大乗経典(3)

 阿弥陀経は他の経典と違い、釈迦が一方的に語るスタイルになっています。他の二つの経典は、釈迦の弟子が問いかけ、それに答える仕方で展開されるのですが、この経典はそうではありません。阿弥陀経が説かれた頃のインドは、群雄割拠の時代。人々の生活は苦しく、日々の食べ物に心配し、命をつなぐ水さえも泥水をすくって飲まねばならない生活で、夜には虎やオオカミが餌を求めて村の中に出没し、不衛生な中で病気も蔓延しました。自分が生きていくために隣人さえ殺さなければならないような世界でした。
 そのような状況の中で人々の間に広まっていたのはバラモン教カースト制度によって生まれながらに階級が決まり、いくら努力しても差別は乗り越えられませんでした。それぞれの部族は城壁の中で生活をしていましたが、城壁の外にはアウトカーストと呼ばれる最下層の人々が生活していました。老いていざりながらうごめく老人、コレラハンセン病に患い死期が間近な人々。それらを見て、釈迦は自分が一族と共に安全な城内で生活しているのと比べ、余りにも異なる人間世界に気づいていくのです。
 多くの経典は人間が生きるための「苦」の解決について述べているのですが、民衆が求めてやまない安定、安心した生活はどこに、どのように存在するのかを説明したのが「阿弥陀経」。阿弥陀経は、祇園精舎の庭で、釈迦がシャリホツ(舎利弗)という大変賢い弟子に向かって語りかけているのですが、実はその釈迦の言葉を一言でも聞き漏らすまいと、二人が対面している周りを何重にも取り囲んで聞き入っている大衆がいたのです。もちろん、最も外側を取り囲んで、一番関心を持って聞いていたのは最下層の人々です。では、阿弥陀経の説く内容を見てみましょう。それは釈迦が説く「いのちの教え」です。
 

 私たちは釈迦から確かにこのように聞きました。ある時、舎衛国のキッコドクが仏法興隆のために寄進した祇園精舎に釈迦がきました。仏法を聞き、悟りを開こうとしている1250人と一緒でした。弟子の中でも知恵が一番と言われるシャリホツ、そして、モクレン、カショウ、センネン、クチラ、リハダ、シュリハンダ、ナンダ、アナンダ、ラゴラ、キョウボンハダイ、ビンズルハラダ、カルダイ、コウヒンナ、ハクラ、アヌルダという弟子たちと、これから仏法を聞いていこうと心に決めた人々や、モジュシリ法王子、アイッタ、ケンダカダイ、ジョウショウジンといった人たち、そしてアウトカーストの無数の民衆がいました。今から何が始まるのか、釈迦を取り囲んだ無数の人たちは一心に見守っていました。すると、一番弟子シャリホツに向かって釈迦が語り始めました。

