人間観の変遷(3):啓蒙思想の「人間の尊厳」

 16 世紀は大航海時代。そのため多くの知識がヨーロッパに入ってきました。その知識によってヨーロッパ的な観念や思想が相対化され始めます。その傾向は17 世紀後半にさらに顕著になります。ヨーロッパは啓蒙時代に入ると「自然の光」と呼ばれた「理性」によって新しい人間観をつくり始めました。そこには「合理主義と個人主義」という二つの柱があり、「啓蒙」と呼ばれる思想運動に結実します。この運動はバロック、宗教上の正統主義、反宗教改革に対する反動でもあり、それまで底流に隠れていたエラスムス風のヒューマニズムが再び顕在化します。
 近代思想の創始者ルネ・デカルト(1596-1650)は「我思う、故に我在り」を第一原理にして、彼の哲学をスタートさせました。デカルトは注釈中心のスコラ哲学を「書物による学問」と考え、数学を基本にした確実な知識を探究しました。伝統を拒否し、自己の意識のみに基礎を置こうとする彼の方法は合理主義であり、当時の学問から見ると革命的でした。合理主義者デカルトは、自己の理性だけを信じる個人主義者です。彼は自然を客観的な対象と捉え、数理科学によって世界を理解し、支配しようとしました。
 このようなデカルト哲学では、それまで存在していた宇宙との一体観は消失し、宇宙は生命のない単なる認識上の物理的対象となり、宇宙との生命的な関連は消え去り、自我にのみ中心をもつ近代的な人間が誕生することになります。こうして「人間の尊厳」は彼においては自我という意識主体に変質していきます。
 デカルトと同時代の科学者でもあったのがブレーズ・パスカル(1623-1662)。彼は宇宙空間の驚異に畏れ、孤独感に苛まれます。無限大の宇宙に対して人間は実にはかない存在。そのような絶望感を抱きながらも、彼は思惟する人間の自覚によって宇宙における人間の地位を明らかにします。それが有名な「考える葦」の喩えです。パスカルは自然と宇宙に対して思考する人間という関係の中に人間の尊厳を見出すのです。でも、この偉大な人間存在は現実の道徳的な生活においてはその価値を保てません。「人間は自分が惨めであることを知っている。だから、彼は惨めである。なぜなら、事実そうなのだから。だが、彼は実に偉大である。なぜなら惨めであることを知っているから。」というパスカルの自覚は現実の悲惨さの認識を通して逆説的に自己の偉大さを表しています。人間の悲惨と偉大が同居することの逆説的な主張は、ルターの「義人にして同時に罪人」に似たもので、宗教改革の精神に近いものです。
 デカルトの「考える自我」という認識主観は純粋思惟という抽象的な主体ですから、それだけで人間の謎がすべて解けるわけではありません。つまり、デカルト哲学によって流動的で両義的な人間存在を探究し尽すことはできません。ところで、パスカルは「幾何学的精神」に対立する「繊細な精神」を説いています。無限の多様性を秘めた人間の精神はこの第二の方法によって取り扱わねばならないと考えたのです。人間を特徴づけているものはこの人間性の繊細さ、多様性および自己矛盾だというのがパスカルの主張です。
 17 世紀の後半から18 世紀の初めにかけて活躍したのがライプニッツ啓蒙主義と敬虔主義が主流をなしていた時代、ライプニッツ(1646-1716)はあらゆる学問をマスターし、多様な知識を修得しました。でも、同時にそれらを一つにまとめようと試み、「一つのものに還元された多様性」を追求しました。そこで、彼は万人に共通する言語と普遍的な記号学(普遍数学)を考案しました。さらに、多様に分裂していた宗教を統一しようと努め、新しい自然科学の精神とキリスト教の根本原理とを和解させようとしました。このような驚くべき啓蒙の精神が生み出したのが彼の哲学の中心にあるモナド論です。ライプニッツによるとモナドは宇宙をそれぞれの仕方で表象する生きた鏡ですが、理性的精神は神の像でもあって、単に経験的に事実を知るばかりか、永遠の真理も知り、事実の理由を理解し、神の建築術を模倣します。また、それによって神の仲間となり、神の国の一員となります。このように人間精神を小さな神として考えるところに「人間の尊厳」が説かれています。このような主張の中にライプニッツの啓蒙精神を看て取ることができます。でも、キリスト教の伝統的な思想によって自我の無制限な主張は抑えられています。こうした抑制がカントでは後退し、主体性が全面的に主張されるようになっていくのです。
