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私がユニークなわけ

 人は我が儘で、時には自分だけであることを求め、時には自分だけであることを嫌う。他人と一緒であることを望んだかと思えば、一人になりたいと訴える。その時々の気分次第で目まぐるしく変化する。それに応じて、人は社会的動物として共同生活する生き物であると主張されるかと思えば、人はその運命としてユニークな存在だと叫ばれもする。人は自分流にユニークな仕方でしか生きられない個人主義者だが、その反動として同じもの、共通のものを常に探し求め、集団をつくるものだということが言われ続けてきた。結局、人は相反する性質を併せ持つ、何とも厄介な生き物ということになる。
 文脈(context)とは私が行為する生活環境のこと。人は文脈の中で生きている。その文脈は人によって異なり、それが個人のユニークネス(個性)を生み出している。私が私をユニークにしている。私は生きるために文脈を選ばねばならず、その選択がユニークネスを引き出している。私の文脈は私の物語の舞台であり、そこで展開される物語の主役は私。そして、その私を支える脇役は私の家族や友人たちである。
 私が「生きる文脈」は私が振舞い、行為する文脈である。その生きる文脈の中の部分的な文脈が「思考する文脈」。それは思考する内容と思考プロセスに分かれる。思考内容は私の生きる文脈から離れることができるという特性をもち、生きる文脈に埋没している思考の具体的な実現プロセスと好対照をなしている。夢や目標は現在の文脈から離れて存在し、それゆえに私たちはそれらの実現を目指すのである。思考内容の特異性は思考内容の文脈離れにある。

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(猫の兄弟はみなユニーク)

 私がユニークなのは私をつくっている構成要素の組み合わせではない。私とあなたが違うのは私を構成する粒子とあなたの粒子が違うからではない。私とあなたの要素の種類や数の違いは私とあなたの違いとは異なっている。私がユニークなのは私の文脈があなたの文脈と違うからである。そのユニークな私の文脈によって私の歴史がつくられていく。
 一方、文脈の共有される共通部分があるのは夫婦や家族、友人。さらには、同郷、同民族といった集団のメンバーにも共通部分が存在する。人は全く一人だけの私的文脈では生きることができず、同じ公的文脈をもつ、と考えられてきた。
 こうして、私が生きる、私が文脈をもつ、私がユニークである、といった表現ははほぼ同じことを意味していて、それらに手を加えてアレンジすると、私的でない、共通の文脈についての表現が手に入ることになっている。