知り尽せない、知り切れない複雑系

 人は複雑なものを知り尽すことができないと思うのか、知り切ることができないものを複雑と呼ぶのか、そしてその答えに窮するためか、「複雑性」は衆目の的となってきた。予測や推測が十分にできないのが複雑系の特徴であり、「複雑とは何か」の答えは「十分知ることができない」ということであり、予測が不可能であることが複雑なことであると見做されてきた。さらに、「完全に知る」ことができる古典的な系にも知ることができないものが潜んでいることがわかってくる。こうして、複雑系とは「実在する系の客観的な特徴」というより、認識論的な概念を含んだ系の特徴だということが露呈してくる。複雑系が非決定論的な理由はこのように認識論的な理由によるのだが、どのような意味で認識論的なのかを確認してみよう。
 多くの構成要素をもつ複雑系は多様で非線形的な相互作用が複雑にからみ合っている。複雑系非平衡散逸開放系で、不安定な臨界状態の近く(カオスの縁)にある。それゆえ、系の時間発展は境界条件(環境)の影響を受けやすい。複雑系は揺らぎがカオス的に増幅される不安定状態にあり、非線形の運動法則に従うため、解は一意的でない。また、複雑系では性質や機能が創発され、何が創発されるかは内部状態ばかりでなく、外部環境にも依存する。それゆえ、発展の予測が困難。複雑系の初期条件だけでは発展過程は決まらず、創発の形式は環境にも依存し、予測不可能になる。
 よく知られている例はポアンカレの3体問題。決定論的な古典力学でも、3体以上の系では2つ以上の天体が互いに同時に重力を及ぼし合うので相互作用が複雑になり、非線形方程式となって積分不可能で、未来の状態の予測は出来ない。したがって、決定論的理論でもカオス現象が起こり、遠い先の予測が不可能となる。自然界ではこのような場合の方が多い。非線形方程式では、パラメータや初期条件を変えることで、解が劇的に変化し、分岐解が生ずるので、どの分岐枝を取って進行するのか予測は困難。
 複雑系は多体問題であるだけでなく、非平衡的な開放系でもあるから、絶えず境界からの影響を受けて変化発展する。だから、初期条件のみでは将来の状態は決まらない。とくに、カオスの縁にある不安定な非平衡状態は初期条件や境界条件に敏感に反応するため予測は困難である。
 開放系は内部状態と外部環境との相互作用(物質、エネルギー、エントロピーの出入)が絶えずあり、系の発展方向は内部状態だけでは決まらない。初期条件を1次情報とすると、発展過程で創発される性質や機能は2次的、3次的情報となり、それによって変化発展の方向が左右される。例えば、生物個体の成長はDNA(1次情報)のみでは決まらない。DNAの1次情報のみに支配されて発生が進むならば、細胞分裂では同じ細胞しかできないので組織分化は起こらない。細胞分裂による成長過程で、細胞配置や重力作用に差が生じ、それによって組織分化が起こるが、それらは2次的、3次的情報。
 カオスの縁にある複雑系は、遠い未来の予測が困難で、かつ解が一意的でないため、その発展過程がどの分岐枝を取って進行するか不明。それゆえ、系の進行がどの分岐枝を選ぶかの予測は確率的になる。発展方程式が分かっているが、分岐枝の予測ができない例がロジスティク写像。生物の個体数の世代変化に関する漸化式(ロジスティク写像)は

             Xn+1 =αXn

である。これも非線形方程式で、パラメータαの値により、Xnn→∞)の収束する先の値が変わる。αが3以下では一定値に収束するが、3≤α≤3.56995の範囲では収束値が2つに分岐してはその間で振動し定まらない。さらに、3.56995<αではXnは4つの値の間を変動する。α=4付近では連続的な領域を激しく変動して全く定まらない。
 このロジスティク写像は決定論的方程式である。αが3以下の場合はXの値の予測は完全に可能である。αが3を越えると、世代nが一つ変わるごとにXnは2つあるいは4つの値を不連続的に変動して収束しないから、予測できない。αが4付近では全く予測不可能となる。しかし、写像式が確定しているゆえ、決まったn番目の世代のXnは計算できて、決まった値を得るのだから予測はできる。ただし、一定値に収束しないので、nを決めないn→∞での値は予測不可能であり、どの値を取るかは確率的にしか予測できない。
 予測不可能性を生むもう一つの要因は「揺らぎ」である。閉鎖系でも開放系でも不安定な多体系には揺らぎがある。とくに、非平衡複雑系カオスの縁にあるとき、その揺らぎが大きく増幅されて系は不安定になり、系の変化の予測は不可能となる。
 その典型的な例は気象予報である。気象現象は気圧、温度、湿度などが絡み合う。大気が不安定な状態にあるとき、カオス的に揺らぎが拡大。これらの要因を取り入れた予報理論はまだ不完全であり、大気と外的条件に関する情報が十分でなく、天気予報の精度は高くない。しかし、人工衛星など観測法の改良進歩と観測量の増加で、正確な情報量は飛躍的に増大した。また理論の進歩と大型コンピュータのお陰で、気象予報の当たる確率はかなり高くなった。
 すべての現象において、部分系における構成要素間の短時間の素過程は、それぞれある定まった自然法則に従って運動・変化しているはずである。それゆえ、さらに認識が進み、系の運動を支配する法則と初期条件、境界条件の情報が正確に掴めるようになれば、それ相当の確実性を備えた法則が発見され、予測可能な複雑系が見出される可能性はある。その意味で、複雑系の予測不可能性と確率法則は原理的なものではない。
 ここでハイゼンベルグの不確定性関係との関係について述べてみたい。この不確定性関係により、位置と運動量(速度)との積はプランク作用量子hを下限とする不確定性をもっている(ΔxΔph)。それゆえ、力学的情報としての初期条件を厳密に決めることはできない。もし、カオスの縁にある複雑系の発展に、プランク定数hの程度の不確定性が問題になるほど微妙であるならば、初期条件や境界条件の不定性から来る不確実性は除去できない本質的なものとなる。これまでの説明からわかるように、マクロな複雑系の運動発展に関する予測不可能性や確率的法則性は量子力学の確率法則とは本質的に異なる。量子力学の理論体系は、物質系の状態を表す波動関数の運動を与えるシュレーディンガー方程式と系の観測に関するボルンの確率解釈とからなっている。シュレーディンガー方程式は波動関数の運動に関しては決定論的方程式である。ミクロな対象の2重性(粒子性と波動性)から生ずる不確定性関係が示すように、量子力学の不確定性とボルンの確率解釈とは本質的・原理的なものである。それに対して、複雑系科学における不確実性と予測の確率的法則は量子力学のそれとは質的に異なり、科学の進歩によって確実性を獲得する可能性をもっている。
 一寸先の闇は本物の闇か、闇に見えるに過ぎないのかは大きく異なる。また、闇に見えたものが技術革新によって闇でなくなるかも知れない。知ることが時代と共に、知識と共に変わっていく。その一例が複雑系である。