 初期のカントにはまだキリスト教的な枠組みが残されていますが、完成期の著作にはそれが消滅し、哲学の神学からの解放という14 世紀のオッカムから始まった運動はその最終段階に達し、近代的な主体性を示す「自由意志」は「自律」として完全な自己実現に到達します。カントは理性的存在者たる人間を道徳的存在者としても考察しています。人間の道徳性は義務の内に求められ、義務は快、不快、自愛、幸福にしたがう生き方としての傾向性に対立するものです。傾向性からは仮言命法しか出てきませんが、義務からは定言命法が出てきます。このような義務の根源をカントは人格性において捉えています。カントは、道徳性の主体であるかぎりの人間性に神聖性と完全性をつけ加え、「人間の尊厳」を道徳性と結びつけて考えているのです。カントは理性的自律を確立する際に、神学から離れ、人間自身に即して考察しています。こうして、神律的に自由意志を把握しようとしてきた西欧の伝統からカントは訣別したのです。
 啓蒙思想を導いてきた理性の光は近代市民社会に大きな変化をもたらすことになりました。この変化によって啓蒙時代から革命時代に移行しますが、革命を引き起こした要因に「自然法」の変化とそれに連動する「人権」思想があります。自然法の観念は古くはキケロによって説かれていたのですが、アウグスティヌスはこれを神の摂理や最高の法である永遠法が人間の心に刻み込まれていると解釈しました。それゆえ、人間は理性によって自己の内面に「自然法」を見出すことができ、これによって現世の法律が導き出されると説きました。それによって、永遠法、自然法、現世法という段階的な法体系が準備されました。この法体系の中で自然法を最も適切に位置づけたのがトマス。彼は「理性的被造物における永遠の法の分有が自然法」と規定しています。近代に入ると自然法思想も大きく変化し、「自然」は人間の本性を意味し、「法」も神に由来するのではなく、人間の自然本性に由来すると考えられるようになります。このような近代自然法思想はルソー、ホッブズ、ロック、カント、ヘーゲルにより発展してきましたが、そこには「法と道徳との分離」という共通点が認められます。古代と中世の自然法が道徳を含んでいたのに対し、近代では両者が分離します。そこには法治国家の要請があり、国家の権力的支配が法によって行わなわれる場合、国家的、公的な関係に道徳的なものを入れるべきではないという考えがあったのです。つまり、権力をもって規制できるのは、人間の外面的な領域に限られるべきであって、人間の内心にまで立ち入ってはならないということです。この傾向は18 世紀後半のカントにおいて市民的自由に代わって人格的・道徳的自由が強調され、外面的な法律と内面的な道徳とが分離されるようになったことにより、いっそう促進されました。こうして、彼以前の伝統的な自然法は内面的な理性法則に転換し、「心の内なる道徳法則」となっていきます。カントはこのような道徳法則を担っている人格の尊厳を説き、ここから「人権」思想が生まれてくるのです。
 フランスの人権宣言が示すように、人々は封建的支配から自由となって人権を所有し、政治の目的はそれを保証するように転化しました。したがって、政府は人権を維持し擁護するために存在しており、その限りで権力を行使することができます。その際、人権の不可侵性が人間の生まれながらもっている権利、つまり自然権として認められています。それゆえ、いかなる権力といえどもこれを侵すことはできないとされてきました。これをアメリカの独立宣言は「造物主によって一定の不可譲の天賦の権利」と表現し、フランスの人権宣言は「所有権は、一つの神聖で不可侵の権利である」と述べています。