 ここから西の方角に、10万億という国々を越えたところに一つの世界がある。その世界は「極楽」。その国には阿弥陀仏がいて、今も正しい教えを説いている。シャリホツよ、なぜその国を極楽と呼ぶかといえば、その国に住む人々には様々な苦悩がなく、苦悩から解放されているからなのだ。また、シャリホツよ、極楽の国には七重の柵が張り巡らしてあり、直射日光をさえぎる七重の覆いがあり、七重の並木が周りを囲い、熱風から身を守っている。しかも、それらは宝石や宝樹で作られている。だから、この国が極楽と呼ばれているのだ。また、シャリホツよ、極楽の国には七つの宝石でできた池があり、清く澄んだ水が満々とたたえられている。池の底には金砂が敷き詰められ、池の周りの道は、金・銀・瑠璃・玻璃という宝石で作られている。池の上には宮殿があり、金・銀・瑠璃・玻璃・シャコ・赤珠・碼碯で飾られている。池の中の蓮の花は、青い花からは青い光が、黄色の花からは黄色の光が、赤い花からは赤い光が、白い花からは白い光が出され、おだやかで清く香しい世界を作り出している。
 シャリホツよ、極楽の国はこのように私たちを慈しみ守ってくれている。また、シャリホツよ、かの仏の国には、常に天から心地よい音が流れ出している。地面は黄金で作られており、一日中、天から仏の慈しみの花、曼荼羅の花が雨となって降ってくる。その国に住む人々はそれぞれが戒めを守り、相手を敬う花を持ち、10万億の仏に包み込まれて生きている。食事の時はみんなが集まって食事をし、教えを守って生活している。また、シャリホツよ、かの国に様々な色あでやかな鳥が棲んでいる。白鵲・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥という鳥たちである。これらの鳥は、一日中きれいな声でさえずっている。その鳴き声は、煩悩の迷いから目覚めさせる五つの力と、さとりの知恵を助ける七つの力をもち、神聖な八種の修行の道を仏に代わって教えてくれる。この国に住む人々は、この鳴き声を聞くと、ことごとく全ての人が仏のことを心に想い、仏の教えを心に想い、ひとが集まり慈しみ合うことの大切さを心に想うのだ。
 シャリホツよ、共命の鳥という二つの頭をもつ鳥は、前世の罪によってこんな形で生まれ変わったのではない。なぜなら、極楽には地獄や餓鬼や畜生のような最も悲惨な悪による苦しみなどはないからだ。シャリホツよ、この仏の国には人間の生み出す愚かな行いなどは存在しない。このような様々な鳥は、阿弥陀仏が教えを広めるために阿弥陀仏自身が化身されたものなのだ。
 シャリホツよ、かの仏の国には、そよ風が諸々の宝物で作られた並木を通り抜け、天につるされた宝物で作られた覆いの網を吹き抜けるとき、かすかな心地よい音をかもし出す。それはまるで多くの楽器が同時に音を合わせて鳴っているようなもので、この音を聞く人には、自然に仏を想い、教えを想い、共に生きる人々のことを想う心が生まれてくるのだ。
 シャリホツよ、なぜかの国の仏を阿弥陀と言うのか、あなたはどう思うか。シャリホツよ、かの仏の放つ光は限りなく絶えることなく、世界の隅々まで照らし、その光を遮るものは何一つないのだ。だから、阿弥陀と自ら名乗られているのだ。また、シャリホツよ、かの仏の寿命もその国に住む人々の寿命も永遠無限なのだ。だから、阿弥陀と名乗られているのだ。シャリホツよ、阿弥陀は仏になられて以来、いまで10劫の長さを生きておられる。シャリホツよ、かの仏には数えられないほどの弟子がいて、この弟子はみな阿羅漢という悟りを開いた仏なのだ。その数は、最早数えることはできない。また、教えを聞こうとしている人の数も多くて、数えることはできない。また、シャリホツよ、極楽の国に生まれる者はみな人間の迷いの世界に戻ることなく、それぞれに応じて生きていく所が数えることができないほど用意されている。
 シャリホツよ、ここに集まって私の話を聞いている者は、今まさに私の教えを実行に移すため、本当にかの国に生まれたいという心を起こすべきなのだ。なぜなら、かの国で安心して生きている人々と共に同じ場所で生きていけるのだから。シャリホツよ、少々の良いことをすれば、その報いとして極楽の国に生まれられるということではない。シャリホツよ、もし良く聞く耳と心を持っている人が、阿弥陀仏の説かれる教えを聞いて、そうだと納得し、阿弥陀仏の名前をしっかりと心に刻み込み、一日でも、二日でも、三日でも、四日でも、五日でも、六日でも、七日でも、心を乱さず極楽の世界に生まれ住みたいと念ずれば、その人は命の尽きるとき、阿弥陀仏は諸々の仏さまと共にその人の前に現れ、その人のまさに命を終わろうとするときに、慌てふためき錯乱することなく、直ちに阿弥陀仏のいる極楽の国に生まれ行くことができる。
 シャリホツよ、私は、これが真実のことであり、阿弥陀仏を念じることにより極楽の世界に生まれることができるということを知り、このように説いている。もし聞く耳を持つなら、そうありたいと決心して、極楽の国に生まれ行くようにするべきである。
