消えたはずの霊柩車

 この火曜日に糸魚川で告別式があった。出棺になり、入ってきた霊柩車を見たとき、とても不思議な感情が沸き起こってきた。死者との別れという特別の機会だったこともあり、死者への記憶と共にその車に関わる記憶が呼び起され、眠っていた多くの記憶が同時に解き放たれ、過去が一瞬現在化するような時間を体験した。死者がその霊柩車を求めたかのような錯覚を生む体験だった。正体は宮型霊柩車。

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 宮型霊柩車は東京ではまず見ない。地方でも嫌われ、ほとんど姿を消そうとしている。寺か神社か不明の輿を搭載したような形になっているのが宮型霊柩車。一見して華美で、日光の陽明門が車に乗っているような感がある。

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 それに対して洋型霊柩車はいたって質素で、黒塗りの大型自動車と大して変わらない。その地味な目立たない印象が好まれ、現在は霊柩車と言えばほぼこの形である。

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 そんな私の眼に飛び込んできた宮型霊柩車。金箔と朱に塗られた輿は実に華麗。宮大工の巧みな技が十分に発揮された、正に美術作品。誰もが暫し見惚れてしまう。
 過去の遺物という表現は大袈裟過ぎるとしても、白黒テレビや固定電話のような時代遅れの遺物というのが宮型霊柩車。だが、まだ絶滅したわけではなく、絶滅危惧種で、丹念に探せば見つかる代物である。
 私が生きている間に歴史が生まれ、つくられていくことの一つの例がこの宮型霊柩車。直に歴史的なものでしかなくなる宮型霊柩車はかつては花形の霊柩車。それが消えつつある時期をともに生きている自分と見比べながら、私の知っていた死者を運んでいく。死者と共にこの世界を去るかのように走り去っていった。
 自分の周りでそろそろ歴史が結晶化しようとしている。