大乗仏教のパラダイムシフト

 ブッダが真っ正直な求道者とすれば、大乗仏教の主宰者たちは人心を操ることを十分に心得ていた策略家である。その大いなる野望は新しい宗教をつくることであり、文学と美術を巧みに活用し、人々に信仰をもたせることに成功した。大乗仏教を推進した装置、道具は「仏典と仏像」の二つ。この二つを巧みに活用し、人心を動かし、新しい宗教が生まれた。仏典と仏像によって表現革命が起こり、ブッダの物語を質量ともに増やし、信仰心を具体的に煽ることになった。ブッダ仏教には物語がなく、教えとその実行のマニュアルだけだった。そこに超自然的で多様な物語を導入することによって、仏典の内容は劇化され、さらに仏像によって視覚化されていく。こうしてブッダは物語の主人公として人々の心を捉え、人間ではない仏として信仰の対象となったのである。

 大乗仏教成立にはヘレニズム文化の影響がある。実際、マウリア王朝の都パータリプトラはギリシャ人によって侵略された。マウリア王朝はインドで大乗仏教が起こる直前の紀元前3世紀の王朝。当時インド北西部にはアレキサンダー大王が残したギリシャ人の植民王国があり、その王国のメナンドロス王はアフガニスタン東部からガンジス川上流域を支配した。メナンドロスの名はローマ世界にまで鳴り響き、プルタルコスやストラボンはインドのギリシャ人のなかでも最も偉大で、正義をもって統治したと記している。ギリシャ人王メナンドロスと長老比丘ナーガセーナとの対話は仏典として残っている。原始仏教では身体は不浄で、人生は苦と考える。だが、ギリシャ文化では「身体は美しく、苦しい人生でも生きるに値する」と考える。この肯定的人生観と仏教の否定的人生観は互いに刺激し合って、仏教はインド西北部のギリシャ人に受け入れられる。原始仏教の高い論理性と合理性が受け入れ理由だった。
 紀元前後につくられ始めるガンダーラの仏像はギリシャ人の容貌を持っている。ギリシャ人に受け入れられた仏教ギリシャ人の影響を受け、人生肯定の思想を持つようになる。否定的人生観からこの肯定的人生観への変化が大乗経典の特徴になっている。ブッダバラモンの権威と儀式を否定し、苦からの解脱を説いた。彼は自己究明の結果「五蘊無我」の悟りを得て、それを生涯説き続けた。だが、時が経つにつれ、この原形は変形し、宗教へと変化する。この宗教化はインドの仏教美術に反映されている。初期の仏教美術ブッダの遺骨を祭る仏舎利塔ストゥーパ)の飾りとして発達した(B.C.1-2世紀)。サーンチーの仏舎利塔(B.C.2世紀頃)の飾りにはブッダの一生の物語がレリーフによって描かれている。そこにはブッダの姿はまだ描かれていない。ブッダ菩提樹などのシンボルによって表わされ、人間の姿として描かれることはなかった。原始仏教では「自帰依」、「法帰依」という基本的理念から、もともとブッダ自身を信仰の対象としていなかった。ブッダとなった釈迦の姿は人の手で表現できないと思われ、仏像は存在しなかった。
 仏像が出現したのはブッダ入滅後500年以上経ってからである。最初の仏像がどこでどのような理由からつくられたか不明だが、最初期に仏像の制作が始められたのは西北インド(現パキスタン)のガンダーラと、中インドのマトゥラー。仏像がさかんに造られるようになったのは紀元後1世紀頃からインドを支配したクシャーナ朝の時代。ギリシャ的風貌を持つ理想的人間像として表現されたガンダーラ仏はクシャーナ朝のカニシュカ王の時代に最盛期を迎えた。
 
