神の存在証明

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 トマス・アクィナス(Thomas Aquinas、1225 - 1274)はキリスト教アリストテレス哲学を総合したことで有名ですが、それが述べられているのが『神学大全』。信仰をもつ人には必要ないことでも、ギリシャ的な好奇心が神の存在証明を求め、トマスもそれに従ったわけです。神の存在を証明した第1 部第2 問第3 項の最後の部分を見てみましょう。ラテン語の原文と見比べてみて下さい。登場する単語の多くは英語やラテン系の言語と共通していて、その意味を簡単に類推できます。

(D) Si ergo id a quo movetur, moveatur, oportet et ipsum ab alio moveri; et illud ab alio. Hic autem non est procedere in infinitum: quia sic non esset aliquod primum movens; et per consequens nec aliquod aliud movens, quia moventia secunda non movent nisi per hoc quod sunt mota a primo movente, sicut baculus non movet nisi per hoc quod est motus a manu.
(E) Ergo necesse est devenire ad aliquod primum movens, quod a nullo movetur: et hoc omnes intelligunt Deum.

(D) それゆえ、もしそれによって動かされているものが動いているならば、それもまた別のものによって動かされているのでなければならない。そして、その別のものもまたそれとは別のものによって動かされているのでなければならない。ところが、ここで無限に進むことはできない。なぜなら、そうだとすれば何か第一の動者が存在しなくなり、その結果それ以外の別の動者も存在しないことになってしまうからである。というのも、たとえば杖が[何か別のものを]動かすのは、杖が手によって動かされているからでしかないように、二次的なもろもろの動者は第一の動者によって動かされているのでないならば[他のものを]動かすことがないからである。
(E) それゆえ、何ものによっても動かされことのない何らかの第一動者に達することが必然なのである。そして、これをすべての人は神だと理解しているのである。

 さて、上の証明を見て、どのように感じるでしょうか。何とも簡単な証明で、しかもこの証明は誤っていると多くの人は思うのではないでしょうか。実際、間違っています。運動の原因にあたるものを無限に遡ることができて、しかも最初の不動の動者が存在することは可能です。ギリシャ時代もトマスの時代も「無限」の概念は今の私たちの概念とは違っていて、間違っていました。思想とはいい加減なもので、間違いを平気でしかもたくさん含んでいて、「正しいから人の心を動かすのではない」というありきたりの結論になるわけです。