然としません。経験はわかっているものもそうでないものも含んでいて、経験内容は実は渾然一体となっています。それを見極めるのは経験ではなく、科学的な知識なのです。
 感覚経験は何かを追求し、知るためではなく、入ってきた情報を利用して行動するために必要なものです。立ち止まって経験しているものを探り始めることは余程の暇がない限りしないのが動物です。経験内容を特定するという非生物的な仕事は経験に即してではなく、経験を離れて行われるのが科学です。