形而上学的な世界観:無常の世界と恒常の世界

 ヘラクレイトスは「万物流転」を唱え、仏教は「諸行無常」を説き,文学は儚い人生を描きました。それらによれば、人の世に常のものはなく、光陰矢の如くすべては止まることなく流れ、絶えることなく変化していきます。常に変わり続ける世界に二度と同じことは起こらず、生まれたものは必滅する運命を受け入れなければなりません。ですから、私たちは「今日は二度と来ない」と肝に銘じながら暮らすことになります。
 一方、パルメニデスは不変こそが世界の基本となる真理と考え、変化は見かけの、仮初の姿に過ぎないと断じました。自然の中の変化しない代表例は「規則的な変化」で、中でも周期的な変化は何度も繰り返し起こることが可能な変化です。「輪廻、反復」はそのような変化の代表です。ですから、私たちはいつでも、どこでも同じ法則や規則を使って外見が異なる現象を理解できます。統計データを信用できるためにはヘラクレイトスではなくパルメニデスの考えに立たなければなりません。
 前の二つの段落の内容は二つの異なる世界観(world view)のことで、無常と恒常との対立する世界観のことだと誰もが知っています。ヘラクレイトスパルメニデス形而上学的な世界観は正反対の主張をしており、両立は不可能、それゆえ、一方が正しく、他方は誤りと誰もが考えることになります。でも、謙虚に世界を見つめるなら、そこには様々な出来事、現象が共存していて、甲乙つけがたしというのが実際の姿。画像を見てみましょう。雲、川、波の形の変化は変幻自在で千差万別、水滴は一滴一滴が異なるように見えても、その形状変化には規則性が見られます。太陽系の運動には周期的な規則性があり、幾何学的なパターンの規則性も存在しています。つまり、私たちは恒常のものと無常のものの両方を世界の中に見出しているのです。そこで生きる私たちの知恵は二つのものの「使い分け」です。

f:id:huukyou:20161103070856j:plain

(雲が流れる)

f:id:huukyou:20161103070946j:plain

(雲が走る)

f:id:huukyou:20161103071032j:plain

(水が流れる)

f:id:huukyou:20161103071102j:plain

(波が打つ)

f:id:huukyou:20161103071132j:plain

(雪が融ける)

f:id:huukyou:20161103071200j:plain

(水滴が跳ねる)

f:id:huukyou:20161103071258j:plain

(太陽系の運動)

f:id:huukyou:20161103071330j:plain

幾何学的な模様)

 私たちはこのような二つの世界の性質をを巧みに使い分けて生活しています。時には人の世のあわれに涙し、時には太陽系の規則的な変化を使った暦によって季節の変化を予測し、生活を設計しています。はかない不安定性に悲しみ、確かな安定性に安堵する、といった仕方で二つの世界を使い分け、巧みに生きるのが私たちの生き方のようです。
 これと同じことは科学についても言えます。科学も私たちと同様で、潔癖ではないのです。「生物多様性」という概念は生物種が絶滅したら復元できないという考えと結びついて流行していますが、ここには無常の世界が顔を出しています。一方、発生の規則的な過程は形質の安定した発現を保証していて、ここには恒常的な世界が見られます。つまり、科学の中でも二つの世界をこっそり忍び込ませ、世界が二面性をもつかのように理解しているのです。

 人間に善人がいて、その善行がある。だから、人間善人説は正しい。
 人間に悪人がいて、その悪行がある。だから、人間悪人説は正しい。

 世界に規則性があり、世界は変化しない。だから、世界恒常説は正しい。
 世界に規則性がなく、世界は変化する。だから、世界無常説は正しい。

上の二つの推論がいずれも誤りであるのと同じように、下の二つの推論も誤りです。つまり、ヘラクレイトスの説もパルメニデスの説も世界観としては誤りなのです。人間は時に善行を、時に悪行を積み重ねます。それと同じように、自然は時には恒常的、不変的で、また時には無常的、可変的なのです。
 このようなことから、形而上学的な世界観は端的に誤りと断定してもいいでしょう。古典力学をベースにした古典的世界観は半ば物理的、半ば数学的な世界観ですが、全体としては誤りです。でも、地球については局所的に正しいと言っていいでしょう。現在の物理学的な世界観は、相対論的世界観と量子論的世界観の二つで、対象のサイズによって棲み分けされ、それぞれの領域で正しいと認められています。でも、世界全体についてきっぱりとこうだと主張するような説は今のところありません。
 こうして、最初の二つの世界観は世界の性質や特徴から導き出されたものというより、その世界に住む私たち人間のもつ意見や信念の要約だということがわかります。ですから、無常も恒常も共に許すような、矛盾した世界観さえ平気で認められ、語られるのが私たちの生活世界です。あるところで無常に、別のところで恒常に、融通無碍に心変わりするのが生活世界の実情。場所や地域によって使い分け、昨日と今日、さらには明日と使い分けるのが日常生活での二つの世界観の使われ方です。
 異なる世界観の間の往来、世界観の棲み分けは自由自在であり、科学理論のパラダイム転換というより、二つの形而上学パラダイムの融通無碍な往来が真相(簡単に世界観はパラダイム+世界のこと)。科学的パラダイム形而上学パラダイムの違いがここにあります。信じられる世界観は科学的パラダイムで、今のところ信じられるのは相対論と量子論の二つのパラダイム。両方を統合したパラダイムはまだありません。いずれにしろ、「あれか、これか」のパラダイム対立構図より、「あれも、これも」の包括構図の方が大人の対応になっています。
 二つの異なる世界観を一つにまとめ上げる世界観はありません。それぞれの世界の基本的枠組みを抽出したのが世界観。そこから二つの世界観が生まれるというのが従来の常識。でも、その二つの世界観を一つの世界観にまとめ上げる試みはまだありません。そろそろそのような試みがあってもよさそうだと思われます。