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歴史の中の仏教

 「正しい歴史認識」には歴史が客観的事実からなるという前提があるようですが、人の歴史とは因果的な物語。しかも、それは人がつくった物語。それを認めるならば、客観的な事実としての歴史など幻想に過ぎなく、歴史は物語で、その物語は人がつくり出したものです。客観的事実ではなく、その情報からなるのが歴史で、情報は事実そのものではありません。ところで、仏教は長い歴史をもっています。その歴史は仏教仏教でなくなるような歴史で、歴史を通じた教義の一貫性などまるで見られません。歴史は人がつくった様々な物語の寄せ集めであることを示す例が仏教の歴史なのかも知れません。キリスト教も旧約と新約でその教義は同じではありませんが、それがとりわけ著しいのが仏教です。それを確認してみましょう。
 釈迦が生まれたのは今から2500年前の紀元前5世紀頃(縄文時代の終わり)、釈迦の一生は阿含(あごん)経典群に述べられていて、それらお経は釈迦の伝記になっています。釈迦は自らの思想を語るだけで、書き記していません。これが口伝ですが、昔の思想伝達の普通の方法で、釈迦が亡くなった後もしばらく続きました。釈迦が亡くなった後に、弟子たちが自分たちの記憶を整理し、これを仏典、つまり、お経としてまとめ、後に書物の形で原始仏教経典として残しました。
 では、釈迦の考えとは何だったのでしょうか。そのエッセンスは「宇宙の真のしくみを学び、それを知ることによって心の平和を得る」ということでした。「宇宙のほんとうのしくみ」、「心の平和」といった抽象的な表現ではよくわかりませんので、もっと具体的に考えてみましょう。「事物は常に変化し、不変のものはない」というのが宇宙の真のしくみだと前提され、これが仏教の公理です。その無常の公理のもとで、命を大切にすること、偶像崇拝の禁止、人間を平等に扱うこと、自分で物事を考え自分の責任で行動すること、死者に関する儀式(葬式)の禁止などが、心の平和を得る方法と捉えられています。
 命を大切にすること、これは不殺生戒として今の仏教にも残っています。偶像崇拝が禁止されたことから、最初の500年くらい仏像はつくられず、釈迦の骨(仏舎利)以外に拝むものがなかったようです。仏教徒が仏像をもつのは釈迦が死んで500年ほど経ってからのことです。
 人間を平等に扱うこととカースト制度は両立しません。インドのカースト制度は厳しい身分制度ですが、その最も下のシュードラという階級に属するウパーリ(優波離)という弟子がリーダーとして教団を指導したという経典の記述があり、釈迦の仏教教団はカースト制度を基本的に無視していたと思われます。  
 自分で物事を考え自分の責任で行動するという個人主義によれば、悟りをひらくのは自分自身であり、またその悟りも人によって内容が違うかもしれない、ということになります。事実、釈迦の死後、仏教は統一教義をもっておらず、したがって、異端の概念もありませんでした。ただし、この個人主義は宗教としては議論のあるところで、後に個人主義自体が間違いであるとする反対意見が出て、大乗仏教の登場という歴史の上の大事件が発生します。このことから、初期の仏教教団を宗教集団ではなく個人主義を基本にした修行集団だったとみるべきです。  
 最後の葬式の禁止は上座部のお経に釈迦の言葉として書かれています。釈迦は自分の教えが生きている人のためのものであり、弟子たちには死者には決して関わるなと厳しく諭したようです。インドには基本的に死んだ後はまた何かに生まれ変わるという輪廻転生という考え方がありますが、釈迦はその輪廻転生が生きているときの行いによって決まるのであり、死後は何をしようがもはや手遅れと考えていたようです。釈迦の考えた仏教はあくまで生きている人間のためのものであり、葬式や法事は釈迦の考えた仏教とは無関係なのです。
 このようにみてくると、現在の私たちが仏教と信じている宗教は原始仏教とは似ても似つかぬ別のものということになります。そして、その正反対の主張が溢れるような違いは仏教の長い歴史が生み出したことになります。