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集団に固有な言語


 昨日の記事の最後に私は次のように述べた。

「ヒトの個体群の存続には他の群と異なる言葉をもつ方が種内では有利。「性選択」は種内で有利だが、他の種との生存闘争には不利なものが多い。それと同じように異なる言葉が複数存在することは種内での戦いには有利。だが、他の種との闘争では不利。それゆえ、複数の互いにコミュニケーションができない言語の存在は性選択と同じような「種内」の選択であると考えることができる。これが異なる言語が共存することの進化論的な存在証明のスキームである。」

 コメントを色々いただき、コミュニケーションの難しさを感じながらも、流石に上記の文章は簡略過ぎて、誤解しか招かないと反省した次第。そこで、少々の補足をしておきたい。
 クジャクのオスは見事な尾羽をもつが、生活するには華美すぎる無用のものに見えて、実はメスを惹きつける手段であると言われてきた。だが、尾羽が目立ちすぎることは他の捕食動物には格好の餌食。そんな危険を冒してまでもオスはメスに気に入られたいのかと思うと、オスの私はオスの悲しい宿命を感じてしまう。生殖はメスが支配する。私の感慨などどうでもいいのだが、派手なオスの尾羽はクジャクにとって適応なのか、という問いはまともな進化生物学的な問いである。

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クジャクのオスの尾羽)

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チャールズ・ダーウィン

 ダーウィン以来「性選択(sexual selection)」と言われてきた選択は自然選択(natural selection)と異なると考えられてきたが、共通の一つの言語と多種の言語はいずれがより適応的かは性選択と同じように考えるべきだというのが私の言いたかったことである。
 集団のメンバーにだけ通用する言葉であれば、他の集団と争う場合、相手にわからない仕方でコミュニケーションが可能となり、集団の維持には好都合。戦争では通信は暗号を使って行われるが、暗号は敵に作戦がわからないための工夫であり、部分的でも異なる言語を使ってのコミュニケーション遮断である。情報は言葉によって伝わるから、解読できない言葉を使えば遮断される。だが、言葉が敵にわかるのであれば、簡単に作戦が見抜かれてしまう。それゆえ、異なる言葉は自らの集団を守り、敵の集団と戦うには、共通の言葉を使うより圧倒的に有利になる。
 だが、平和な時の二つの集団は互いに意思疎通ができる共通の言葉があった方が遥かに便利である。そのため、戦争時と平和時という二つの状態のいずれが優勢かによって異種の言葉か同種の言葉かの有利さは変わってくる。アフリカでは多様な部族が異なる言語をもち、互いに争い合ってきた時間が長く、そのため多様な言語が存在している。ヨーロッパはアフリカに比べれば言葉の種類は少なく、戦いはアフリカほど多くはなかったということになる。にわかには信じがたいが、とにかくこれが上の説明の結果。
 さらにもう一つ指摘しておきたいのは、生存や生殖に「有利」であることの意味。正式には「適応度(fitness)」と呼ばれ、選択を働かせる機動因のようなもので、(誤解を恐れずに言えば)これが進化を引き起こす原因で、力学の重力のようなものである。二つの集団の戦争時と平和時とで、「異なる言葉の使用」は適応度が変わる。戦争時なら異なる言葉が有利で、平和時なら同じ言葉が有利となるから、適応度は集団が置かれた分脈や状況に応じて変わることになる。つまり、適応度は局所的で、これが普遍的な重力と違う点であり、それゆえ進化生物学と力学の違いである。
 こうして、「異なる言語か同じ言語か」の問いが状況依存的であることがわかる。さらに、性選択と全く同じではないことがある。オスとメスの違い、オスの尾羽は見ただけでわかり、判断できるが、言葉は交わしてみないとわからない。言葉は傾向的(dispositional)なのである。美人は見ればわかるが、美しい心は傾向的で、美人が美しい心をもつかどうかは見る以外の手段を要する。それと同じことが言葉の使用にも言える。
 かつて進化論といえばダーウィン自然選択説のことだった。それが1930年ごろには進化の総合説(synthetic theory)となり、20世紀の終わりにはevo-devoというさらなる統合(進化生物学と発生生物学の統合、さらにそこに生態学の統合も。昨日の私のNatureからのシェア記事参照)が始まっている。これまで局所的に分断されてきた生物学の分野が統合され、ミクロからマクロな範囲の生命現象の解明が進んでいる。ヒトの言語の進化もこのような動向の中で研究され、いずれは言語学、心理学の知識と統合されていくだろう。