出来事(event)と状態(state):確率の解釈と計算を通じて

 「出来事や事象(event, fact)」と「状態(state)」は自然科学における二つの基本的な存在論的な概念です。それらは「粒子」、「波動」、「時空」と並んで物理学の理論の重要な構成要素になっています。物理世界を構成する必須の要素という訳です。出来事と状態は一見似ているようにみえますが、実は大変異なっています。運動は物理系(physical system)の状態変化であり、それゆえ、「個々のコイン投げ」は運動法則に従う状態変化ですが、「多くのコイン投げ」の結果は(運動法則に従う状態変化ではなく)確率的な規則に従う出来事なのです。ですから、私たちが生活する世界では出来事中心に(そして、物語的に)、物理世界では状態中心に(つまり、関数的に)考え分けているのです。
 「出来事は起こるが状態は起こらず、出来事は変化しないが状態は変化する」というのが出来事と状態の直観的な違いです。物語は出来事の系列からなるため、主人公の成長は状態変化としてではなく、出来事の系列を使って表現されます。形式的には、出来事は命題(proposition)であり、文で表現されます。状態は方程式の解であり、項(term)として表現されます。したがって、出来事の生起は対応する命題の真偽によって(真なら生起し、偽なら生起しないとして)決めることができ、状態変化は実数の値の変化(関数)として決められます。運動の軌跡とはこの運動の状態変化を関数的に表現したものです。
 確率は出来事の生起の値(測度、つまり度合い)として公理化されています。出来事の生起の真偽(0か1の真理値)ではなく、それを拡張した値(0から1までの実数値)が確率値です。直観的には確率値とは真理値の拡張なのです。出来事は命題でもありますから、確率は命題の値、つまり文の値ということになり、運動方程式の値としての状態(の物理量の値)とは根本的に異なっているのです。
 この違いが様々な憶測を呼んで、確率が科学で果たす役割について議論が続けられてきました。確率は数学的には積分の一種として定義できるのですが、それ以上に確率と解析の間には距離があり、科学で使われる確率は主観的であると考えられてきました。つまり、確率は客観的に実在する性質の値ではないのです。確率とは予測や推測の確かさの値でしかなく、実証科学、特に社会科学での確率はほとんどが相対頻度(relative frequency)として使われてきました。それを変えたのが量子力学で使われる確率概念です。物理世界に確率的な出来事が存在するというのが量子力学での客観的な解釈です。
 ブール代数線形代数はいずれも計算のシステムですが、一方が推論規則のシステム、他方が代数的計算のシステムというと、大きな違いがあるようにみえます。でも、ブール代数を使った推論も線形代数を使った推論も同じ推論であり、二つの違いを過大視すべきではありません。まず、二つとも代数であり、計算のシステムです。「推論するとは計算すること」という主張は今では当たり前の事実。出来事の生起の確率も状態変化の確率も、あるいは主観的な確率も客観的な確率も、肝心な計算の部分は共に代数としての特徴を共有しています。確率解釈について違いがあっても、計算は共通なのです。