現代物理学の成立

1相対性理論
 マイケルソンとモーレーの実験結果に対し、ローレンツ(1853-1928)は「個体は静止エーテル中を運動すると、物体の大きさにその影響が及ぶと考えなければならない(ローレンツ短縮の仮説)」と推測した。アインシュタイン(1879-1955)の特殊相対性理論(1905)は、ニュートンの絶対時空概念を根本から変える画期的なものだった。彼は一人でこの理論を作り上げたが、その正しさはその後何度も様々な仕方で証明されている。それは次の2つの原理を基礎とし、そこから導出できる。

1特殊相対性原理:互いに等速度運動をするすべての慣性系において、物理法則はいつも同じ形で成り立つ。
2光速不変の原理:光は真空中を常に一定の速さcで伝わり、この速さは慣性系における光源および観測者の運動状態には無関係である。

この理論は光の速度に近い速さで運動している物体に現れる一見奇妙な現象(「時計の遅れ」、「長さの短縮」、「質量の増加」など)を予言し、その理由を説明できる。
 一般相対性理論は1915年に発表され、特殊相対性理論で扱うのは慣性系だけであったが。アインシュタインは、これを一般化し、加速系をも包括的に扱う理論を作り上げた。

1一般相対性原理:加速度運動している系を含めて、すべての系で、物理法則の形は不変である。
2等価原理:重力と加速系の見かけの力とは区別ができず、本質的には同じものである。加速度系というものはなく、あるのは慣性系だけであり、加速度系とみえるのは実は重力が加わった系なのである。

この理論によると、光も重力によって曲げられ、重力のあるところでは時計はゆっくり進む。このことは実験的にも確かめられている。大きな質量が一定の大きさ内の小さいところに集中していると、それが及ぼす強い重力のために、外から光が吸い込まれることはあっても、そこから外に光は出ることができないことも起こる(ブラックホール)。

2量子力学の成立過程
 1900年のプランクの量子仮説は黒体輻射に関する光のエネルギー分布を説明するために考え出された。それはレリー・ジーンズおよびウイーンの両分布則を反対の極限として与えるようなもので、いわゆるプランクの内挿公式が提案された。プランクは彼の内挿公式がどの様な仮定のもとに導かれるかを考察し、結論として「力学的エネルギーの連続性」を放棄し、調和振動子のエネルギーをエネルギー要素 hνの整数倍に量子化された非連続的な値をとると仮定することにあると考えた(量子仮説)。
  プランクの導入した作用量子hは自然の不連続性を認める革命的なものであった。このエネルギー量子の考えは1905年にアインシュタインによって「光量子」の主張として展開され、「光電効果」を説明することができた。1923年にはコンプトン(1892-1962)によってコンプトン散乱という現象が見つかり、光はエネルキー量子であるだけでなく運動量としても粒子であることが確かなものとなった。
 1913年にデンマークのN・ボーア(1885-1962)がラザフォードの原子模型をつかって、原子核のまわりをまわる電子は、いくつかの許された軌道の上だけをまわるという「原子論」を提唱。そこでは電子の運動量の大きさと電子の軌道の1周の長さをかけたものはプランクの定数hの整数倍のなるものだけが許される(ボーアの量子条件)。電子がエネルギーの高い軌道から低い軌道に遷移するときに光を放出するとして、水素原子からの光の離散的スペクトラムを見事に説明した。
 1923年にフランスのド・ブロイ(1892-1987)によって「物質波」と呼ばれる電子にともなう位相波が提案され、それによって原子の中での電子の軌道の安定性が説明された。ド・ブロイ波は後にアメリカのデヴィソン(1881-1958)、ガーマー(1896-1971)らの電子線回折の実験(1927)によって確かめられた。
 1926年にド・ブロイの物質波がどの様に伝わるかをきめる方程式はオーストリアのシュレーディンガー(1887-1961)によって与えられた(シュレーディンガー方程式)。
 波動力学では物質波は複素数波動関数)で表現される。1925年にドイツのハイゼンベルク(1901-1976)はシュレーディンガーとは別の行列力学を提唱していた。シュレーディンガー行列力学の内容は波動力学に包含されることをも明かとした。これらは全体として「量子力学」と呼ばれている。

3量子力学の認識論
 光は電磁波として波であるとともに光量子としてエネルギー粒子であることとなった。電子は決まった質量と電価をもった粒子でありながら、同時にド・ブロイの波であることとなった。量子の世界における「粒子性」と「波動性」という物質の二重性は全ての物質に存在することが明かとなった。さらに、ハイゼンベルクが示した不確定性関係は物質についての人間の認識の限界を示すものという解釈も生まれ、認識論上の大きな争点となった。
 ボルン(1882-1970)は1926年に波動関数にたいして画期的な「確率解釈」を提唱した。それは解釈というよりは「量子力学の確率規則」ともいうべきものであり、波動関数の絶対値が存在確率を表すとするものである。
 さらに、ハイゼンベルクによって1927年に量子力学における「不確定性関係」が提唱された。それは電子の位置と運動量を同時にかつ無制限に精確に確定することは原理的に不可能であり、その精度はプランクの定数 hによって特徴付けられる「不確定性関係」によって制約されている。
 1932年にフォン・ノイマン(1903-1957)は量子力学に現れる不確定性関係は「隠れた変数」の存在によるものではないことを示した。
 物質の粒子性と波動性という二重性、量子力学の確率規則と不確定性関係などに現れる量子の世界の特異な諸性質は、その成立の当初から解釈をめぐって論争となった。波動関数として表現される量子力学的状態と現象との関係は「観測の問題」につて鋭い対立をもたらしてきた。