人間観の変遷(2):宗教改革における「神の像」

 16 世紀のヒューマニズム運動が当時の知的エリートの間で起こった文化運動であったのに対し、宗教改革の運動は最初からヨーロッパ全体に波及する政治的な性格をもっていました。それは教皇の宗教上の指導と世俗的な利害とが結びついた「免罪符」と密接に関わっていたことからもわかります。マルティン・ルター(1483-1546)の宗教改革には二つの意義がありました。第一に、カトリック教権の基礎をなす教説、つまり、教皇の決定や宗教会議の決議には直接神の考えが現れているという教説にルターは反対しました。ルターは教権が聖書に背馳すると主張しました。第二に、ルターは聖書と一致することはすべて存続させようとしました。ですから、伝統のすべてに反対したのではありません。ルターの神学は、神との関係を信仰によって生きるという基本姿勢から捉え直したもので、信仰義認論を基礎にしています。これは、神に対しその行為に基づく功績によって義と認められようとする行為義認論と対立しています。彼はエラスムスの『自由意志論』に対する反論として『奴隷意志論』を書きましたが、人間は自由意志による功績によって救われるのではなく、ただ信仰によってのみ義とされる、という思想が表明されています。
 ルターの人間観は、『人間についての討論』(1536)にまとめられています。まず人間の本質は、「理性的、感覚的、身体的」という哲学的な三区分で定義されます。そして、その中で「理性」が最も重要なものと考えられていて、神はアダムの堕落以後も理性の尊厳を取り去らず、むしろ確認されたとまで語っています。このように彼は理性を神的なものにして尊厳をもつものと考えています。でも、ルターはこのような哲学的な人間観から一歩進んで、神学的な人間観を提示し、前者は後者に含まれるものと考えています。神学的に見ると、人間は「神の被造物であり、身体とそれを活かす魂とから成り、神の像に造られたが、アダムの堕落以後、人間の力では克服不可能な罪と死に服した。そのような人間は神の御子イエス・キリストによってのみ解放され、永遠の生命が与えられる」ということになります。このようにルターは人間を、創造、堕落、救済という救済史的観点から捉えています。
 ルターの協力者であったメランヒトン(1497-1560)はヒューマニストでもあり、大伯父のヨハン・ロイヒリンの影響を受け、それ以上にエラスムスから多大な影響を受けていました。そのため、1524 年に始まるエラスムスとルターの自由意志論争でも中立の立場に立っていました。メランヒトンによると、人間には事物の本質を究め尽くすことができなくとも、神の存在を認識できるように、生まれながら神を知りうる「光」が授けられています。この光は原罪によって微弱になっていますが、なお「火花」として残存しています。ここには罪にもかかわらず「神の像」として認められる人間の尊厳が主張されています。メランヒトンも、その「神の像」は罪によって破壊されていると考えていますが、そこからの回復の可能性に期待している点がルターと大きく異なっています。
 宗教改革の第二世代を代表する神学者ジャン・カルヴァン(1509-1564)は、ヒューマニズムの影響を受けながらもルターに始まる宗教改革の精神をさらに実践的な側面で強力に遂行していきました。主著『キリスト教綱要』第一部第15 章には、「神の像」についての詳しい説明があります。まず、カルヴァンは神の「像」と「似姿」との区別は意味がなく、二つの言葉は同義語であると主張します。そして、人間に見られる神の姿を卓越性を示すものと見做し、この卓越性によって人間がすべての種類の動物に優るものであり、「神の像」というこの言葉でその「完全さ」が表現されていると考えます。しかし、また「神の像」は人間の外面にではなくて、その固有の意味で内面に探さねばならないと主張しています。原罪による神の像の破壊について彼はルターの思想を受け継ぎながらも、ヒューマニストの見解をも合わせて考察しています。この点ではメランヒトンと同様な立場と言えます。カルヴァンは、人間はその罪によって神の像を完全に失ったわけではないが、それははなはだしく腐敗したものになったと考えます。したがって、私たちがその状態から救われるためにはキリストによって達成される更新が必要です。このキリストと同じ形に回復されるならば、私たちは真の敬虔と義と純粋さと知性とにおいて「神の像」をもつのです。
 これまで見てくると、宗教改革の思想の中にはヒューマニズムの精神が入り込んでいるのがわかります。それは「神の像」の残滓を認めることから明らかです。ルターの場合には良心の働きに、メランヒトンの場合には魂の認識能力に、カルヴァンの場合には恥の作用に、それが明らかに説かれていました。16 世紀に活躍した思想家は「神の像」によって人間の本質を見極めようと試みてきました。彼らは古代に始まり中世を経てルネサンス宗教改革の時代まで続いた「神の像」を無視しては人間について考察することができませんでした。こうした影響も17 世紀の後半からは啓蒙思想が人々の心を捉えることによって次第に希薄になっていきました。それでも、この伝統的な「神の像」教説がヨーロッパ人の心から失われることはなく、啓蒙思想の隆盛の下にあっても時折復活してくるのです。