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風景の中の見えるものと見えないもの

 このところ風雨が続き、気候は荒れている。風景は気候に支配されている。今朝はこのところお目にかかれなかった富士山がくっきりと見える。人は風景の中にある筈のものが見えないと物足りなさを感じるものである。風景が私たちを飽きさせない理由は、風景の中に見えるものと見えないものが始終混じり合うことによって、変幻自在の効果が生み出され、風景とは常に変わっているものだと私たちが信じ込んでいるからである。見えるもの、見えないものを生み出す工夫の最たるものは、自然の変化、特に気象である。晴れている風景、曇っている風景、雨の風景が24時間変化し続け、私たちを飽きさせない。
 風景のもつ次元は誰にも特定できないが、風景が含む事物はいつも存在していても、風景はそれら事物を私たちに見せたり、隠したりして、私たちを弄ぶかのように演出している。その企みは休むことなく、私たちの知覚を刺激し、それによって時には感動し、また別の時には退屈するのである。
 自然は風景を通じて知覚され、その風景の彼岸に事物の世界を隠しもっていると思われてきた。それゆえ、科学は自然の風景を通じて、自然の世界についての不変的な知識を得ようと試みる。一方、私たちの知覚は風景を感じ、楽しみ味わう。その結果、風景は享受され、消費される対象になる。
 変化し続ける風景の中に不変のものを求めると科学に、その風景の変化そのものを求めると文学や美術につながることになる。

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 写真はそれぞれ、レインボーブリッジと高層ビル群の向こうに見える富士山、六本木ヒルズと東京タワー、豊洲新市場の水産卸売場棟である。これらの静止画像は風景の静止画像に過ぎないが、実際には刻一刻と変化する風景を私たちは知覚しており、その変化は見えるものと見えないものの組み合わせの変化である。