 大乗経典はブッダ自身の教説を述べたものでない。いつ誰が書いたかははっきりしていない。しかし、その大まかな歴史は次のようになるだろう。
<般若系経典>
  最初に現れた般若系経典は大乗仏教の基本的教説である「諸法は無自性で不可得、一切は空」と説く。大乗を最も早く宣言した経典群の総称で、その数は漢訳されたものだけで42種。その代表的なものに、大品般若経、小品般若経、般若心経、金剛般若経、理趣経、仁王経、金光明最勝王経などがある。般若経の原始的な形態は紀元前2世紀に存在したと考えられている。紀元後50年頃に原始般若経ができ、A.D.200年頃までに成立したと考えられている。般若系、法華系経典は竜樹(ナーガルジュナ)の著作に出てくるので彼の出世以前に完成された。金光明最勝王経は特異な経典で、やや遅く4世紀頃に成立したと考えられている。
<第1期大乗経典(1世紀~3世紀)>
 般若系経典の次にできた経典を挙げると、維摩経(A.D.200年頃成立、在俗信者の維摩詰(ゆいまきつ、ヴィマラキールティ)を主役にした経典)、法華経天台宗日蓮宗が所依する法華経は4時期に渡って増補され、ガンダーラ地方でA.D.50 ~ 150年頃に完成)、華厳経(その中核をなす十地品と入法界品が最初に制作され、華厳経六十巻品(東晋ブッダバダラ三蔵訳)はA.D. 350年頃迄に完成)。
 法華経など多くの大乗経典では「如是我聞」から始まり、弟子の阿難(アーナンダ)が聞いたことになっている。しかし、華厳経は誰が聞いたかは分からず、その内容は非合理で不思議な経典である。そこには密教の性欲肯定思想の萌芽も見られる。大乗菩薩道の高邁な理想を説く華厳経法華経とともに多くの仏教徒に影響を与えた経典である。華厳経法華経の二つの経典は、禅や密教にも影響を与え、大乗経典の最高峰に位置している。
 また、浄土系経典には大無量寿経阿弥陀経観無量寿経などがある。このうち大無量寿経阿弥陀経はA.D.140 年頃成立したと考えられている。 浄土系経典は4 世紀の終わり頃完成したと考えられる。
<第2期大乗経典(A.D. 300~、中期大乗経典)> 
 第2期大乗経典は如来蔵系経典とも呼ばれ唯識説に基づく中期大乗仏教の経典である。 それらを挙げると、如来蔵経(A.D.3世紀頃に成立、如来蔵(如来を胎児として宿すもの=仏性)思想を初めて説く)、勝鬘経勝鬘経は竜樹以前には存在せずA.D.3~4世紀頃に成立、如来蔵(=仏性)思想を説く) 解深密経(げじんみつきょう)(解深密経唯識思想を展開した経典、A.D. 300~400年頃成立、空の思想を実践的・主体的な立場から考察し、心の本質を究明)。
 唯識説はインド仏教において,3~4世紀ころに唱えられた中期大乗仏教の思想である。唯識説ではあらゆる存在は「唯(た)だ識」すなわち、「心のはたらきで表された仮の存在にすぎない」と考える。唯識説は唯心論や唯脳論でもある。般若経に説かれる空の思想を受け継ぎ、「空」を虚無主義ととらえる傾向を是正し、あらゆる存在は心がつくり出したイメージにすぎないと考える。唯識説はヨーガ(禅定、座禅)の実践を重視する人たちの禅定体験に基づいて主張された。
<中期大乗経典から密教経典に至る中間的経典> 
 理趣経(正式には「般若波羅蜜多理趣百五十頌」、 理趣(りしゅ)経は主に真言宗各派で読誦される常用経典)
 理趣(りしゅ)経は7世紀中頃成立したと考えられる大乗経典で、性欲などの欲望を肯定し、菩薩の境地だとする。性欲を肯定し「性的ヨーガ」によって仏位に至るとする後期密教チベット密教に代表される)への先駆的大乗経典。
<後期大乗経典(密教経典)>
 7~8世紀になると大乗仏教ヒンズー教化し、密教を産み出すことになる。中期密教真言密教)の根本経典である大日経は西南インドで7世紀頃、金剛頂経は大日経成立の後南インドで成立した。密教経典(タントラ)の製作はこれで終わらず、以下のような密教経典(タントラ)が生まれた。秘密集会タントラ(8世紀後半頃成立)、幻化網タントラ(8世紀後半頃成立)、ヘーヴァジュラ・タントラ(10世紀後半成立)、カーラチャクラ・タントラ(時輪タントラ、11世紀頃成立)。カーラチャクラタントラ(時輪タントラ)はインド最後期密教の最終経典とされている。
 
 このように大乗経典は実に1000年近くにわたって創作され続けた。このような経典製作はキリスト教イスラム教などの一神教では考えられない。自由思想家ブッダを開祖とする仏教の特徴なのだろうが、そこに仏教教義の整合性を求めることはできない。