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生得的なものを鍛える:志向的内容を如何にうまく使うか

 「生得的なものとは何か」という問いは、「生まれつきのもの」についての哲学的な問いなのだが、「生まれつきのもの」の具体例を私たちはたくさん知っていると勝手に思い込んでいる。身体、顔貌、身のこなし等はその生まれつきのものの代表例。だが、それらは本当に生まれつきのものなのか。太ってしまった身体、疲れ果てた顔つき、舞台での演技を誰も生まれつきとは言わない。
 「志向性」を活用してみよう。志向的内容をもつ装置として意識や信念、感情や情緒、欲求等を考えるならば、それらは志向的対象を情報として処理するための装置である。心の基本的機能と考えられてきた信念と欲求が働くための装置、カラクリ、仕組みは遺伝的で、生得的である。個々の信念や欲求がつくられるにはその製造装置が不可欠で、それら装置は総合的な情報処理装置の一部となっている。信念や欲求が「何について」の信念や欲求かは装置を見ていただけではわからない。それら「何」は心の中にではなく、外の世界の出来事や事件、対象や事物で、情報として心に入ってくる。

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 (通常の)信念や欲求は(正常に働く)温度計に喩えることができる。温度についての知識を使ってつくられた温度計や温度センサーは、温度を測る。それは私たちが感じる温感に対応している。温度計や温度センサーが「何か」の温度であるのと同じように、私たちが感じるのは「何か」の温感であり、いずれも環境の性質である。変化する温度を測るためにつくられた装置は個々の信念や欲求を生み出す装置に対応している。温度に正しく反応する装置が環境内で正常に働くことは、何かを信じ、欲する心的働きが正常に機能することと基本的に同じことである。だが、個別的な状況と温度の値が外部の環境についてのものであるように、信じ、欲するものは生得的ではなく、心の内にはない。「好きになる誰か」、「やりたい何か」、「意識すること」、「信じるもの」、これらはいずれも個別的な事柄であり、世界の対象、出来事である。
 装置を実装している生き物は、その装置の詳しい仕組みなど知らなくても、それを使うことができる。温度計の仕組みを知らなくても、温度を測れるように、怒りや悲しみの装置を知らなくても、怒り悲しむことができる。だが、好きになる仕組みがないと好きになりたい人を好きになれない。悲しみの製造装置がないと、悲しみを悲しむことはできない。それを確認するために次の二つの文を考えてみよう。

悲しみのターゲットがなければ、悲しむことはできず、初恋の人がいないと、初恋の感情は生まれない。

恋しいと思う感情を引き起こすには、その実現の仕組みが必要で、それがないと感情は生まれない。

これら二つの文はともに正しい。二つとも真であることが信念や欲求という心的装置が志向的であるということの意義なのである。

 「装置は内在し、志向的内容は外在する」という言明を考えてみよう。知覚器官も消化器官も身体の内部にある。だが、身体の内部にあるものだけで働くのではなく、身体の外部のものを処理することによって働いている。何も食べなければ消化器官は仕事がなくなってしまう。目隠しをされれば視覚器官は役に立たない。外部からの信号や食べ物がないと内蔵された消化器官や視覚器官は役に立たない。
 この内在主義と外在主義の見事なマッチングは生物進化の絶妙な「適応(adaptation)」と言ってしまえばそれまでだが、長い試行錯誤の結果として、美しいほどの分業体制が成り立っている。分業だけでなく、相互作業も見事で、それが訓練や鍛錬として巧みにそれら器官を使いこなすことにつながっている。私たちが心身を巧みに使って生きているのは、内在主義と外在主義の分業とそれらの間の相互作用との両方の進化の結果である。
 見ている猫は私の頭の中にはない。猫を注意深く観察したり、優しく眺めたりする仕方は私の視覚装置が習得した技であり、私の身体がもっている。猫についての知識や記憶は私の頭の中にある。頭の中の知識や記憶と外の世界の猫は別々のものではいない。私は記憶や知識を使ってしか現実の猫を見ることができない。私たちの知覚装置は私たちがもつ記憶や知識を遮断しては働かず、見事にそれらと一心同体となっているのである。

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(Sir Ronald Fisher)

 これに似た話として「性比(sex ratio)が思い出される。今の私たちは授業で性染色体について学び、XXとXYの比率は1:1になるため、オスとメスの比率は1:1だと習う。では、どうして性染色体のような仕組みが生まれたのか。Fisherは何故オスとメスの比率が1:1になるのかのモデルを考えた。彼は1:1の比率が集団の存続に最適再であることを数学的に証明してみせた。このモデルの意義は何か。それは、性染色体という構造化された仕組みが1:1の最適な比率を安定的に保証してくれ、そのような仕組みが適応として進化したことが説明される、という点にある。

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 さて、これまでの話の教訓は何か。知覚装置と知覚する内容は本来別々なものではなく、一体となっていた。知覚を確実にする仕組みが性比の場合と同じようにでき、それが眼になった。眼の遺伝子は性染色体に対応している。眼を鍛える、脚を鍛える、身体を鍛えることはスポーツ選手には当たり前のこと。100m競走で10秒を切ろうと頑張る山縣亮太君は生得的な身体を鍛えるだけでなく、感覚的な訓練も必要なのだが、それは身体器官の志向的内容の処理の仕方を鍛えることなのである。