フッサールの反デカルト的省察への批判 (年甲斐もなく、フッサールに楯突いてみる)

 フッサールは私にはわからない哲学者で、エイリアンのようなのですが、頑張って彼の主張を理解し、楯突いてみましょう。フッサールデカルトから多くのことを批判的に学びました。フッサールが唯一、過去の哲学者の名前を自らの著書に冠したのが『デカルト省察』。彼はその中で、デカルト哲学のほとんどすべてを否定せざるをえなくなるとしても、自らの超越論的現象学を新デカルト主義と呼んで構わないと言い切っています 。『デカルト省察』には反デカルト省察が含まれていて、デカルト的なものと反デカルト的なもののせめぎあいが見られます。そして、そこにフッサール現象学の特徴を見出すことができると言われてきましたが、その現象学によってデカルト哲学が生み出した膨大な知識に匹敵する反デカルト的な知識がどれだけ生み出されたか考えると、とても少ないことにすぐ気づく筈です。

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1.フッサールの「新(反)デカルト主義」
 デカルトの思索の出発点にあったのは数学。フッサールも似ていて、数学から哲学に転向したフッサールの処女作は『算術の哲学』。数学の天才だったデカルトは、数学や論理学の真理は神の創造によるもので、この数学を使った自然学に基礎を与えるテーゼが「cogito ergo sum」。それを説く『方法序説』は、幾何学・屈折光学・気象学と展開される自然学(フィジカ)の序論であり、この自然学に基礎を与え、さらに形而上学(メタフィジカ)へと続くものと解釈できるのですが、解析幾何学、幾何光学等の数理科学の内容こそが多くの研究者の心を捉えたのであって、『方法序説』の主張自体ではありませんでした。他方、フッサールは、数学ではなく数学の哲学に関心をち、時間を超えたイデアとしての数学的な真理を心理学の問題に還元することを否定し、それがどのようにして「時間的」あるいは「主観的」なものになるかという問いから現象学的な分析をスタートしました。これは現場の数学者なら見向きもしない主題ですし、現在の数学の哲学でもまず扱われない(フレーゲから見れば的外れな)問題です。ニーチェと同時代の「神なき時代」に哲学したフッサールにとって、神による創造を哲学的考察のなかに取り込むことはできず、彼は、「デカルトが発見しながら見逃してしまった」と考える「自我」の本来の精神を超越論的主観性へと練り直し、それによって「神の誠実さ」に頼ることなく、数学や論理学のみならず諸学問の「基礎づけ」をしようとしたというのが一般的な説明です。この説明に納得する人は結構いると思いますが、デカルトの批判的注釈がなぜ必要なのか、数学の主観的側面の現象学的分析とは何を目指してのものなのか訝しく思う人も多い筈です。
 デカルトによれば、哲学全体が一本の樹のようなもので、その根は形而上学、幹は自然学、この幹から出る枝が諸々の個別科学で、これは大別して三つの主要な学、すなわち医学、力学および道徳にまとめられるということで、彼がこの樹の根と考えた形而上学の問題とは、何より、『省察』の副題に現れているように、「神の存在および人間の精神と身体の区別」に関わる問題であり、その根幹にあるのは「自我」でした。フッサールは『厳密な学としての哲学』のなかで、永遠の課題をもつ学としての哲学を、「下から築き上げられ、確実な基礎に基づき、厳密な方法によって進展するラディカルな学問」と規定していました。フッサールのこの基礎づけ主義の理念は、デカルトの「一本の樹」の比喩にその源をもつものです。でも、フッサールによれば、デカルトはこの方向転換を発見しながら、それを徹底しなかったために、超越論的主観主義者となるとともに、客観主義者ともなってしまったと言うのです。では、デカルトは方向転換の意味をどう間違えてしまった、とフッサールは言うのでしょうか。それが私にはよくわからないのです。デカルトは「自我」を矮小化することによって、科学が自我にこだわることなく、自由に知識を得るという未来を見事にスケッチしていたとも言えるのです。フッサールの「厳密な学」が厳密な実証科学ではないとすれば、基礎づけする学となるのでしょうが、「基礎づけ」という概念を否定するのが経験的な実証科学ですから、現在の科学を認めるならば、本末転倒なのです。二人とも知識の基礎づけにこだわるのですが、デカルトは見かけだけで、フッサールは本気に基礎づけを考えたと言えるかも知れません。
