能面の表情

 私たちが表情を読むのは顔の動きを通じてです。静止画では人の表情の微妙な陰影や細部は表現できません。笑い顔、泣き顔といった顔は表現できても、あざ笑う顔や忍び泣く顔はほとんど無理です。音楽の入った動画を静止すると音は消えますが、それに似て静止画面の表情も大半は消えてしまいます。フッサールなら「過去把持」を持ち出して、細かな表情の読み取りを説明する筈です。瞬時の表情の読み取りを「過去把持」によって動画のように行うことができるというアイデアで、至極当たり前の話です。昨日のノートの何枚かの画像はいずれも静止画で、仮面かそれに類似の顔と考えられます。そこで、能面の表情について考えてみましょう。
 「能面のような」という表現があります。多くの場合には、表情がないこと、表情が推し量れないことを意味して使われます。能面は能で用いられるものです。能は演劇ですから、登場人物の様々な感情が表現されなければなりません。表情のない能面を用いて、どのように感情を表現するのでしょうか。そこに能という芸術の不思議さ、謎、あるいは奥義が隠されていると推量したくなります。能の世界では、感情を能面の様々な向き、演者の姿勢を使って表現するそうです。例えば、幸せなときの「照らす」姿勢では、顔は上を向きます。悲しみを表す「曇らす」姿勢では、顔は下を向きます。嬉しかったら上を向き、悲しかったらうつむくという訳です。一見もっともそうな話ですが、本当かどうか科学的に確かめてみたくなります。

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 そこで次のような実験が行われました。能面を上下さまざまに傾けると、どんな表情に見えるか。使った面は孫次郎、孫次郎は女性の面です。そして、さまざまな角度の写真を、大学生、大学院生、教職員の合計20名(男女10名ずつ)に見てもらって、「Happy」か「Sad」のどちらの顔に見えるか、答えてもらいました。さて、結果は上向きは晴れの表情、下向きは悲しみに曇った表情に見えたのでしょうか。能面は、上を向くほど悲しんでいるように見え、下を向くほど喜んでいるように見えたのです。別のところで同じ実験をやっても、結果は同じ。上向きは「悲しみ」、下向きは「喜び」と見えたのです。
 このような結果になったポイントは能面の口元にあるようです。能面が上を向くと口の端(口角)が下がります。このため悲しんでいるように見えるのです。逆に能面が下を向くと、口角は上がり、笑みを浮かべているように見えます。こうして、全身で幸福を表しながら表情は悲しく。悲しみに俯きつつも、その顔には笑みが浮かんでいる、なんとも謎めいた場面が舞台に現れるのです。この不思議な場面、状況こそが、能の謎、奥義なのかも知れませんが、これでは私たちの無知を能の奥義に転化したに過ぎません。
 そこで、さらに最近の研究を探ってみましょう。「能面」が多様な表情を見せるのは、能面の顔の各部分が異なる情動を表現している「情動キメラ(複数の情動状態がひとつの個体で同時に表現されている状態)」であることが原因であり、こうした「情動キメラ」からの表情判断は、主に口の形状に基づいてなされることを名古屋大学東京大学の共同研究で明らかになりました。(この成果は、名大大学院の川合伸幸准教授、東大大学院の岡ノ谷一夫教授らの共同研究グループによるもの。)
 情動の研究では表情認知が重要な分野であり、そのメカニズムの解明には多くの研究が行われてきました。実際に上演される能の舞台では、木彫りで表情が変化しないはずの能面がさまざまな表情をもつように見えます。表情がないはずの能面が表情を生み出すのはどのようなメカニズムなのか、能面を使った表情認知メカニズムの研究は、表情認知の根源を探ることにつながっています。
 能面を上下に傾かせることで表情を変化させていると述べました。「喜び」を表現する時には能面を上に向け(「照らす」と呼ばれる所作)、「悲しみ」を表現する時には能面を下に向けます(「曇らす」と呼ばれる所作)。ところが、これまでの研究から、上向きの能面は「悲しみ」と判断される割合が高く、下向きの能面は逆に「喜び」と判断される割合が高いことがわかったと述べました。この結果は、能における能面の傾きとその能面が表現する表情との定義に反するもので、研究グループでは、上下方向に傾きを変えた能面は、何の表情を示しているのかを調べました。
 能面が下を向くと口角があがります。口角が上がった顔というのは一般的には笑顔。でも、能面が下を向くというのは「悲しみ」の所作なのです。これは矛盾に見えます。能の美が総合的な芸術として、視覚、聴覚などに訴えかけているというだけではなく、その中に心理学的な「仕掛け」、「揺さぶり」を込めることによって、より微妙な感情表現を施しているのではないかという「美の解明」へのヒントを与えてくれました。これまでの研究で日本人は表情を見るときに口元を見ないと言われてきました。下向きの能面の口元が笑顔のようになるということは、能の場面では悲しみを表現する動作(曇らす)の中で、あえてあまり見られないであろう口では逆の感情を示す笑顔を提示しているということになります。音楽や姿勢で悲しみを表しつつ、すべてが悲しみを表現するのではなく、口元に逆の表情を忍ばせることで、見る側が潜在的に受け取る情動情報は複雑になると考えられます。そうした情動情報の提示を複雑にすることによって、見る側の感情を揺さぶることが、今の能面を完成させた世阿弥の意図だったかも知れません。そうなら世阿弥は卓越した認知心理学者ということになります。
 このような研究の積み重ねが能面の表情についての知見を増やしてくれます。仮面のもつ認知的な意義の解明はまだまだ不十分。能面と同じように、幼児の顔、仏像の顔などもどの方向から見るかで随分と表情が違うように受け取られることはこれまでの説明からわかるような気もします。私たちは通常仏像を見下しませんし、赤ん坊や幼児を見上げることもまずありません。
 仮面は心の内の情動の表現なのかも知れませんが、それでは埒が明かないというのが正直の気持ち。世阿弥が目指したのは、直面(ひためん)では表現できない人の情念を能面でどのように表現するかでした。様々な能面で表情と心の内面を分類し、人の内なる情念をどれだけ表情として表現するか、これこそ演出家としての世阿弥の目指したもののように思えます。

*様々な方向から能面を見る画像は、中村光江 能面の世界(mitsue-yuya.com/face)を参照して下さい。