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ライオンのたてがみ

 オスライオンのたてがみは何のためにあるのか。防寒のためのマフラーでないのは確かだが、持主の首を守るためなのか、それともオスの強さをメスに誇示するためなのか。答えは後者だという。たてがみはいつも見えるが、ライオンが実際に強いかどうかはその姿だけではわからない。脚が早いかどうかは獲物を獲るのに不可欠だが、脚の速さも見ただけではわからない。だが、脚の形は見ただけでわかる。カモシカのような脚は見ればわかる。その脚が本当に速いかどうかは走っているのを見なければわからない。どちらも見ることは同じなのだが、一方は無条件に見るだけ、他方は戦ったり、走ったりするのを見なければならない。

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 見るだけでわかる性質に対して、他方の性質は「dispositional(傾向的)」な性質と呼ばれてきた。傾向性は「人の行為や他人との関係などに表れる生まれつきの,または際立った性質」などと訳されるが、見ただけですぐわかる性質と違って、その性質は見ただけでは隠れていて見ることができない。では、どうすればわかるのか。その工夫は、条件法の形「もし…なら、---である」の形の表現の活用である。ある条件が満たされると表に現れるという傾向性の特徴を利用しようという訳である。例えば、dispositionalな性質である「Aは脚が速い」は、「もしAを走らせたら、Aは速く走る」ということ。
 もう一つわかりやすい例。極上の美人は見ただけでわかる。見ただけでわからなければ「美人」などと言う言葉はそもそも存在しないだろう。だが、「美しい心」となると、美人や美しい風景と違って直接に見ることができない。その上、厄介なことに美人でも美しい心をもたない人はたくさんいる。美しい心はdispositionalな性質なのだが、どのような条件法の文で表現できるだろうか。

Aは美しい心をもっている iff もしAが…なら、Aの心は美しい
(iffはif and only ifの省略形で、必要十分条件あるいは同値のこと)

 上の「…」に何が入るか?それがわかれば「美しい心」がわかるかというと、実はそんな簡単な仕組みになっていないのが心。「可溶性」のように一つの文で十分に表現されるような簡単なものではない。可溶性の場合は実に簡単で、次の定義で納得できる。

Bは可溶である iff もしBが水に入れられると、Bは溶ける。

このような間接的な定義に不満をもつ好奇心溢れる科学者なら可溶性の化学的仕組みを探るだろう。実際の可溶性の化学はより複雑だが、それと同じ指針が「美しい心」にも適用されるなら、心の化学が構想できそうである。心の化学自体があるかどうかさえ現在は不明だが、それよりずっと簡単な筈の心のdispositionalな性質も複雑な文の組み合わせになっている。
 これらはこれからの問題ということになるが、今のところは美人と美しい心の違いが分かれば良しとしよう。
 ライオンのたてがみとライオンの強さ、脚の形と脚の速さ、美人と美しい心と比較してくると、身体と心がその究極の対ということになると想像できる。だが、身体の性質でも身振り、身のこなしとなると、生得的なものよりも経験的に獲得された技術や技が注目される。それらは練習や鍛錬によって習得したもので、普通は見えない。そのためか、身体のしなやかさ、頑強さ、敏捷さなどは比喩的に使われる場合がほとんどである。心についての性質はそれ以上に比喩的にしか表現できず、究極のdispositionalな性質とみなされている。そして、それら性質は学習され、経験的につくられるものだと考えられている。だから、心のしなやかさ、頑強さ、敏捷さは比喩であっても、経験的に獲得できるもの、具体的に学習できるものと考えられてきた。それが証拠に、赤ん坊がしなやかで思慮深い心をもつとは思われていない。赤ん坊は成長しながら、それら性質を身につけていく。
 さて、メスライオンは初めて出会うオスの強さについてたてがみを見る以外に知ることができない。同じように、脳科学者も普通の人も、心が科学的に解明され、化学的な知識が手に入っても、どのようにそれを使うかうまい手立てをもっていない。人々が生活の中で接する際、すぐに脳内状態がモニターでき、相手の心的状態がわからなければ役に立たない。そのような一種のセンサーは今のところSFの世界にしか存在しない。つまり、適応的に化学的知識を使うには瞬時に反応できるような仕方で知識が直感的に使われなければ役に立たないが、それは今のところ夢の世界にしかない。
 慎重な人、残忍な人を即座に判定し、対応するには「慎重、残忍」についての構造的な知識を操作的に使う別の知識が必要になってくる。判定は情報を利用してのものだから、結局は行動レベルでの判定となり、それは最初のdispositionalな性質の有無にならざるを得ない。つまり、構造的な知識を適応的に使うには傾向的な翻訳、還元が不可欠なのである。実用的なセンサー制作には化学的知識とdispositionalな性質についての知識の間の翻訳が不可欠なのである。つまり、強さのシンボルであるたてがみは、知覚でき、自然言語で表現できる。この知覚と言語表現のシステムと脳の化学構造の間の翻訳が必要なのである。化学的な解明には知覚と知識の翻訳が含まれている。
 「直接見るだけでわかる、瞬時にわかる」ことが優先され、「工夫してわかる、見ることに工夫が必要」なことが次に続くことになる。できるだけ扱いやすい情報、すぐわかる情報が生きる上で価値の高い情報であることは実際の生活を見れば一目瞭然。学習によって知ることは人の本能。人の心を知ることも人の喜びなのだが、実際の生活で人と付き合うとき、人の心は即座に判定されなければならない。人の性質、とりわけ人心に関わる性質は傾向的にしかわからず、見ること、聞くことができないものだった。それでも、知覚できない性質は傾向的に理解され、知覚できるものによって測られるしかなかった。そして、それは化学的解明にも不可欠のことなのである。