 肝心な点は、デカルトの基礎づけ主義がしっかりとした建物になっておらず、それが逆に科学を自由に発展させることになったという点がフッサールにもその後の現象主義者にも解せなかったのではないかということです。デカルトの自我が欠点をもっていて、知識の基礎づけには不十分でも、それが直接に知識の探求の障害にはなっていないのです。
2.デカルト形而上学の閉鎖性
 デカルト形而上学の根幹にあるのは、方法的懐疑によって見出される確実な「自我」。しかし、この確実な自我は、デカルトが最初からもっていた偏見によって歪められているというのがフッサールの不満です。「自我が閉鎖的」という詩的な表現が正確に何を意味しているか定かではないのですが、自我と科学研究が互いに独立しているのであれば、以下の話は批判のための批判と言えないことはありません。
<時間の排除>
 「自我が閉鎖的」という比喩的な表現はおよそ次のような意味です。それは、デカルトが自我の確実性について、「私は確かに存在する。では、どれだけの間なのか? もちろん私が思惟している間である」と述べるときに、それははっきりしてきます。この「思惟している間」を厳格に捉えるならば、自我の確実性は、「私が思惟している現在」、つまり「思惟の瞬間」に限られてしまい、過去や未来はそこから排除されてしまう、ということです。成程と思いたくなるのですが、「今、現在、瞬間」がどの範囲かさえ定かではなく、記憶、知覚、想像の間もはっきりしない中でのこのような議論は曖昧模糊としたものなのです。どうして過去や未来が確実でなく、現在だけが確実なのかの理由さえもわからないのですが、このように言われるとなぜか人は直ぐに頷く習性をもっているようです。
 「cogito ergo sum」という命題の源はアウグスティヌスアウグスティヌスは記憶が重要な役割を果たすという観点から時間の問題を論じ、時間は「精神の延長」とも定義されます。つまり、精神とは時間的に拡がりをもつもの。では、時間的な広がりはデカルトの「延長」に入っていたのでしょうか?デカルトは、延長(extensio)を本質とする物(物体)と思惟(cogitatio)を本質とする心(精神)とを峻別し、物体と思惟との共通部分はありません。延長と思惟、あるいは物と心は水と油以上に異なるのです。この二元論の図式のなかでは、心(精神)からは、空間的な意味での延長だけでなく、時間的な意味での延長、アウグスティヌスの言う「精神の延長」も排除されると考えるのが自然で、精神が自由にその思考を展開するのは時間の中であり、時間のない精神は精神ではありません。
 さて、延長とは空間的なものというのがデカルトだけでなく、現在の私たちも共有する考えです。『哲学原理』でも、時間は専ら「持続(rerum duratio)」と考えられていて、物体に関わる時間についてデカルトが論じることはあっても、精神あるいは自我に関わる時間が欠落しています。そのため、デカルトの自我は、時間とは関わりのないものとして、結局は、瞬間的、点的な現在の自我となり、「現在の私」だけに確実性を求めることになります。そして、このような時間の排除がローティ風には「歴史からの逃走の試み」につながります。こんな議論の展開にはデカルト自身びっくり仰天するのではないでしょうか。
 フッサールの初期の時間論において過去把持(retention)と未来予持(protention)の地平を伴った現在と呼ばれたものは、現前が非現前に取り囲まれ、そのことによって可能になっているという考えを示しています。このような時間の現象学的考察が、晩年の歴史の現象学へと展開されていきました。これがフッサール思想の展開であるならば、理論の展開が何かを知っている物理学者には思想の展開は蓄積的でなく、古いものの否定や拒否に過ぎない話だと映るのではないでしょうか。
<他者の排除>
 デカルトの自我は、時間を排除するだけでなく、また、他者をも排除するように見えます。デカルトは確実性を求めて、少しでも疑いを許すものはすべて疑ってみて、いくら疑っても疑いえないものとして「自我」を見出したのです。すると、確実なのは「我思う、ゆえに我あり」であって、「汝思う、ゆえに汝あり」とか「他者思う、ゆえに他者あり」ということではありません。私が痛みを持っているのは確実でも、他人の痛みは疑わしく、痛いふりをしているだけかも知れません。私が何かを考えているのは確実でも、他人は何を考えているのか分からないばかりか、何も考えていないかも知れません。他人はすべて自働機械(automata)かも知れないのです。デカルトのテーゼは「自我」についてのみ言えることであって、「他者」について言えるかどうかは分からないのです。でも、個人主義者のフランス人なら、どうして他者について私が言わなければならないのか、他者はその他者自身が言えばいいだけのこと、と答えるでしょう。