 シャリホツよ、今私は阿弥陀仏が私たちを救い守ろうとされている力と願いを誉め称えているが、東の方には、アシュクビ仏、シュミソウ仏、大シュミ仏、シュミコウ仏、ミョウオン仏など、ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏がいて、阿弥陀仏の教えを広げ、分け隔てなくいのちある世界を覆い尽くし、真実の言葉をもって生きとし生けるものの幸せを念じられている。この真実を受け入れ、全ての仏があなたの生きざまを守り、願っていることを自覚せよ。
 シャリホツよ、南の方の世界では、ウニチガットウ仏、ミョウモンコウ仏、大エンケン仏、シュミトウ仏、ムリョウショウジン仏など、ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏がいて、阿弥陀仏の教えを広げ、分け隔てなくいのちある世界を覆い尽くし、真実の言葉をもって生きとし生けるものの幸せを念じられている。この真実を受け入れ、全ての仏があなたの生きざまを守り、願っていることを自覚せよ。
 シャリホツよ、西の方の世界では、ウムリョウジュ仏、ムリョウソウ仏、ムリョウドウ仏、大コウ仏、大ミョウ仏、ホウソウ仏、ジョウコウ仏など、ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏がいて、阿弥陀仏の教えを広げ、分け隔てなくいのちある世界を覆い尽くし、真実の言葉をもって生きとし生けるものの幸せを念じられている。この真実を受け入れ、全ての仏があなたの生きざまを守り、願っていることを自覚せよ。
 シャリホツよ、北の方の世界では、大エンケン仏、サイショウオン仏、ナンソウ仏、ニッショウ仏、モウミョウ仏など、ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏がいて、阿弥陀仏の教えを広げ、分け隔てなくいのちある世界を覆い尽くし、真実の言葉をもって生きとし生けるものの幸せを念じられている。この真実を受け入れ、全ての仏があなたの生きざまを守り、願っていることを自覚せよ。
 シャリホツよ、下の方の世界では、ウシシ仏、ミョウモン仏、ミョウコウ仏、ダツマ仏、ホウドウ仏、ジホウ仏など、ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏が居られて、阿弥陀仏の教えを広げ、分け隔てなくいのちある世界を覆い尽くし、真実の言葉をもって生きとし生けるものの幸せを念じられている。この真実を受け入れ、全ての仏が、あなたの生きざまを守り、願っていることを自覚せよ。
 シャリホツよ、上の方の世界では、ウボンノン仏、シュクオウ仏、コウジョウ仏コウコウ仏、大エケン仏、ザッシキホウケゴンシン仏、シャラジュオウ仏、ホウケトク仏、ケンイッサイギ仏、ニョシュミセン仏など、ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏が居られて、阿弥陀仏の教えを広げ、分け隔てなくいのちある世界を覆い尽くし、真実の言葉をもって生きとし生けるものの幸せを念じられている。この真実を受け入れ、全ての仏が、あなたの生きざまを守り、願っていることを自覚せよ。
 シャリホツよ、あなたが何を思っているか言ってみようか。なぜ全ての仏に守りきられているといえるのかと言いたいであろう。シャリホツよ、仏の説く道理に従えば、己も他人の命を慈しみ生きて行こうとする人となる。これら諸々の仏の説くことを聞き、教えをたずさえていく者は、これらの道理に従って生きていく者となる。全ての仏から慈しみ守られ、迷い煩う己から解き放たれ、この上ない「私」になりきれるのだ。だから、シャリホツよ、あなた方はみな私の真実の言葉と諸々の仏の説く教えを素直に受け取りなさい。
 シャリホツよ、阿弥陀仏の世界に住みたいと決心するならば、その人は、己の迷い心から目覚め、揺るぎない自分を見いだし、この上ない「私」になりきって、かの国ですでに今生きており、まさに生きようとしているのだ。だから、シャリホツよ、自分をしっかりと見つめて生きていこうとする人が真の心を持っているのであれば、まさにそうありたいと決心し、かの国に生まれるべきなのだ。
 シャリホツよ、本当にわかって欲しいのだ。どのように生きていったらよいのかと、悩み、苦しみ、惑うことばかりの毎日の中で、仏さまの真理にまかせ、自分を確立させていくと言うことは、あなたにとっては難しく信じがたいことだろう。だが、私はこの難しい「私のとまどい」を乗り越えたので、悩み、苦しみ、煩っている人たちにこの難しいと思う教えを説いている。「自分が、自分が」と、自分にとらわれているあなたにとっては本当に難しいことだと思う。

 釈迦がこの教えを説き終えると、釈迦がシャリホツに向かって説かれている様子を固唾をのんで見守っていた人々、「私は悪い人間だ」と思い込んでいた人たちは、釈迦の説くことを聞いて、自分も一人の人間としてその命の大切さを認められていることを思い、嬉しい気持ちでこの教えを聞きました。そして、釈迦に「ありがとう」と礼を述べて、帰って行きました。これが釈迦の説いた「いのち」の教えです。

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