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固有名詞にこだわる自然言語

 固有名詞はいつでもどこでも「特定の対象」を指示する。これは驚くべきことで、通常の記号の使用とは随分異なっている。記号とその指示対象との間の関係は規約的なものに過ぎなく、両者の間に必然的な結びつきは存在しないというのが通り相場の理解である。その暫定性が記号の特性で、自由な約定にこそ記号の特徴があると考えられてきた。だが、そのような約定、約束という記号の本性とは逆に、記号と対象の間に切っても切れない必然的な関係があるかのように使われるのが固有名詞である。私たちは命名するのが好きで、命名されたものを使って記憶し、記録し、歴史をつくっている。
 このような固有名詞が科学理論にあるだろうか。あるなら、それはどのようなものか。科学理論の形式的な語彙の中では「定数」以外には固有名詞はない。変数はその理論のモデルとして想定される領域の中の任意の対象を指しており、定数は特定の対象を指している、というのが数学言語だが、自然科学ではそうではなく、定数は変数の間に想定される数式で表現される関係の一部でしかなく、自然言語のように個物を指していないのである。実際、例えば重力定数は特定の物理的対象を指していない。
 それに対して自然言語の固有名詞は特定の対象(個物や人物、事件や出来事)を指し、その数は莫大である。人は全員名前をもち、死んでもその名前は残る。どの土地にも地名があり、日時もわかる。それらは科学言語とはまるで異なる点である。では、なぜ固有名詞がどの自然言語にも溢れているのか。それは言葉を使う私たちの中に理由を見出すことができる。
 私たちは生活する世界に強い執着をもっている。世界と私たちは密着していて、その実際の様をしっかり表現するには変項だけでは覚束なく、指示代名詞ではなく固有名詞に頼らなければならない。固有名詞は世界との密着の指標となっている。一方、定数だらけだと自在な変更が困難になり、その失敗の代表例がかつての形而上学だった。その失敗に学び、個物だけの存在論を徹底したのが物理学だった。その結果、科学的知識は世界に対して公平で、こだわりをもたなくなった。だが、人間である科学者は相変わらずこだわりをもっている。
 固有名詞に対する私たちの熱愛は、この世界だけでなく、私たちが想像できるどのような世界においても同じ対象を指すことに表れている。私たちの自由な指示作用は意外に制約されている。というより、私たちは固有名詞を自らの足枷にしているのである。私たちはこの世に固執し、こだわり、未練をもち、後悔する。それができるのは自然言語における固有名詞の存在で、固有名詞は私たちと世界との間にある切っても切れない縁をつくり出し、支えているのである。
  世界の中で生きていることは固執し、恨み、妬み、関わることである。だから、どの宗教もそれが不幸の源だと説く。ブッダのように悟りを開いたなら、固有名詞は宙に浮くことになる。固有名詞こそ私たちのこの世の出来事へのこだわりを表現するもの。固有名詞を擁護する自然言語は正に私たちの言語であり、この世界へのこだわりを証言している。