 しかし、デカルト自身は自らのテーゼをこのように病的に理解してはいませんでした。そのテーゼは第一の原理として、そこから形而上学と自然学を同時に基礎づけるものと考えられていました。そこでの「自我」は他者と区別される、単なる個人的な「私=デカルト」ではなく、一切の認識の普遍的条件としての思惟する自我、その意味で言わば超個人的な自我と理解されていました。「自我」はデカルト個人だけを指しているのではなく、およそ「自我」という観念は誰についても当てはまると考えられています。しかし、「自我」が普遍的に誰にも妥当することをデカルトはどのように確信したのでしょうか。
 デカルトを支えていたのは、『方法序説』冒頭の「生まれながらに万人に平等に与えられている」という「良識あるいは理性(le bon sens ou la raison)」についてデカルトが持っていた信頼でした。あるいは、より具体的に「生得的観念(現在ならDNAに組み込まれた情報)」がそれを支えていたのかも知れません。それが「自我」に関するテーゼが「他者」についても等しく妥当し、「自我」という観念を理解するすべての人に普遍的に妥当するというデカルトの信頼につながっていたのではないでしょうか。
 さて、このようにデカルトにおいては、他者は問題となることなく超現代風に跳び越えられていました。ところが、それを問題にしたのがフッサールフッサールは他者論を展開するのですが、それは成功しませんでした。しかし、デカルトでは問題にならなかったことが問題として真剣に論じられた理由を見つけようとすれば、彼がもはやデカルトのように「神の誠実さ」に頼ることはできなかったことにまたもや行き着くのです。
<身体の排除>
 さて、時間と他者という、デカルト哲学にはなくフッサール現象学の中心問題となったものを挙げてきましたが、もう一つ同じようにデカルト哲学にはないものとして身体を挙げなければなりません。いや、このように言えば、デカルトにとっても心身問題は重要なものだとすぐに反論されるでしょう。しかし、果たしてデカルトは本当に身体の問題を意識していたのでしょうか。フッサール現象学が明らかにし、メルロー=ポンティらのその後の現象学の展開のなかで精力的に論じられる「生ける身体」という問題がデカルトにおいても論じられていたのか、と疑問が出されます。「生気論」を信じる人はさすがに今ではいないでしょうが、物体とは異なる「身体論」の必要性を信じる人は今でもたくさんいるようです。問題はそこなのです。
 デカルトは身体を一つの物体とみなしています。『第二省察』の「心身分離」の場面で問題になるのは、もっぱら延長するものとしての身体、すなわち、物体としての身体です。しかし、そのデカルトも『第六省察』では、「私の身体」が物体であるとしても、それは非常に特異な物体であることを認めていました。というのも、私は他の物体から離れるようには、この身体からは離れることはできず、また、私が様々な感覚を持つのは、この身体のうちに、この身体のゆえにである、という理由によって、それは唯一「私のもの」と呼ぶべき物体だからです。もっと密接な仕方で私は私の身体と結びついている、ということを「自然が教える」と『第六省察』のデカルトは述べています。
 他方、『イデーン第二巻』のフッサールは、特異な物体としての身体、特異であれ物体として知覚された身体についての考察から始め、物体として知覚されるのではないような身体、それゆえ、物体とはっきり区別さるべき身体へと論を進めることによって、デカルト的な物体=身体論を越えようとしました。「私の身体」において明らかにされ、「絶対的なここ」、「拡がる身体」、「感じる身体」、「動く身体」といった議論を通じて展開されるのがフッサールの身体論の構図。そこでは身体が物の知覚の「可能性の条件」として、したがって「超越論的」な機能をもつものとして分析されています。
