自然言語の逆襲と復権:デカルトの数学言語

 人間は自然言語を手に入れ、さらに自然言語を乗り越える形式的な人工言語を手に入れ、それによって世界に関する知識は質も量も格段に進歩した。人間は言語をもつことによって世界を支配したのである。自然言語は20世紀以降人工言語に比べ旗色がよくないが、その逆襲と復権をこれから述べていこう。そのためにまずは人工言語がどのように人間のものとなっていったかを振り返っておきたい。

デカルトは数学をどのように変えたのか>
 数学における転回点は、デカルトが導入した変量(変数)。これによって、運動が数学的に表現できるようになり、そのおかげで微分法や積分法がニュートンライプニッツによってほぼ完成されることになる。
 14世紀にイタリアで起こったルネサンスは、ギリシア・ローマの古典や美術様式を尊重する市民運動という形で始まり、15世紀後半からは君主の保護の下での宮廷文化的な性格を帯びるようになる。イタリア戦争による荒廃の影響と、なかんずく「ローマの略奪(1527)」によってイタリア・ルネサンスは終息に向かうが、その情熱のうねりはアルプスを越えて北に拡大していった。そして、オランダ、ドイツ、フランス、イギリス等で宗教色も加えた独自のルネサンス運動が展開されることになる。同時に新航路の開拓と新大陸発見の時代に入り、商業圏は地球規模に拡大し、安定した航海のための科学技術が進歩した。
 学問の世界でも、中世のスコラ哲学への批判が高まる。後期イタリア・ルネサンスを代表するレオナルド・ダ・ヴィンチは、「権威に頼る人は知性または精神の力を捨てて、むしろ記憶の力に頼っている」、「数学的科学によって証明されないところに確実性はない」などと述べ、ロジャー・ベーコンの経験主義的思想を支持し、スコラ哲学を鋭く批判した。
 航海に必要な三角法と天文学、商業の規模拡大に伴い計算術(当時の言葉で「小技法(ars minora)」)、さらには代数学(「大技法(ars magna)」)が発展する。そして、その中で対数が発明され、代数記号(+、-、 ×、÷、=、√ など)が準備されていった。15世紀の終わりに発明された印刷術は数学書にも及ぶ。ユークリッドの『原論』のほかに何冊もの商業算術の本が出版された。ドイツのヴィットマンの算術の本で初めて+と-が、足し算や引き算という演算記号ではなく、過不足を表す記号として印刷された。これが演算記号として使われるのは16世紀に入ってからである。根号√ もシュライベルの本の中で初めて使われた。イギリスの最初の代数学書であるリコードの『智恵の砥石』において等号=が初めて登場。17世紀になって、× 記号はイギリスのオートリッドの『数学の鍵』、÷ 記号はスイスのラーンの本で初めて使われた。
 このようなダイナミックな数学史の流れの中で、次第に演算記号が整備されていくが、「記号代数学」と呼ばれるためには決定的に不足しているものがあった。未知数と既知数で、それらが記号化されていないと代数関係が数式で表されないからである。未知数についてはずいぶん早くから一つの記号で表されていた。紀元3世紀、ディオパントスの『算術』において早くも未知数とそのべき乗を頭文字で表していた。だが、既知の定数を一つの文字で表したのは、16世紀の終わりのヴィエトだった。彼は未知数をAやE、Iなどの母音で、既知の定数をB、D、Fなどの子音で表した。そのため彼は記号代数学の祖と呼ばれる。そして、その記号代数学を完成したのがデカルトだった。
 1637年にデカルトは、『方法序説』を出版する。これは近世合理主義哲学の基礎を築いた書物だが、序説の後に大部の科学論考が三つついている。全体で500ページを超える大著の最初の78ページが哲学の歴史を変えた序説部分。三つの科学論考は試論と呼ばれ、『光学』、『気象学』、『幾何学』である。『幾何学』が数学の歴史を変えることになる。ここには座標を使って幾何学の問題を代数的に解く「解析幾何学」が述べられている。その歴史的な重要さもさることながら、その中身を見るともっとずっと重要なことがある。

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 一つは、記号代数学を完成したこと。前世紀末のヴィエトの画期的なアイディアをうけてそれをさらに徹底し、既知の定数をa、b、c、d などアルファベットの初めの方で、未知数をx、y、z などアルファベットの後の方で表した。これだけではただ使った文字が変わっただけだが、デカルト古代ギリシア以来の伝統だった「次元へのこだわり」を取っ払ってしまう。これはなにかと言うと、長さという量を二つ掛け合わせると面積になり、三つ掛け合わせれば体積になるが、面積と長さを加えたり、面積と体積を加えたりすることは無意味なこととして、禁じられていた。デカルトは巻頭で「幾何学のすべての問題は、作図するために必要ないくつかの直線の長さを知りさえすればよいということに容易に還元することが出来る」と宣言した後で、加減乗除および累乗根の作図法を述べている。そして単位(1)を導入して、何次の式でも直線上の長さとして表されるとした。これによって古代ギリシア以来の束縛から離れることができ、近世数学の離陸の瞬間となった。
 もう一つ重要なことは、この融通自在の数式表現法の完成と密接に関連している。どんな曲線も式で表すことができ、その式を分析することで曲線のすべての性質は明らかにできる、とした彼は、いくつもの曲線を取り上げて分析している。xのとる値に応じてyの値が決まる。この記号法によって「変量(変数)」(quantitès indeterminèes & inconnuës,不定かつ未知の量) の考え方が初めて可能になった。
 デカルトによるこれらの「革命」の意義をはっきりと認識し、フランス語の原書を当時の共通語であるラテン語に訳したのは、オランダにいたデカルトの弟子スホーテン。第2巻にはスホーテンのライデン大学での講義録『普遍数学の諸原理-ルネ・デカルト幾何学の方法への序説』が収められていて、これが新数学への格好の手引きになった。ニュートンライプニッツも『幾何学』だけではなく、これを読んでデカルトの記号法や考え方をマスターした。
 ケプラーフェルマーパスカルなどの天才たちによる微分積分学形成への胎動は、デカルトが切り開いたこの新しい数学をマスターしたニュートンライプニッツによって一つのアルゴリズムへと結晶していく。微分積分学を作り上げるダイナミックな動きを追ってみると、「微分積分学」を「無限小解析」と捉えるなら、それは「無限小幾何学」からではなく、「無限小代数」から生まれ出る運命にあった。これはデカルトによる数学の革新の意義を表している。

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 現在の数学に直結している記号法の基礎を作り上げたデカルトの影響は彼の死後もじわじわと浸透し、数学の表現方法を変革してしまう。しかも、単に表現の仕方を変えただけではなく、数学そのもののあり方を大きく変えてしまった。なぜなら、それは「変数」概念を可能にし、それによって変数の間の対応関係を「関数」として捉え、表現することを可能にし、現代数学の背骨と言える「関数」登場の素地を作ったからである。実際に「関数」概念を数学の中心に据えたのは1世紀後のオイラーだった。1748年に出版された『無限解析入門』は、変数、関数の定義から始めて、三角関数や指数関数を含む多くの関数を導入し、オイラーの公式などを紹介した名著で、関数記号なども含めて、「デカルト革命」はこの書物で完成した。