版画(3)

 アンディ・ウォホール(Andy Warhol、1928-1987)はアメリカの画家、版画家で、いわゆるポップアートの旗手。人は彼をアートとデザインを同じレベルに置いたと言うが、それは既に北斎や広重が遥か前に成し遂げたことである。それでもウォホールは私を惹きつけてやまない。彼の作品に表れた人物が私の惹かれた人物だったからかも知れない。原節子が好きで小津安二郎の作品に惹かれるようになるのか、小津安二郎の手法が好きで原節子に惹かれるようになるのか、それは本当に微妙なことなのだが、ウォホールに惹かれるのも似た理由である。そこに登場する映画スターや有名人たちが私を惹きつけたのは確かである。
 版画の特徴と言えば、大量生産。本の歴史は印刷術の発明によって「写本」から印刷本に変わるが、それと同じように版画は絵の大量生産を可能にした。北斎、広重らは大量生産の画家である。遅ればせながら、ウォホールもその一人。私には北斎、広重、そしてウォホールには共感する点が多いのだが、デューラーは遠すぎてよくわからない。北欧の屈折した心情は正直解せない点が多い。デューラークラナッハが描く女性はイタリアのルネサンスの女性とはまるで違う。
 さて、ウォーホルに話を戻そう。彼は大量生産、大量消費社会をテーマに表現し、生活に身近なものや、誰もが知っている有名人を素材にし、アートを身近な存在にしたが、元々は商業デザイナーで、何が人々の心を掴むか熟知していた。彼がテーマにしたのは、キャンベルのスープ缶、バナナ、ホルスタイン、花等々、私たちの身近にあるもの。それをアートに変えるとは、注意深く観察しないと気づかないものに注意を喚起し、本質はこんなに美しいものだったと気づかせることだった。マリリン・モンローエルヴィス・プレスリーエリザベス・テイラー毛沢東などの有名人もモチーフになった。

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 ウォーホルは、作品を量産するためにシルクスクリーンを多用した。特に、1960年代以降は版画のシルクスクリーンを好んで用いた。孔版印刷のシルクスクリーンの原理は「プリントゴッコ」と同じで、彼は機械で生産するようにシルクスクリーン作品を刷るアトリエ「ファクトリー(工場)」をつくり、多くの若者を雇って作品を大量に制作した。同じ版を利用し、意図的にプリントをずらしたり、インクをはみ出させるなど、彼独自のシルクスクリーン作品を大量につくり、アートとデザインの境界を取り払ってしまった。ポップアート界の頂点にいるウォーホルが、シルクスクリーンを多用したことで、シルクスクリーンは誰にも知られるようになった。彼は、「芸術に対してロマンチックな幻想が全くない、ただの職業だ」と述べている。
 シルクスクリーンで大量生産を目的に印刷すると、「版ズレ」が起こり、色がズレることが起こる。普通なら精度が低いので価値が下がる「版ズレ」を、ウォーホルは、逆に利用し、他にはない「一点物」へと転換させてしまう。その転換は「商品」から「作品」への転換で、彼だからこその見事な機転。マリリン・モンローも「版ズレ」をおこして価値を上げている。

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 1960年代の頃と比べ、技術が発展し生活水準が上がり、そして何より真剣に地球環境を考えていかなくてはならない時代になった。だが、実際はまだまだ大量生産、大量消費の世の中。何が大量生産されるべきで、何がそうではないのか、アート以外のものについても考えるべき時代になっている。