 フッサールのこのような身体論を踏まえ、いま一度デカルトの心身論を振り返ると、デカルトの「心身合一」論には、二つの場面が区別できるように思われます。すなわち、一方では、初期の『人間論』や晩年の『情念論』第一部などに見られるような、脳髄、神経、松果腺といった生理学的概念によって語られる場面と、他方で、とりわけ『省察』後のエリザベート宛書簡に顔を出す、日常生活や人々との交流を通じて理解できるようになると語られる場面とです。デカルト自身は、この両者を区別しているわけではありませんが、『イデーン第二巻』のフッサールの言い方に従えば、前者は自然主義的な態度、後者は人格主義的な態度という区別に対応しています。でも、フッサールにとっては、このような自然主義的態度と人格主義的態度は同等のものではなく、自然主義的態度は人格主義的態度に従属し、後者からの「抽象」と「自己忘却」において生じる特殊な態度なのです。フッサールの両者への比重の置き方はデカルトとは逆転しています。それは、「真理の探究」という場面と「生活の行為」という場面とを切離し、もっぱら前者に比重をかけたデカルトとは異なる仕方で、両場面の関係を考え直すものでした。科学研究に縁のない人はフッサールの人格主義の優位性に賛成し、研究者は二つの態度をほぼ同等に使い分けるのではないでしょうか。
3.デカルト自然学の隠蔽性
 フッサールは、現象学的還元をしばしばデカルトの方法的懐疑と比較しながら論じていますが、その本来の発想はむしろカント的な「理性の批判」という問題意識からきているとも言われます。『イデーン第一巻』のようにデカルト的な懐疑にならって説かれた現象学的還元を、後のフッサールは自ら「デカルト的な道」と呼び、それは短所をもっていたと反省しています。この「デカルト的な道」の欠陥を避ける「新しい道」が「生活世界からの道」で、それは『危機』において「ガリレイ・パラグラフ」と呼ばれる長い第9節において述べられたもので(因みに、有名な「幾何学の起源」という遺稿も、この「ガリレイ・パラグラフ」に付けられた付論でした)、フッサールが対決しようとしているのはガリレイでした。ここでフッサールは、ガリレイを「発見する天才であるとともに隠蔽する天才」と呼んで、「唯一現実的な、現実に知覚において与えられ、経験された世界、すなわちわれわれの日常的な生活世界を、数学的に仮構されたイデアの世界とすり替えた」と批判し、自然科学によって忘れられた意味基礎としての生活世界を浮き彫りにしました。しかも、ここでガリレイに向けられた批判は数学的自然科学という理念そのものに向けられたものでした。ガリレイの数学的自然科学の理念とともにデカルトの二元論が準備されたとフッサールも述べているように、その批判は、デカルトに対しても向けられるべきものでした。つまり、自然を考察するにあたって、思惟を本質とする心(精神)を徹底的に排除し、数学的に解明できる延長を本質とする物(物体)においてのみ自然を捉えようとしたデカルトは、「宇宙という巨大な書物は数学言語によって書かれている」と述べるガリレイに劣らず、生活世界を数学的自然学の世界とすり替え、自然学の意味基礎としての生活世界を隠蔽・忘却した天才だったのです。では、現在の世界はどうでしょうか。私たちの生活世界は科学の産物に溢れ、それらに依存した世界になっています。科学が私たちの生活を支え、つくっていることを否定する人はいません。ガリレオは隠蔽の天才だったかも知れませんが、隠蔽されたという生活世界は数学的な自然理解によってつくられているのもまた確かなことです。
 『デカルト省察』のフッサールは、次のようにデカルトを批判していました。デカルト自身は前もって、幾何学ないしは数学的自然科学という一つの学問の理想を持っていました。それは、宿命的偏見として、幾世紀も私たちを制約し、批判的な検討を許しませんでした。デカルトは、心身問題および他者問題に対しても、この数学的自然学を理想とするという偏見をもち続けました。フッサールは、「自然科学的な方法は精神的な秘密をも解明しなければならない」というデカルト自然主義を読み取り、その一面性を非難しています。
 では、フッサール現象学は何事も隠蔽せずに公のもとに曝け出し、科学的な知識を増やしてくれたでしょうか。そんなことはなく、フッサールの哲学は科学とは別の世界で勝手に取り上げられ、議論され、科学者に対して隠蔽されたままです。「生活世界」はギリシャ以来数学で表現される世界を隠蔽してきた歴史をもっています。それを否定し、生活世界の背後にある世界を明らかにしたのが数学だったのです。そもそも生活世界と数学的世界と分けること自体になんの根拠もなく、自然言語で表現するか、数学言語で表現するかの違いに過ぎないのです。