我がヨット体験記

 私のただ一回のヨット体験は実に簡単な理由だった。私の先輩の一人がヨットをもっていて、それがレース用のクルーザー。当時は8名ほどでチームを組み、レースに積極的に参加していた。私が参加するよう急きょ命じられたのは乗員が足りなくなり、ヨットのバランスを保つための重し役だった。確か、三宅島を一周して油壷に戻るレースだった。
 何しろ私がヨットに乗るのは初体験。海に落ちないように身体をロープでつながれ、甲板のあちこちに移動してヨットのバランスを保つというのが私の役割だった。大きなクルーザーで、太平洋を渡ることも可能。実際、私が何も知らずに乗せられた「雲柱」はハワイまでも行っていて、何度も本格的なレースに出て、戦歴も十分な高速船だった。
 普通に船酔いする人なら、務まらない仕事だったのだが、幸運なことに私の三半規管は鈍感だった。とはいえ、デッキに出ているときは全く大丈夫なのだが、キャビンではさすがに気持ちが悪くなる。それでも嘔吐などはなかった。一つ困ったのはトイレ。小さい方は甲板でそのまま済ますのだが、スピードが出て艇が大きく揺れると、ぴたりと止まってしまうという非日常的な経験をした。うまく風を捉えると、速度は上がり、14,5ノットで疾走する。
 夜の海の静寂や、闇の深さを感じ取り、感傷に浸る余裕などなく、レースは過酷なものと海水に濡れ、冷たくなった身体で感じるだけだった。三宅島を回るときだけ、島の明かりが眼を惹きつけたくらいで、あとはもっぱら早く走るだけ。

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(ハワイ沖を疾走する「雲柱」)

 調べてみると、「雲柱」は1980年に進水、当時は日本で一番早いヨットだったらしい。 その船が、今でも米子で名前を変えて現役と聞いている。さて、気になるのは「雲柱」という名前の意味。ここからは私の推測だが、『聖 書』の「出エジプト記13:17-22」が思いつく。次のように書かれている。

(17)さて、パロが民を去らせた時、ペリシテびとの国の道は近かったが、神は彼らをそれに導かれなかった。民が戦いを見れば悔いてエジプトに帰るであろうと、神は思われたからである。
(18)神は紅海に沿う荒野の道に、民を回らされた。イスラエルの人々は武装してエジプトの国を出て、上った。
(19)そのときモーセはヨセフの遺骸を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みられるであろう。そのとき、あなたがたは、わたしの遺骸を携えて、ここから上って行かなければならない」と言って、イスラエルの人々に固く誓わせたからである。
(20)こうして彼らは更にスコテから進んで、荒野の端にあるエタムに宿営した。
(21)主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。
(22)昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。

 荒野では、昼は50度を超える熱い熱風が吹く。神は雲の柱によって太陽を遮断し、非常に暑い昼を涼しくした。雲の柱は、ただ上に上ったのではなく、イスラエル全体を覆い、砂漠の熱い太陽の光を遮断することができるくらい広いもの。中東地方は、太陽の光が熱くても湿度が非常に低いため、陰の中に入れば涼しくて快適である。だから、神が雲の柱によって太陽を隠した時、イスラエルの民は涼しくて快適な荒野の道を歩くことができた。
 雲の柱に守られ、安全に航海することを願っての名前であるとすれば頷けるが、あくまで私の推測に過ぎない。(画像は「海賊フックとその女房」より)