古代ギリシア人の人間観がソクラテスによって変わるまでを無謀にまとめると…

1 「身体」の対概念が「心」や「精神」で、身体が外面、心や精神は内面というデカルト的な捉え方はソクラテスにまで遡るが、それより以前、精神は茫洋としていて不滅ではなかった。
2 クリトンは当時のアテナイの知識人代表。古代ギリシア人の身体観はホメロスに始まり、「身体こそが本体」という考えで、それに従ったのがクリトン。クリトンを批判するソクラテスの考えの方が特殊で、例外的。クリトンの考えが古代ギリシアの伝統的な人間理解で、「人間たる所以はは魂(ソクラテス)ではなく、身体(クリトン)」。
3 ホメロスの『イリアス』、『オデュッセイア』は古代ギリシア人にとって教科書のようなもの。詩を詠みながら倫理的徳性(アレテー)を養ったが、その「魂」の概念は「亡霊」に近い。
4 カオス(Chaos)はヘシオドスの『神統記(テオゴニア)』では「混沌」の意味はなく、すき間(=空間)の意味。「混沌」はローマの詩人オウィディウスが作品の中で用い、それが現代まで続いている。
5 『神統記(テオゴニア)』における神々。
第一世代: カオス(空間)ガイア(大地)ウラノス(天空)
第二世代: クロノスをはじめとするティタン神族
第三世代: ゼウス、アポロン、アテナをはじめとするオリュンポスの神々
世代ごとに暴力の応酬が繰り返されるが、クロノスの支配とゼウスの支配には違いがある。力で支配するクロノスとは違い、ゼウスは女神メーティスと結婚し、融和のために知恵を使う。
6 アイスキュロス オレステイア三部作
(1)「アガメムノン」:アガメムノンはトロイ戦争のギリシア側の総大将。妻はクリュタイムネストラで、スパルタ王メネラオスアガメムノンの弟)の妃ヘレネとは姉妹関係にある。トロイ戦争はスパルタ王メネラオスの妃ヘレネトロイアの王に連れ去られたことに始まる。10年かけてトロイを攻略するが、帰国後妻の怒りと恨みから彼女に殺害される。
(2)「供養する女たち」:子供のエレクトラオレステスは実母クリュタイムネストラを殺害する。(アガメムノンの仇)
(3)「恵みの女神たち」:殺害の罪を問われたエレクトラオレステスの裁判を描いたもの
7 ホメロスからソクラテスまでの主な人たちは次のようである。
BC750 ホメロス
BC470 アイスキュロスギリシア悲劇詩人)
BC450 ソフォクレスギリシア悲劇詩人)
ギリシア医学者たち
ソフィスト
BC469~BC399  ソクラテス
(1)ホメロスによれば、身体が人間自身であり、魂は亡霊(=意思を持たないもの)。
(2)ソクラテスにとって、魂こそが人間自身(決断、行為の原理)で、身体は生理的な事柄。
8 ホメロス的人間観によれば、美しさ、体力等の外面と、勇気の内面は同じ価値をもの。一方、ソクラテスは外見が悪く、民衆や敵から勇気がない(人間性がない)と思われていた。しかし、ペロポネソス戦争で勇敢に振舞い、それまでの人間観を一変させ、身体は人間の価値から中立的なものとなった。
9 ヒポクラテスの身体観
世界の環境が人間に悪影響を及ぼす。人間の安定性は自然(フュシス)の規範に規定される。人間の身体は自然(フュシス)基準を逸脱しない限り、正常(=健康)である。自然が真の医学者で、医学者は自然(フュシス)に対する援助者に過ぎない。
(1)心(意識):狂気や錯乱を起こす(心的事象= Mental)。
(2)身体(ソーマ):自然(フュシス)が作用。四体液(物理的な構成要素による生理学的な事象= Physical)
10 人によって身体の構造が違うなら、同じ病気が起きるはずがないという考えから、「神聖病(てんかんの一種)」は心(意識)の病気であると位置づけ、神がかりなものではなく、体の錯乱で起こると考えられた。医学者にとって身体とは自然(フュシス)であったが、「身体=社会的・倫理的なよりどころ」であった主体としての身体と考えを異にする。さらに、主体は心、ひいては魂(プシュケー)へと移っていく。
11 ソフィストたちは次のように考えた。医学者たちは魂が不死とは考えなかった。では、ソクラテスの魂の不死という考えはどこから来たのか?心は身体に依存する。ということは、悪しき欲望や快楽も身体の自然に含まれることになる。つまり、自己規定に対立するためには自然(フュシス)に入っていることが前提条件となる。善を知るためには悪を知らねばならない。心と身体の二分の考えを示した科学者としての医学者の功績は大きいが、魂を主体とするという考えに行き着くには「ソフィスト」の功績があった。
12 ノモス=フュシス論争
ノモス(=慣習、法)は絶対的な地位を確立していたが、その価値を失い、自然(フュシス)がその絶対的価値を確立、フュシスは医学者たちが確立した規範的性格を元から持っているため、地位を確立できたのだが、ノモス=フュシス論争を起こしたのはソフィストホメロスの時代、勇気等の徳は生まれながら持つものとされていた。しかし、ソフィストの時代になり、それは徳が少ないものには教えるという考えに変わる。
13 自然は規範的性格をもつが、責任を負えるものではない。自然から生まれる(起因する)倫理、道徳と悪しき欲望は同じものであるので、責任を負えない。これに対するソクラテスの反論はどうか。真に自由な生き方とは何か?欲望のおもむくままに生きるという生き方は、欲望の奴隷になっているに過ぎず、魂(プシュケー)は身体(フュシス)に依存するもの。ソクラテスはプシュケーが身体に依存しない独立したものであると主張した。ここから、魂の不死説が生まれることになる。欲望、快楽は意識によって抑制できることから、魂は身体に依存しない。

誠に退屈な文の列挙になってしまったが、云いたいことは次のこと。身体が中心の人間観は次第に精神中心の人間観に変わっていくことと、それを完成させたのがソクラテスであること。デカルト心身二元論による人間理解の中で、それでも身体と心のいずれが優位なのか問うと、そこに見え隠れするのはソクラテスの伝統。