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運河の昨今

 我が家の近くの東雲運河には中州がある。残念ながら歩いて中州には行けない。中州は森になっていて、人が入り込めないほどに樹木が繁茂している。さて、東雲運河晴海運河の間にあるのが豊洲の新市場。すっかり出来上がっているが、まだ誰もおらず、正に閑古鳥が鳴いたまま。船に乗れば、荒川河口から辰巳運河東雲運河を通り、レインボーブリッジや台場に簡単に行くことができる。
 昔「江東綺景」と題してシリーズでエッセイをFacebookに書いていたが、そのタイトルは永井荷風の「墨東綺譚」をもじったもの。荷風の作品の「墨東」とは、隅(墨)田川の向こう側、向島辺りの花街(玉ノ井)を指していた。現在の「墨東」は、墨田区江東区をまとめて呼ぶ場合が多いようである。
 江戸幕府が開かれた頃の地図を見ると、最初の運河である小名木川、新川が江戸湾岸沿いに描かれている。いずれも行徳の塩を江戸まで運ぶためにつくられた。私はかつて行徳に住んでいたが、塩に因んだ地名が今でも多い。小名木川、新川の位置からして、門前仲町、木場、東陽町南砂町、西葛西、葛西という東西線の各駅は海の中ということになる。葛西橋通りも海の中で、東京湾は今よりずっと広かった。
 その後、墨東地域を人が住める土地にするために堀や川がつくられ、埋め立てが進んでいく。大名屋敷の土地造成と物資の輸送という二つの目的で運河はつくられていく。だが、明治に入り、鉄道、自動車と陸上の輸送が主役になっていくと、水上の輸送は廃れ、戦後古い運河は埋め立ての運命をたどる。だから、親水公園が増えた。確かに近くの高速道路を疾走するトラックの波に比べれば、運河は波静かで、時たま船が通る程度で、水上スキーを楽しむことさえでき、どこかのどかである。
 越中島は江戸のごみの埋め立てによって、月島も明治に入っての河口の浚渫によって生まれている。夢の島有明など戦後の埋め立て地である。
(画像はいずれも東雲運河と中州)

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