パースのアブダクションについての二つの考え

   パース(Charles S. Peirce, 1839-1914)はアブダクションについて二通りの考えをもっていました。彼の考察が進むに連れてアブダクションの特徴づけも次第に変わっていくことになります。

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1[三段論法による考え]
 新米の季節なので、例文として「米」を使いましょう。

この俵の米はみな白い。
この米はこの俵のものである。
それゆえ、この米は白い。

これはBarbaraと呼ばれる正しい三段論法の一例です。これを変形した推論を考えてみましょう。

この米はこの俵のものである。
この米は白い。
それゆえ、この俵の米はみな白い。

この俵の米はみな白い。
この米は白い。
それゆえ、この米はこの俵のものである。

これら二つの推論は三段論法としては正しくないのですが、前者が帰納的推論、後者がアブダクションの例となっています。これら演繹的には正しくない推論を含め、パースは推論を次のように分類しています。
(推論の分類)
(1)演繹的、あるいは分析的
(2)総合的-帰納、仮説設定(アブダクション
推論は演繹的推論と非演繹的推論の二つに大別され、帰納アブダクションは互いに他の一部と捉えられています。これがパースの最初の考えです。

2[推論による考え]
   前の分類をさらに発展させ、推論には演繹的でないものもあることを認め、それを広義の推論のパターンとしてまとめると、次の三つのものが考えられます。
三つの推論の種類:演繹、帰納アブダクション

これらの役割の関係は次のように考えられています。

アブダクションによって仮説を形成し、その仮説から予測を演繹し、帰納的に評価する。

アブダクションは説明すべき観察が手許にあり、それから説明する仮説を形成する過程として定義されますが、当て推量に近い推量であり、計算される過程ではありません。次の議論はパースのものですが、この議論は何を意味しているのでしょうか。

驚くべき事実Cが観察される。
Aが真であれば、Cは当たり前のことだろう。
だから、Aが真だと考えられる理由がある。
(Peirce, 1958, 5.188-9, Collected Papers of Charles Sanders Pierce, Harvard Univ. Press.)

Aが真なら、Cは当たり前と言うのは、Aが論理的にCを帰結することと解釈できます。この時、AはCを説明する、あるいはAはCを説明する仮説です。(ここで「Aならば、C」が論理的な含意関係なら、それがなくとも、Cが真であることは最初の前提で明らかです。これは説明が論理的含意そのものではないことを意味しています。)驚くべき事実Cが所与なら説明の必要はありませんが、「驚くべき」ことの解消には説明が必要なのです。
   驚くべきことがなくなり、すべての事柄が説明できてしまうなら、それを説明する理論は完全だと言えます。これが理想的な知識であるというのが古来の考えであり、その具体例が「古典物理学」と考えられてきました。したがって、古典物理学から考えられた古典的世界観は驚くべきことが何もない、ある意味ではつまらない世界観ということになります。